2011年8月14日日曜日

「三つの箱から世間を覗く」"第100回記念企画

「"三つの箱から世間を覗く"第100回記念企画に参加者募集

みんなのおかげで100回を迎えることができた。ありがとう。
竹田君から記念にアンケートでもやりましょう、という提案があった。
だが、それだけで終えるのは少々もったいない。

O田君やS山君のコメントは大きな励ましとなった。
もっとみなのコメント・意見を聞きたい。
よって、「討論会」をやろう。
下の2つの企画にできるだけ多くの参加を願っている。

【第1企画】第1回~第99回までのうちから3~5点選んで欲しい。(応募期間:~8/21) 

【第2企画】①あなたが議論してみたいテーマを3件まで上げて欲しい。(参加期間:~8/21)
      ②そのテーマを「掲示板」で討論してみよう。(参加期間:8/22以降)

○最後に、【コメント欄】がある。

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【参考】
アンケートなどで、2人以上から支持があったものは、以下の通りだった。(カッコ内の数字は第○回)

7件:(57) 「この差・違いはなんだ?」①高島屋で野菜の特売フェア ②菅首相、東電社長も被災地を訪れた。《ここに○印を》

6件:(16)「米国でも言葉狩り(2011.2.16朝日新聞)」
(17)「"バカ"になった日本」

5件:(62)「第57回の質問に答えたい」

4件:(3)「NHK"大人ドリル"」
(4)「小沢問題」
(7)「河村革命③~対決と話し合い~」  
(8)「石渡嶺司『最高学府はバカだらけ』」
(9)「言葉と思考」
(12)「世代を越えてコミュニケーション(中)」
(15)「自由において選択するは"目的(動機・欲求)"か"手段"か」
   (26)「"相撲は国技か?"というテーマで二題」
(43)「身体検査と任命責任」(2011.3/10)
   (47)「リーダーの語り口~東日本大震災④~」
(55)「亡国への道、無責任の蔓延」
   (59)「言葉の重さ、何を伝えるのか? ~風評被害をもたらすもの~」
   (83)「長門裕之の訃報」


3件:(13)「世代を越えてコミュニケーション(後)」
   (14)「表参道も"カモン中国観光客"」 
   (20)「2011.2.16「朝日新聞」のコラムにツッコミ」
(24)「大相撲八百長"疑惑"」
(30)「お願いランキング~美食家クラブ~」
(49)「2011東京都知事選」
   (58)「喜びや悲しみ(私情)と式(公の場)」(2011.4.23の朝のNHKニュ-スから)
(64)「日本の将来を議する国会議員」
(70)「イノベーションと安全性~焼肉屋食中毒事件③~」
   (76)「新宿三越アルコット店の閉鎖」
   (81)「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい②」=「情報(データ)を出せ」という声~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」
   (93)「君は知っていたか?我が国が武力攻撃されたときの"警報のサイレン"が決まっていることを!」

2件:(10)「遊び」と「余力・余裕」
(21)「民主党"小沢チルドレン"16人会派離脱」~2011.2.20のTVから①~ 
(23)「調査捕鯨中止のニュース」~2011.2.20のTVから③~
(29)「民主化万歳!!④ ~先進国/途上国、近代化・民主化・産業化~」「民主化万歳!!⑤ ~「豊かさ」をもたらすもの、「商業」と「工業」~」
(41)「"豊かさ"と"自由"~2011.3.8の朝のNews Showから~○人口ボディ製作者(TV朝日),大阪のある人工ボディ製作者を取材。○パキスタンからの留学生が「日本の高齢者事情」を見学(フジTV)。
(43)「身体検査と任命責任」(2011.3/10)①米国務省メア日本部長の「沖縄県民差別発言」問題、②民主党土肥議員「独島(竹島)の日本領有を撤回」声明に署名したという。③前原外相の「外国人献金問題」
(87)「大人の受け答えと大人げない」
   (88)「人の話を聞く」とは
(89)「AKB48の総選挙」
(90)「信頼なきリ-ダー~菅首相は"良いこと"をしても、なぜ"思いつき"と言われるのか?~」
(92)「信頼なきものの悲哀」鳩山前首相は「救国の英雄」
(97)「限定された知② ~教育者~」前回、大学教授の「日常の物理現象」に対する「驚くべき"限定された知"」について述べた。

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以下は、第1回から第99回までのタイトル(など)。参考にしてほしい。

2月(30)
第1回「エジプト民主化運動」・「独裁政権=悪、民衆=善」という図式がある。あの商店略奪は誰がやったのか?あの略奪に正当性はあるのか?私は、大地震があっても略奪がおこらない日本が、略奪をしない日本人が誇らしい。(およそ200ある世界中の国の中で…)いつまでも「略奪がない日本」であって欲しいが…。

第2回「大相撲八百長疑惑」・全ての人が「八百長はあった」と思っているはずだ。理事長のこのコメントは決定的。「八百長は、あったようだ」「だが、今回だけのことであり、これまでは無かった…」誰も信じない。勿論本人も。正直でない人間には誰も(解決、改革)できると信じない。

第3回「NHK"大人ドリル"」日曜朝8:15~45の「大人ドリル」という番組を見た人はいるだろうか?…低レベルの解説委員がいるなぁ…!?本日出演の3人のうち今井純子委員の話は、肯くことができた。だが、真ん中に座った最年配の山田伸二委員は落ちる!一言で言えば「市場原理」一本槍。

第4回「小沢問題」…ホリエモン、村上ファンドの時もそうだが「本当に」みなが「悪い」と思っていることでは裁けない、という「現実」をどう考えるか?…数日前、急遽入院するはめになった。だから、4つ目の部屋からの光景も書いていくつもりだ。

第5回「河村革命」…河村の勝利は「議会・議員に対する不信任」であることの理解ができなければ、自民党・民主党と同じ轍を踏むことになろう。

第6回「河村革命②~河村は独裁者か~」河村の「強引な」手法をもって、彼を独裁者と呼ぶ向きがある。同じように捉えられた鹿児島県阿久根市長も同様だが、…河村革命は「選挙」と「リコール投票」の二つの「住民投票」により成就したものである。それをなぜ「独裁」と言うのだろうか?

第7回「河村革命③~対決と話し合い~」議会と首長との関係、二元代表制が問題視されている。河村のやり方が強引だという。…議会が本当に「話し合いでものごとを決めている場」と思っているのだろうか!!!!????与野党の議席数で決まるんじゃないか!

第8回「石渡嶺司『最高学府はバカだらけ』」大学・大学生のことについて論じたもの、ましてや批判したものなら是非とも読まねばならぬ。「何が」という原因分析でなく、「誰が」という犯人分析をする。

第9回「言葉と思考」「この雪おかしいです。靴やばいです。めっちゃ寒いです。」2011.2.16の朝のニュースで、昨晩深夜の新宿でインタビューされた若い女性の言葉。…、「表現・言葉は違うが、言いたいことは同じ」と思っていいのだろうか?と、ふと気づいた。これまでは、そう思ってきた。

第10回「遊び」と"余力・余裕"」入院するはめとなった。突然のこと故読むものがない!そこで何か売店で買ってきてくれ、と頼んだ。『週間現代』である。…、「"あそび"="余裕"」であっても、「"あそび"="余力"」だろうか?

第11回「世代を越えてコミュニケーション(前)」看護婦(師)さんたちは大体20代、せいぜい30代前半だろう(私の病室6人部屋を担当している十数名)。患者の年代は40代と50代が一人ずつ、60代以上が4人。年が20~40離れている。私の職場・周りだけではないと思うが、最近では、世代が違い、年齢が離れると、会話が成立しないというよりも、若者は年輩者と会話しようとしないようだ。だが、この病室では、気さくな声かけがある。

第12回「世代を越えてコミュニケーション(中)」体を拭いてもらうためだ(点滴の管が着いていたりして自分では自由に拭けない。)終わると実に気持ちがいい。やってくれたのは男の看護師だった。初めてだ。「男の看護師は初めてだ」と話しかけると、限られた時間の中で、いろいろ話してくれた。

第13回「世代を越えてコミュニケーション(後)」対話は、相手との関係に依存する。個人的・私的関係以外の人間との会話は、「法、規則、契約」関係にないと、そしてその限りでのみなされるようになってきているのだろう。

第14回「表参道も"カモン中国観光客" 原宿・表参道も中国人むけにビジネスの取り組みを始めたという。「春節記念セール」や店員の中国語教育や各店舗の中国客対応チェック等々。「そろそろ対応しなければ…」と言う。「しなくていい!!」

第15回「自由において選択するは"目的(動機・欲求)"か"手段"か」「神は十戒を与えることにより、人間に自由を与えた」という解釈を、あなたはすんなり理解できる・納得できるだろうか?「殺してはならない(第6戒)」とすることで、人間を憎しみから解放し、

第16回「米国でも言葉狩り」今月出版された、M.トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒険」の新版では、差別用語"ニガー"を中立的な"奴隷(slave)に言い換えていると、新聞(「読売新聞」2011.2.17)にあった。

第17回「"バカ"になった日本」一つの原理でしか理解ができない。一つの原理でしか納得できない。一つの原理しか認めることができない。というのは、「単純」、「馬鹿」「頭が悪い」ということだ。

第18回「"忙・慌"という文字」《忙》の「亡くす"心"」の「心」とは何だろうか?《慌》の「荒れた"心"」の「心」とは何だろうか?

第19回「心は見えるか、見えないか」「心は見えるか?」と聞かれたら、多くの人は少し考えて、「ノー」だろうが、一部の人は「イエス」と答えるだろう。

第20回「2011.2.16「朝日新聞」のコラムにツッコミ」…「○○なりに」とか「思われる」を使うテクを。自分で言って・書いておきながら、実は自分では信じていないことを大上段(大冗談)から他人に説教するときには、朝日のコラム・社説を学ぶといいぞぉ。入試の小論文対策になるそうだから…。これだけ「書くネタ」を提供してくれる朝日新聞。うーん、150円は実に安い!!!比較するために「産経新聞」も一緒に買ったのだが、「書きたいっ!」と思わせてくれるネタは、やはり朝日新聞だなぁ…。

第21回「民主党"小沢チルドレン"16人会派離脱」~2011.2.20のTVから①~民主党に会派離脱届を提出した渡辺浩一郎衆院議員らは17日、国会内で記者会見した。執行部への抗議文と会見の要旨は次の通り。

第22回「爺じゃないのに…」~2011.2.20のTVから②~毎週、関口宏「サンデーモーニング」を見ている。本日から、新しいコメンテーター土井香苗(国際NGO・ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表兼弁護士)が出ている。まだ若い。30代半ばだろうか?初出場だから緊張しているのだろうが"いただけない"。

第23回「調査捕鯨中止のニュース」~2011.2.20のTVから③~日本は"テロ"に弱いなぁ…。尖閣事件の時も、簡単に中国の恫喝に屈した。今度も、シーシェパードの暴力に屈した。「和」を大事にしているからか…?「和」は"統合"であり"抑圧"ではないはずだ。

第24回「大相撲八百長"疑惑"」「海老蔵事件の裁判」…協会は「本気」ではない。委員会に「丸投げ」の感じ。(問題を)「改革(解決)」しなければとは思っていないんじゃないか。(世間に)「対応」しなければ、と思っているだけだろう。「騒ぐ」だけで、問題に迫らない(確認も指摘もしない)TVも「本気」でないだろう。「八百長」ってこれほど騒ぐほど「悪い」ことか!?「小沢問題」とおなじだなあ…。「倫理」を足蹴にしているマスコミが、「倫理」を忘れている視聴者(国民)に、「倫理」問題を騒いでいる。

第25回「レンガの建物」他、ニュージーランド、クライストチャーチの地震の惨状が画面に流れている。美しいレンガの建物が幾つ幾つも倒壊している。①「三匹のこぶた」の話を知っていると思う。③「耐震基準はどうなっいるのか」を問題としているが、「地震国なので厳しい。古い建物は基準外。」と専門家は答える。

第26回「相撲は国技か?」というテーマで二題、(1)「国技館」という名前から「相撲は国技」という観念が生まれ、定着した。という報道を聞いて、コメンテーターたちは、…(2)「相撲は国技か?」「国技」の英語表記は?考えたことないと思う。

第27回「TVから(2)」 (2011.2.17)①小向美奈子事件は報道するに値する「事件」か?②中国フィギュア選手の年齢詐称」問題 ++

第28回「民主化万歳!!①~京大入試漏洩騒動~」「②~"日曜討論"~」「③~中東も中国もかつては先進国だった!~」

第29回「民主化万歳!!④ ~先進国/途上国、近代化・民主化・産業化~」「⑤ ~「豊かさ」をもたらすもの、「商業」と「工業」~」

第30回「お願いランキング~美食家クラブ~」○評価の仕方と受け取り方10点を求めるが…。大量製造なんだから、6~8点であればよい。工場で作られたものが、9点や10点を獲得するのは…。○低い点数をもらった時、

3月(12)
第31回「2011/2/28の朝のニュースショーから」○「国立大"就活"生凶行 なぜ?」フジTV"特ダネ"での「鹿児島大生の高速バスジャック」事件の映像で用いたキャプションだ。…小向美奈子、スカイツリー

第32回「京大カンニング事件」2泊3日の入院を終えて、今自宅で再開している。…カンニングだぜ。たかが…。「やったこと(カンニング)」で騒いでいるわけじゃあるまい。京大だからであって(翌日入試があった)大正大ならどこも扱うまい。

第33回「2011.3.5(土)の「王様のブランチ」から」銀座「松井金之助」というような店名の店、…ここまで料理人と見ているものを馬鹿にできるのか…!!!???まぁ、関係者といって、顔も隠し、声も変えたインタビューよりましか…。それだと、ADにやらせたってわからないもんなぁ…。

第34回「今週の関口宏サンデーモーニングから①」2011.3.6 ○京大カンニング事件に関して

第35回「今週の関口宏サンデーモーニングから②」2011.3.6、○菅政権…世間・国民が「政府批判・政府依存」と言われるようになったのは、マスコミが毎日毎日「政府ダメ、民主党ダメ、菅ダメ」と言い続けてきたからではないのか…?確かに、日本政府は自らの職責を認識しているとは到底言えまい。

第36回「医者に必要な学科目は何か」生物を履修していない医学生がいる、とTVで問題視していた。…現代の医学において、診断とは、じかに患者の体を診ることではなく、検査結果で判断するものだろう。なぜ、そういう数値となるのかの理解は、生物学以外に物理学・化学が必要なのではないか?

第37回「お疲れさまという言葉」…「お疲れさま」は「ねぎらい(慰労)」の言葉だとしたら、先生の「何に対して」、「お疲れさま」と言っているのだろうか?…患者から看護士・医師に「お疲れさま」と言わねばなるまい!?だが、逆だ。

第38回「与党が予算を"人質"に!?」予算を人質にして与党を責めたてるのは、野党のお家芸であった。だが、今回は…。欠席した16人に責任追及の声が…。

第39回「2011.3.7朝のニュース・ショーから①」メディアの自殺 ~3~5秒のつまみ食いインタビュー~正確な報道をしようとせず、自己の主張に合わせて情報を改竄していることに、メディア本人も社会も気付かないのか!?

第40回「2011.3.7朝のニュース・ショーから②」熊本学園大生3歳児殺害事件に対する吉永みち子のコメント ○

第41回「"豊かさ"と"自由"~2011.3.8の朝のNews Showから~」○人口ボディ製作者(TV朝日),大阪のある人工ボディ製作者を取材。○パキスタンからの留学生が「日本の高齢者事情」を見学(フジTV)。

第42回「人の話を聞く」とは」おばさんたちは、よくアイヅチを打ち、笑う。講演では良き聞き手であろう。だが、彼女たちは、レスポンスしているのだが、「聞いて」いるのだろうか?話には「聞く」と「聴く」があり、こういうことなんだろう。

第43回「身体検査と任命責任」(2011.3/10)①米国務省メア日本部長の「沖縄県民差別発言」問題、②民主党土肥議員「独島(竹島)の日本領有を撤回」声明に署名したという。③前原外相の「外国人献金問題」

4月(21)
第44回「安全と安心 ~東日本大震災①~」フランスから原発事故のための機材を借りるという。

第45回「情報(データ)を出せ」という声~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」情報(データ)を得たとしても、正確な判断なんてできるのだろうか?聞くほど「不安」になるだけではないか?

第46回「正直は無責任~東日本大震災③~」民主党大塚厚労相副大臣が…、竹中から「復興税などもってのほか」と言われたが、当たり障りのない(つまり無内容)答を返し、竹中に「あなたも閣僚経験がおありだから(こんな答えしかできないのは)おわかりでしょう。」と言う。…「正直」とは、「他者」に対するものではなかったか?だが、この20年ほどは、「自分に正直」という言葉が生まれ、

第47回「リーダーの語り口~東日本大震災④~」仏大統領サルコジが来日し、菅首相と共同会見をおこなった。菅は「えー、あー、うー」を頻繁に挟みながら語る。実に聞き苦しい。

第48回「正確な情報」神話 ~東日本大震災⑤~TVTV朝日の新番組「モーニングバード」が始まった。よしずみが「放射線」に関するレポートで、…「正確な情報が大切」と言っていた。「正確な情報」が問題・重要ではないことは、

第49回「2011東京都知事選」①東国原英夫が何票獲得するか?②渡邉美樹は何位・何票獲得するか?

第50回「地震と"野球の開催"」(1)「"春の甲子園"を開催すべきか?」(2)「プロ野球の開幕日を延期すべきか?」

第51回「"オシャレ"と"ダサイ"」入学の季節を迎えて、子供たちの姿をTVでよく見るようになっている。どの子ども(小学生)もみな整った可愛い顔だちをしている。いつからであろうか、都会の子供と田舎の子供の姿形に違いを見出すことができなくなってきたように感じる。

第52回「二つの"科学的" ~"正確な情報"とは?(続)~」(1)杉山君、コメントありがとう。おもしろいね。「信頼」と言う言葉ではなく「責任」の方がピンと来るとは…。(2)2011.4.15 フジTV「とくダネ」。

第53回「"災禍の統一地方選"という表現」二木がMCを務めている、「報道原人」(毎週土曜、AM10~、BS11)を見たことがあるだろうか。

第54回「東京に"支配された"東北」「東京のために、福島(東北)が犠牲になった。福島は、なんの恩恵も受けていない。」

第55回「亡国への道、無責任の蔓延」数年前から、急に出てくるようになった漫才コンビ「ナイツ」風に。

第56回「お上頼みの日本人」避難勧告が出された住民の中で、

第57回「この差・違いはなんだ?」①高島屋で福島+北関東3県に野菜の特売フェアが好評と言う。②菅首相が被災地を訪れた。東電社長も被災地を訪れた。

第58回「喜びや悲しみ(私情)と式(公の場)」(2011.4.23の朝のNHKニュ-スから)○写真(遺影)を持って小学校の入学式に列席する二人の母親の姿が

第59回「言葉の重さ、何を伝えるのか? ~風評被害をもたらすもの~」

第60回「大震災の復興への道」①「TBSサンデーモーニング」で…、このような電力多消費社会は…、②10時からの「サンデー・フロントライン」復興後の経済問題、復興資金の財源問題③短期では復興問題、経済・財源問題が重要であろう。

第61回「原発誘致の責任問題 ~第54・55回に続く~」

第62回「第57回の質問に答えたい」【質問】もし、あなたが総理大臣・東電社長なら、どのように被災者を訪ねますか?これに、竹田君、太田君、中村君、近藤君の4人が答えてくれた。ありがとう。

第63回「いいかげんにせんか!予算委員会の茶番」

第64回「日本の将来を議する国会議員」今日も、予算委員会が放映されている。自分たちの「これから」が論ぜられている。見・聞かねばなるまい………。

第65回「学者・識者の責任・曲学阿世~2011.4.30のTV~」

5月(24)
第66回「ビンラディン殺害報道に思う」O.ビンラディンが殺害された。TV・新聞が言わないことを述べたい。①なぜ「ゲリラと(戦争)」は肯定され、「テロ」は否定されるのか?…④ みな、「正義と悪」という図式を、そのまま信じているのか?アメリカ対アルカイダは、「正義と悪」か?

第67回「富山焼肉店事故の報道の仕方」TVニュースで焼き肉店の言い分を聞いていると、卸売店から勧められた「生食用」を使った、と言っている。…適当に、焼き肉店経営者の会見を「つまみ食い」して流していいのか?

第68回「心は見える」というACのCM電車の中で3人の生徒の内、一人だけが、女性が妊婦に席を譲っている所を見る。「見たもの」だけが「学んで」いる、「変わる」。ふざけている他の二人は「見ていない」。

第69回「外食で食中毒にならないのは…?~焼肉屋食中毒事件②~」①4月19日より26日の間に「焼肉酒家えびす」が集団食中毒事故をおこし…、「生食用」だから「安心」ではないんじゃないか?「生で食べられる」ように飲食店がきちんと衛生管理しなければ、「生は危ない」のだ。

第70回「イノベーションと安全性~焼肉屋食中毒事件③~」「業界の常識」に立っていては、これだけの急成長は難しかったのではないか?「肉の鑑定眼」を持つプロを各店で雇っていたのだろうか?彼は、事業規定を"飲食業"としたのではない。"チェーン店"としたのだろう。そして、その方向性に沿って、"イノベーション"も行ったのだろう。

第71回「福島原発事故の賠償・補償は誰がどんな形で?~福島原発事故の責任①~」①街ゆく人たちにインタビューしている。「仕方がないんじゃないですか?」「納得いきません」まぁ、「お約束」の「賛否両論」

第72回「秋田犬の里 ~秋田県大館市~」(NHK「小さな旅」日曜AM8~)秋田県大館市は、あの忠犬ハチ公も生んだ「秋田犬の里」だ。「里」が「里」であり続くのは、「里」を守っている人がいるからだ。

第73回「浜岡原発停止要請に対するTV局の姿勢」菅首相の浜岡原発停止要請に対して、「思いつき」という批判を各局のニュースショーで何回か聞いた?

第74回「東京タワーライトアップ再開に関して」①東京タワーのライトアップが再開された、(50%の節電をした上で)というニュースを「知りたがり」(8ch.10:00~)がとりあげていた。そのとき、「ライトアップしたことに、とやかく批判されるかもしれないが…」

第75回「大関・把瑠都の放言に関して」いかにもスッキリしない「技量審査場所」で、大関・把瑠都の「不謹慎な発言」が問題となっている。

第76回「新宿三越アルコット店の閉鎖」新宿三越アルコット店が閉鎖し、Big Cameraに変わるという。…80年の歴史のある、お客たちにも愛着のある建物なのだが、経営者たちにとっては、単なる「物件(モノ)」でしかないんだ!

第77回「坊主は本当に仏教徒か?」「お坊さんがズバリ解決~伸助の駆け込み寺~」(TBS19~21)という番組から。

第78回「"東京に原発を"の覚悟を持てるのか?」もう、20年以上も前になるだろうか、広瀬隆『東京に原発を』という本が出た。この「東京に原発を」論は、「極端」だろうか?なぜ「東京に原発を」作らないのだ?と聞かれたら、と何と答えられるだろうか?

第79回「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい①」4月11日の「三つに箱から世間を覗く(第45回)」「情報(データ)を出せ」という声~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」

第80回「東日本大震災関連で2題」○「工程表に変更なし」に、なぜそんなに文句をつけるのか?福島1号炉は、実はメルトダウンしていた。当初通りには冷却はできない、という。○「海の瓦礫を撤去する作業に国は金(手当)を出している。

第81回「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい②」=「情報(データ)を出せ」という声~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」

第82回「企業の責任と行政の責任 ~焼肉屋食中毒事件④~」ここ2,3日の議論は「生肉を"野放し"にしている行政の責任」だ。…コンプライアンス(だけ)で「健全な経営」が保証されるのか?…人間(の倫理観・責任感)を信頼できない社会、罰則があるから「悪いことをしない」社会、

第83回「長門裕之の訃報」長門裕之が逝った。キャリアを簡単に紹介した他、流された映像の3/4は、妻・南田洋子を看護するものだ。

第84回「児玉清と長門裕之」長門裕之の訃報に絡めて、彼の生き方とTVの取り上げ方について述べた。

第85回「海水注入55分間の中断を巡って」菅首相が「福島原発1号炉の海水注入の中止を命じたため、55分間の中断が生じ、その間燃料棒の溶融が進んだのではないか?」と、予算委員会で谷垣自民党総裁が質したところ、

第86回「注水中断(命令)はあったか、なかったか?事件 ~その2~」誰の指示で55分間の注水中断がなされたのか?で、国会、TVでワーワー騒ぎ、斑目安全委員長が言った・言わない、が問題になった。

第87回「大人の受け答えと大人げない」橋下大阪府知事が、「県議の数が多すぎる。鳥取県など6人でいい。」などと言った。

第88回「人の話を聞くとは」会社勤めをしている人は、毎朝10時からのフジTV「知りたがり」を見ることはないだろうだろうなぁ…。

第89回「AKB48の総選挙」何に興味を持ち、何に金を使うかは自由じゃないか、とひとは言う。だが、「善悪」「賢愚」は問うに値しないことだろうか?

6月(8)
第90回「信頼なきリ-ダー~菅首相は"良いこと"をしても、なぜ"思いつき"と言われるのか?~」…どんなに「良いこと」を言ったり、やったりしても、その人間が「信頼」されていなければ、評価されない。「信頼」には、「能力」に対する信頼と、「意図」に対する信頼がある。

第91回「"時間は見えない"ことに気付けない」大地震後3か月が経とうとしている。福島原発事故からも3か月。だが、仮設住宅も瓦礫撤去という「初めの一歩」も歩めていない。義援金の分配もストップしており、仮設住宅が出来上がっていても、生活に必要な現金がないために、避難所暮らしを続けている、という…。

第92回「信頼なきものの悲哀」鳩山前首相は「救国の英雄」…その世論(正論)に応えたのが、鳩山前首相であり、…彼により、・政治空白は避けられ・菅首相の近いうちの退陣が明確化が為されたのではなかったのか?

第93回「君は知っていたか?我が国が武力攻撃されたときの"警報のサイレン"が決まっていることを!」

第94回「鳩山救国英雄論 再論 ~信と徳①~」S山君が「鳩山救国」論に納得できぬとコメントしてくれている。その理由は、「鳩山前首相には"信"がない」からと書いている。

第95回「徳無き者は去れ、菅首相は即刻辞職すべきである ~信と徳②~」しかし、"論理"は限定して成り立つものである。いくら"論理的に正しく"ても、"納得"できるかどうかは、別問題である。

第96回「限定された知① ~研究者~」日本テレビ「金プラ!!"最高脳"」という番組を見た。東大、京大、筑波、早・慶の5校の理工系の教授と学生2、3名の5チームとタレント6名(石田純一がリーダー)の1チームが、中高生レベルの物理の知識の理解力・応用力を競う。

第97回「限定された知② ~教育者~」前回、大学教授の「日常の物理現象」に対する「驚くべき"限定された知"」について述べた。…「98歳伝説の灘高教師、奇跡の授業」

8月(2)
第98回「投票率が意味するもの」 昨日(2011.7.31)行われた埼玉県知事選は、「投票率は24.89%(前回27.67%)で、…支持率=自分を支持しているものがどれだけか、ではなく、…投票率は「自分が就いた職にどれだけ関心があるか」であるが、それが、「低い」ということは、ごく一部の「投票者」以外のことは「考慮に入れなくても構わない」ということにならないか?

第99回「家庭でできる"除染法"」だが、汚染地域がまだ福島県東部や一部のホットポイントに限定されている段階でこの情報を流す必要はあるのか?…「放射能の除染」と「温暖化のための省エネ運動(ゴミ分別など)」と同じと思っている!?

こう見ると、
①半年の出来事がわかる
②だが、後半は政治ネタが中心に
③最初のうちは、短い
④最初のうちは、ニュース以外も扱っていた(その時の方が面白かったなぁ…。ネタのバリエーションを増やすつもりだ。)
⑤7月にお休みしてしまった。書きかけのものも結構ある。夏休み頑張ろう。

2011年8月3日水曜日

「三つの箱から世間を覗く」第99回

「家庭でできる"除染法"」

NHK[朝イチ」(2011.8,2)で
「ペットボトル症候群」の話題のあと、
「家庭・個人でできる"除染法"」をやっていた。

以下、「勘繰り」をする。

避難勧奨地域のホットスポットを除染すれば、
その地域は、無理に逃げなくてもよくなる、という。
また、除染し、数値が下がれば、ストレスも減る、という。
それはそうだ。

だが、汚染地域がまだ福島県東部や一部のホットポイントに限定されている段階で
この情報を流す必要はあるのか?
疑問① 除染する必要がある地域以外の人にとって必要か?
疑問② 個人・家庭でやることなのか?できるのか?
疑問③ 除染して出た汚染物質はどうするのか?

現状① 福島原発では、今なお汚染物質を出し続けている
現状② 除染は地域レベルでやる必要がある。生活圏の安全化
現状③ 校庭・浄水場などの汚染物質・汚泥の処分法は未決定

結論① 国・TVは、各自に下駄を預けようとしている
結論② 家庭の不安につけ込むのか
結論③ 政府はあてにならない、あてにしない


○上述の除染に「子供をどう参加させるか」という(視聴者からの)質問や
ゲスト(宮崎美子)の意見に対して。

「放射能の除染」と「温暖化のための省エネ運動(ゴミ分別など)」と同じと思っている!?
そもそも、「子供の安全こそ」大事だからこそ、除染をするのであって、
子供を参加させ(汚染源に接触・近接させ)てどうするのだ!!
これは今ある危機からの「防衛」であって、
生活習慣レベルの「運動」ではない!

「三つの箱から世間を覗く」第98回

「投票率が意味するもの」
昨日(2011.7.31)行われた埼玉県知事選は、
「投票率は24.89%(前回27.67%)で、
1981年に行われた千葉県知事選の25.38%を下回り、全国の知事選で過去最低となった。
埼玉県知事選では、民主、自民、公明各党の県組織が相乗りで上田氏を支援した。
上田県政2期8年の評価が主な争点となったが、
連合埼玉などの団体や県内自治体の首長らの支援を受けた上田氏が終始、選挙戦を優位に展開、
脱原発などを主張する共産系新人らを圧倒した。」(読売新聞)

(厳密に言うと)4人に1人も投票をしなかったということだ。
行かない理由としては、次のようなものが考えられよう。
①投票したい候補がいない
②(自分が投票したい候補者以外の)当選がほとんど決定している
③関心がない

この文を読んでいる人たちも、思い当たるか、
③は別として、「同意、共感」するのではないだろうか?
私も、理解できる。

今「理解できる」といい、「同意、共感する」といわなかった。
②なら、それでもまだ投票所に行こう、と思えるかもしれぬが、
「誰にも投票したい、と思えない」のなら、行くまい。

だが、「行かなかったら、どうなるだろうか?」と考えてみたら…?

投票率が1割にも満たなくても、当選はできる。
その時、当選したものの意識はどうだろうか?

獲得率・支持率=自分を支持しているものがどれだけか、ではなく、
投票率は「自分が就いた職にどれだけ関心があるか」であるが、
それが、「低い」ということは、
ごく一部の「投票者」以外のことは
「考慮に入れなくても構わない」ということにならないか?
(支持者だけの利害が、自分のそれより優先されるのだ!!)

ほぼ10割の投票率だったら、どうだろうか?
自分の獲得率・支持率がたとえ5割強だったとしても、
「皆の関心・注目を集まっている、見られている」と
意識せざるを得ないだろう。

「①投票したい候補がいない」であったとしても、
候補者の中の誰かは当選するのである。
その候補者を支持していなくとも、
その当選者が政治を担当するのである。
自分の生活に影響を与えるのであるから、
上述した「投票率効果」の論理があてはまるのである。

現代が「鼓腹撃壌」の時代・社会なら、
「政治(家)なぞどうでもいい」から、
「投票しない」選択肢はありだ。

だが、景気・増税・年金という「経済」のみならず、
「安全」が多面的に脅かされている今、
「どうでもよく」はないのだ。

「どうでもいい」なら「誰でもいい」。
だが、「どうでもいい」ではないなら、
「誰を」も大事だが、
「どうでもいい」とは思ってないぞ、
関心を持って注視しているのだ、
権利を行使するのだ、
ということを「示す」ことが極めて重要だ。

菅政権は長くはない、というより、
これ以上続いてはならない。
だが、「では、誰か?」と問われたら?
「民主党はダメだ、自民党だ(or○○党だ)」と言えるだろうか?

「政治家に、政党に失望」しても、
「政治に失望する」ことがどんな意味を持つか?
「政治(家)に失望」して投票所に行かなかったらどうなるか?

「投票所に行く」ことにするなら、
「投票したい候補者・政党」が欲しい。
「投票所に行く」ことにするなら、
「投票したい候補者・政党」を探そうとするだろう。

そうすれば、見つかるであろうし、
その段階では見つからなくても、
皆が探し始めれば、
私が立候補しよう、
我が党に投票してもらおう、
としだすだろう。

景気低迷
赤字財政
TPP
食糧問題(自給率以外にも)
外交・領土問題
安全保障問題、憲法改定問題

そして、
少子高齢化
原発事故の解決(できるのだろうか?)
原発の可否
エネルギー問題
震災復興
地球温暖化
異常気象(頻発する豪雨などの自然災害)
(毎年のように起こる口蹄疫・鳥インフルエンザ・BSEなどの)食肉問題

凄まじいなぁ…。
戦後最大の危機、
というより日本近代化(明治維新後)以後最大の危機、
ひょっとすると、日本史上最大の危機ではないだろうか?
これだけの数の問題を。
それも、どうしたら解決可能かがわからないものがほとんどだ!

次の選挙の「重要性」を認識しているものが、果たしてどれだけいるのだろうか?
「重要性」の認識と、そこに立った選択、行為だけが、
上記した「未曾有の危機」の解決策だ、と私は思う。

投票するものと、されるものがどれだけ「本気」で
その選択するとき(投票日)まで過ごすか、が大事ではないだろうか。

(およそ1か月休んでしまった。
ネタも、書きかけもある。
夏休みになった。
レポート採点(およそ1,000部)もあるが、
また書いていきたい。)

2011年6月26日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第97回)

「限定された知② ~教育者~」

前回、大学教授の「日常の物理現象」に対する「驚くべき"限定された知"」について述べた。
それに、関連して。

日本テレビ「ウェーク」の1コーナーで、
「98歳伝説の灘高教師、奇跡の授業」(2011/6/25,8:00~9:30)は、見る価値があった。

国語の授業。
3年間にわたって中勘助『銀の匙』(※1)1冊を読んでいく。
百人一首が出てきたら、実際にやってみる。
わからないこと(例「祭り結び」)が出てきたら、
著者に手紙で尋ねてみる。等々。

優れた教師である。
彼を囲む同窓会には、
(流石、灘高だが)見たことがある顔がいくつもあった。
いい教師がいて、いい授業を受け、
それを理解し、感謝している「風景」はいいなあ…。
羨ましい。

「おお!」と思ったのは、
【まなぶ】
【あそぶ】
と板書して、
生徒に気づいたことを何でも言わせるところで、
彼は、「ぶ動詞」と書いた。

私も、第一感「"ぶ"が共通している」と浮かんだが、
彼の方が「上手(うわて)」だ。
「ぶ動詞」を「発見」or「発明」するのだから。(※2)
「ぶ動詞」がどんなものかは、放送されなかった。
「ぶ動詞」に共通する性格があるのかどうかわからない。
(今、考える余裕がないまま、この文を書いているので…。
とにかく、書いておかねば、忘れてしまう。)

だが、「ぶ動詞」と浮かぶかどうかは、決定的だ。
浮かばねば、そこからは何も出てこないからなあ…。
たまたま「ぶ」が共通していた「偶然」かもしれない。
だが、そこに何か「共通性=法則性」があれば…。

100浮かんで1「当たったら」!!
浮かぶこと0なら…。

発見、発明(イノベーション)は「気付くこと」から始まる。
何でもいい、何かに気付く。
「気付くこと」に「気付き」「”意識”する」ようになる。
「気付くこと=”問題”を持つ」により、
「見過ごしてきたこと」が、”情報”となる。
世界が変わる。

「当たら」なくてもいい。
浮かぶだけで、浮かんだものを考えていくだけで、
見えるものも変わってくる。
「楽しい」じゃないか!!!

(※2)
「ぶ動詞」を「発見」;存在していたが、誰も気づかなかったもの
「ぶ動詞」を「発明」;それまで存在してなかったもの

(※1)以下、wikipediaより
○岩波書店が創業90年を記念して行った「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫100〉」キャンペーンにおいて、
本書は、夏目漱石の『こころ』、『坊っちゃん』に次いで、3位に選ばれた。
また、岩波文庫版は113万6000部が発行され、岩波文庫で10位に位置するベストセラーとなっている。

○灘高校において国語教諭の橋本武(1984年(昭和59年)に同校退職)は、
本作品を授業に用い、一冊を3年間かけて読み込む授業を行なっていた。
その理解と解釈の深い掘り下げ方に物語は遅々として進まず、
生徒から「この進捗では200ページを3年で消化できないのでは」という声があがるが、
橋本は「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」とし
テーマの真髄に近づき問題をきちんと理解できるかどうか“学ぶ力の背骨”を生徒が物語から学ぶよう教鞭を取った。
この時の教室にいた生徒の一人に東大総長・濱田純一氏がいる。

三つの箱から世間を覗く(第96回)

「限定された知① ~研究者~」

日本テレビ「金プラ!!"最高脳"」(2011/6/24,19:00~21:00)という番組を見た。

東大、京大、筑波、早・慶の5校の理工系の教授と学生2、3名の5チームと
タレント6名(石田純一がリーダー)の1チームが、
中高生レベルの物理の知識の理解力・応用力を競う。

私が見たのは、3問だけだった。
一つは、長さ3~4mの板の一方の端に重りを取り付けたものと、
何もつけないものの2枚を立ててから、同時に手を放して、
どちらが先に地面につくか、を推測する問題。

2つ目は、
同じゴム風船2個に入れる空気量を変えた大小のゴム風船を
空気が行き来できるようにパイプでつなげておく。
最初は、空気の流れを止めておき、一挙に開放すると、
2つのゴム風船はどうなるか?
①大が膨らむ、
②小が膨らむ、
③同じ大きさになる、
の3択問題。

驚いた!空気圧のことは考慮しても、
ゴムの弾性については考えなかった、
と答えた教授2名。理由説明の時に口にしたのは0名!!

彼らがやっている実験の基本的性格、姿勢がうかがえる。
ある仮説を証明するために、
ある1つの関数・変数だけを調べるものではないだろうか?
科学は対象と方法を限定することにより成り立つ。

空気量の違いより大小が生まれている。
大小により空気圧に差が生まれている。
その空気圧に着目するのは、「正しい」。

だが、空気圧の差で風船のゴムに影響を与えることを見落とす。
実験室では、他の条件を一定にし、
1つの変数を変えていくとどうなるか?と、やっているのだろう…。
その「頭」で問題を解くのだから、
中高生レベルの物理の知識さえ「使えない」のだなあ…。

企業の実験、開発はどうしているのだろうか?
対象をトータルに見ない開発は、「失敗」するだろうなあ…。

科学と違い、哲学は、
・「意味」を問う。○○とは何か?
・「機能」ではなく「存在」を問う。
・「部分」ではなく「全体」を「総合的」に問う。

開発チームリーダーには、「哲学的発想・思考」が絶対に必要であることがわかろう。

受験秀才がダメなのも、
理系の社長が少ないのも、理解できよう。

面白い・わかる授業、学術書とビジネス書の違いなども
ここから論じることができる。

私は、途中から見た。最初から見たい。
何度か見たい。学生たちにも見せたい。
1年で1,2位の優れた番組だろう。

再放送してくれないかなあ…。
皆も、気を付けておいて、再放送があったら、
是非、見て欲しい。

2011年6月19日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第95回)

「徳無き者は去れ、菅首相は即刻辞職すべきである ~信と徳②~」

(承前)
しかし、"論理"は限定して成り立つものである。
いくら、"論理的に正しく"ても、
"納得"できるかどうかは、別問題である。

「何・どこが"納得"できない」のであろうか?
そもそも、菅内閣に対しては、国民は信任していなかったのではないか?
民主党に対しても信任(信頼)していない、というところまでは戻るまい。
菅首相ではダメだ、とは思っているから、
菅内閣の"延命策"を肯定・評価する気にはなるまい。

では、菅首相の何・どこが悪いのか?と聞かれると…?
他の誰がやったら、もっとうまくできたのか?

菅直人には"徳"がないのである。
鳩山前首相と取り交わした確認書の3項目を見ると、
党内、野党、官僚の3者に「言うことを聞いてもらうことが必要」であることがわかる。
(この背景には、国民・マスコミがいよう。)

「ひとに言うことを聞いてもらう」ため、人を従わせるには「力」がいる。
その「力」には、"権力(法・権限・暴力など)"と"徳"とがある。
党首や総理大臣には勿論、法・規則に基づく"権限"があるが、
それだけでは人は動くまい。
(それだけでいいなら、誰でも首相や課長になれる。)

リーダーシップやカリスマ性などと現代では呼ばれるが、
数百年を超えて(東洋では)、「徳」と呼ばれてきたものが必要であろう。
つまり、党内で従わぬ人がいる。信頼されていない。
野党からも"敵"とは言え、言うことを聞いてもらわねばなるまい。
官僚が言うことを聞かなければ、法案作成・実施はできまい。
マスコミ、世論・国民が、言うことを聞かなければ、支持率は落ち、政権は保てまい。

自分は悪くない、どこが悪いのだ?と思ったって、
人の上に立つものが、人に従ってもらわねば仕方がないのだ。
彼は、この当たり前過ぎるほど当たり前の、基本中の基本がわからない。
何でも自分でやりたがる、すぐ怒鳴る、というのはその証左だろう。
マスコミ受けする政策を自分の口から言うことが、
リーダーシップだ、と思い込んでいる。

小泉内閣総理大臣からであろうか?
"人の上に立つもの"に必要なものは、
"徳"から"リーダーシップ"と"人気"に変わったようだ。
(企業では、東電社長を見ていると、社長という職に就いている"権限"のようだ。)

「徳無き者は去れ」という常識を口にするものは、今はもういない…。

三つの箱から世間を覗く(第94回)

「鳩山救国英雄論 再論 ~信と徳①~」

①S山君が「鳩山救国」論に納得できぬとコメントしてくれている。
その理由は、「鳩山前首相には"信"がない」からと書いている。

確かに、鳩山前首相には"能力に対する信"がないと私も書いた。
だが、その"信"がないのは総理大臣としてに"能力"であったのであり、
民主党と言う政党を作り、ここまで育ててきた"能力"は持っていよう。
その"信"なくしては、民主党造反派は不信任案に賛成したのではないか?

「鳩山前首相は"救国の英雄"」論の論理は、
彼が間に立ったからこそ、内閣不信任案が否決されたことにより、
国民の誰もが望んでいない"政治空白"が避けられたのではないか?」
というものである。

「自民党など野党が、菅内閣不信任案を提出した、小沢グループが賛成するようだ」
というニュースを聞いた国民の誰もが、
「いい加減にしろ。そんな場合ではないだろ!
政治家は、一致団結して"国難"に立ち向かえ!!」
と思ったのではないか?
(ここでは、"事有れかし、騒ぎ・不幸は商売のネタ"と
思っているとしか思えぬマスコミは"国民"に含めない)

"一致団結"は無理だが、少なくとも、
総選挙という自民・公明両党が望む事態も、
内閣総辞職という小沢グループ達が望む事態も避けられ、
菅首相という、例え"信"なきリーダーであっても、
"国難"に政府が空白なしに立ち向かう、
国民の望みは達成されたのではないか?

鳩山前首相が"国難"解決への大きな障害を取り除いたのなら、
彼は"救国の英雄"ではないだろうか?

②以上の議論は、"論理、理屈"でしかないことは、わかって言っている。
①で伝えたかったことは、
「メディアの"場当たり的"、"論理不整合的"報道と、
それに踊らされる国民」である。

「菅内閣不信任案は間違っている、と言うなら、鳩山前首相のなしたことを評価せよ。」

この論理は、「菅首相の"浜岡原発停止要請"、"100万戸にソーラーパネルを"に対する評価」
と同じである。
これでは、リーダーの適切な意思決定は望むべくもあるまい。

"人は人、行為は行為"であり、(まずは)切り離して考え、評価すべきではないのか?

2011年6月10日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第93回)

「君は知っていたか?我が国が武力攻撃されたときの"警報のサイレン"が決まっていることを!」

本日(6/10)のNHK「おひさま」で空襲警報のシ-ンが出てきた。
空襲警報・避難訓練はドーリットルによる東京空襲の後からかと思っていたので、
ネットで調べてみたら、

何と!防空警報や避難訓練などに関する法律ができているのだ!!

「内閣官房国民保護ポータルサイト」に出ている。
(http://www.kokuminhogo.go.jp/pc-index.html)

まず目次から見てみよう。
「ポータルサイトの目次」
国民保護の仕組み
武力攻撃事態の類型(着上陸侵攻の場合、弾道ミサイル攻撃の場合、ゲリラ・特殊攻撃の場合、航空攻撃の場合)
緊急対処事態とは
警報のサイレン
有事関連法制について
武力攻撃やテロなどから身を守るために(パンフレット)
国民保護訓練
避難施設
国民保護計画・国民保護業務計画
(17項目からの抜粋)

武力攻撃事態対処法などで構成されている有事関連三法は平成15年に制定、
国民保護法、捕虜取扱い法などで構成されている有事関連七法の関係は平成16年制定されている。

ポータルサイトには、こうある。
○平成15年6月に有事関連三法(「武力攻撃事態対処法」「安全保障会議設置法の一部改正法」「自衛隊法等の一部改正法」)が、
与野党の幅広い賛成の下で成立しました。これにより、有事への対処に関する制度の基礎が確立されました。

○武力攻撃事態対処法は、
正式には「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」といい、
有事法制全体の基本的な枠組みを示した法律です。
武力攻撃が発生したときの対処に関して、
基本理念や国・地方公共団体の責務等を定め、武力攻撃事態等への対処のための態勢を整備するとともに、
必要となる個別の法制の整備に関する事項を定めています。

○国民保護法では、武力攻撃事態等において、
武力攻撃から国民の生命・身体・財産を守り、国民生活等に及ぼす影響を最小にするための、
国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置が規定されています。

このblogの読者で、知っていた人はいるだろうか?
私は、新聞・TVでニュースを見ていたつもりだが、しらない。
(「有事法制」については少しは知っていたが、「自衛隊」関連だけだった。)
見逃したのか?
忘れてしまったのか?
まめにチェックしていたので、見逃したとは、思えない。
これほどのことを聞いているのに、忘れるとは思えない。

つまり、マスメディアは、この「重要法案」のことを、TⅤではほぼ無視。
新聞では、ベタ扱いしていたのだろう。
それなら、気付かなくても、覚えてなくても当然だ。

この法案は、今「日本が攻撃される」可能性がある(それなりに高い)ことの繁栄であろう。
そして、可能性が「高い」かどうかではなく、「ある」かどうかの問題であり、
自衛隊・日米安保の存在は「(日本が攻撃される)可能性がある」ことを示している。
かねてから、「有事法制」の不備が指摘されており、
今回の法制化は、その内容の是非とは別に必要であろう。

だが、その重大事を報道しなかった!!
「攻撃される可能性がある」ことに国民・視聴者に気付かれたくない、
「どこが攻めてくるのだ?」「隣国を疑いの目で見るのか?」「侵略国は日本じゃなかったか!」
などの「反論、文句、非難」を避けたかった、
そんな意識が働いたのではないか?

ああ、「福島原発事故」と全く同じ構図だなぁ…。
どちらも「安全(安心)」に関わる超重大事である。
(だから、)
「知られて、騒がれたくない」
「口にして、文句言われたくない」
政府と東電、TV・新聞が共有している「体質」…。

「情報秘匿・隠匿」が為されるならば、
国民が、事故防衛のために「買い控え」をお越し、「風評被害」を起こす。
放射能の心配から、「放射能検知器」を手に入れようとする。
福島原発事故はいつ終息するのか、今後もっと悪化していくのではないか?と疑心暗鬼になる。
政府、マスコミを信頼しなくなる。

政府、マスコミは国民・視聴者を信用していない。
知らせて「騒がれ、非難される」ことを嫌がっている。

自分達(政府、マスコミ)の「説明の仕方が悪い」から、「騒がれ、非難される」ことに気付けない。
マスコミ(新聞もそうだが、特にTV)は、自分たちが「事あれかし」で、「大騒ぎして、人目(視聴率)を惹こう」とし、
事実を引き出すための(はずの)記者会見でも、相手を非難する姿勢を取りがちで、
かつ一部だけの摘み食い報道・放送をする
(記者会見の一部始終を流したことがどれだけあったか!?)。

自分たちの姿勢・体質が引き起こしていることに気付かず、
悪いのは国民・視聴者だと思っている。

国民・視聴者の「理解力の能力の低さ」が、政府・マスコミの説明姿勢(情報秘匿・隠匿)を生み出している、というのは「適切な理解」ではない。
政府・マスコミの説明能力・姿勢の「不備」が、国民・視聴者の(政府・メディアが望まぬ)反応を引き起こしているのである。

日本・国民を「不幸」にする、彼らの「理解」はなぜ、どこから生じているのだろうか?

「安全」に関わる超重大事は、「情報隠匿」は許されないのだ!
(「情報秘匿」をするなら、十分な責任感と覚悟を持ってもらわねばなるまい。)

見逃したのか?
忘れてしまったのか?
まめにチェックしていたので、見逃したとは、思えない。
これほどのことを聞いているのに、忘れるとは思えない。

つまり、マスメディアは、この「重要法案」のことを、TⅤではほぼ無視。
新聞では、ベタ扱いしていたのだろう。
それなら、気付かなくても、覚えてなくても当然だ。

この法案は、今「日本が攻撃される」可能性がある(それなりに高い)ことの繁栄であろう。
そして、可能性が「高い」かどうかではなく、「ある」かどうかの問題であり、
自衛隊・日米安保の存在は「(日本が攻撃される)可能性がある」ことを示している。
かねてから、「有事法制」の不備が指摘されており、
今回の法制化は、その内容の是非とは別に必要であろう。

だが、その重大事を報道しなかった!!
「攻撃される可能性がある」ことに国民・視聴者に気付かれたくない、
「どこが攻めてくるのだ?」「隣国を疑いの目で見るのか?」「侵略国は日本じゃなかったか!」
などの「反論、文句、非難」を避けたかった、
そんな意識が働いたのではないか?

ああ、「福島原発事故」と全く同じ構図だなぁ…。
どちらも「安全(安心)」に関わる超重大事である。
(だから、)
「知られて、騒がれたくない」
「口にして、文句言われたくない」
政府と東電、TV・新聞が共有している「体質」…。

「情報秘匿・隠匿」が為されるならば、
国民が、事故防衛のために「買い控え」をお越し、「風評被害」を起こす。
放射能の心配から、「放射能検知器」を手に入れようとする。
福島原発事故はいつ終息するのか、今後もっと悪化していくのではないか?と疑心暗鬼になる。
政府、マスコミを信頼しなくなる。

政府、マスコミは国民・視聴者を信用していない。
知らせて「騒がれ、非難される」ことを嫌がっている。

自分達(政府、マスコミ)の「説明の仕方が悪い」から、「騒がれ、非難される」ことに気付けない。
マスコミ(新聞もそうだが、特にTV)は、自分たちが「事あれかし」で、「大騒ぎして、人目(視聴率)を惹こう」とし、
事実を引き出すための(はずの)記者会見でも、相手を非難する姿勢を取りがちで、
かつ一部だけの摘み食い報道・放送をする
(記者会見の一部始終を流したことがどれだけあったか!?)。

自分たちの姿勢・体質が引き起こしていることに気付かず、
悪いのは国民・視聴者だと思っている。

国民・視聴者の「理解力の能力の低さ」が、政府・マスコミの説明姿勢(情報秘匿・隠匿)を生み出している、というのは「適切な理解」ではない。
政府・マスコミの説明能力・姿勢の「不備」が、国民・視聴者の(政府・メディアが望まぬ)反応を引き起こしているのである。

日本・国民を「不幸」にする、彼らの「理解」はなぜ、どこから生じているのだろうか?

「安全」に関わる超重大事は、「情報隠匿」は許されないのだ!
(「情報秘匿」をするなら、十分な責任感と覚悟を持ってもらわねばなるまい。)

2011年6月6日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第92回)

「信頼なきものの悲哀」

鳩山前首相は「救国の英雄」と言ってもよいのではないか?

今、日本は「国難」を迎えていると言われている。
その国難に対し、菅首相では立ち向かうことができない、
として今回の「菅降ろし」騒動が引き起こされた。
(実態(本音)は、民主党内の「菅ー小沢」対立につけ込んだ、
自民党の「民主党に対する揺さぶり」策であったのだろうが)

だが、「内閣不信任案」自体は不発に終わり、
菅内閣は継続して国難に当たることになった。
自民党の民主党崩しを「未然」に防いだのは、
鳩山前首相が菅首相と取り交わした「確認書」であろう。

この不信任案提案を自民党から提出されたあとのメディアの反応は、次のようなものだった。
①民主党内から「造反組」がどれだけ出るか?
 小沢グループはどう動く?
 可決されるんじゃないか?(ワクワク)
②もし可決されたら、菅首相はどう出る?
 被災地で選挙などできないぞ!
③この国難の折に、こんな政治ゴッコをしていていいのか?
 可決後の政治空白を起こしていいのか?
 被災者の人たちは怒っているぞ!

①②は、「無責任」なマスコミの「事あれかし姿勢」だが、
③は、国民・視聴者すべてが共有する「正論」であろう。
(勿論、菅首相を積極的支持するわけではないが)
世論は、「与野党が一致団結して国難に当たれ!」
不信任案提案に賛成せず、否決せよ、であったろう。

その世論(正論)に応えたのが、鳩山前首相であり、
彼により、
・政治空白は避けられ
・菅首相の近いうちの退陣が明確化
が為されたのではなかったのか?

それが、「泰山鳴動して鼠一匹」で終らず、ゴタゴタが続くのは、
菅の(鳩山前首相が言う)「ペテン師」的発言(と岡田幹事長発言)であろう。

だが、鳩山前首相の「功績」を評価するどころか、
やれ、「詰めが甘い」だの、「民主党のオーナー気取り」だの
ボロクソではないか!?
(「詰めが甘い」というは、"辞任"の文字がなく、期日がない。
だから、菅に「原発冷却化の目途(来年1月)がついてから」と言わせるのだ、と言う)

自民党は、仕掛けた策を鳩山前首相に阻止されたのだから、
菅の「前言翻し」に乗じて、「詰めが甘い」と非難し、嘲笑うのはわかる。
だが、「世論に立つメディア」は、
自民党の尻馬に乗って、一方的な鳩山批判を垂れ流してどうする?
(勿論、鳩山前首相の「ペテン師」的発言は大喜びで流しているが)

この件をネットで調べようと、
「確認書 鳩山」と入れたところ、
最初の2,3ページは、信濃毎日新聞の記事と、それに乗っかったblogばかりであった。
その信濃毎日新聞の記事とは、以下のようなものだ。

「…(略)…原発事故はいまも進行中の危機である。
さなかに起きた菅直人首相の不信任決議をめぐる
永田町騒動。首相と鳩山由紀夫前首相が交わした確認書に驚いた。
1番目に「民主党を壊さないこと」とある。
震災復興はおしまいの3番目。
この人たち、よくよく優先順位を間違えている。…(略)…」
(「信濃毎日新聞」2011.6.6 http://www.shinmai.co.jp/news/20110604/KT110603ETI090004000.html)

鳩山前首相に対する批判は次の2点か。
①詰めが甘い
②被災者(国民)の方を向いていない

この批判を検討してみたい。
まず、①「詰めが甘い」だが、
彼(鳩山前首相)はわかっていなかったとは思わない。
(a)菅が、「辞任の文字」「時期の明確化」に抵抗した(だろう)  
(b)菅の気持ちが理解でき、それを受け入れる感覚が、菅を信頼させたのではないか
 (それを「甘い」と言うのだろうが…。私は、少なくとも日本人同士なら「信に立つ」を評価したい。)
(c)説得する時間が十分になかった
(甘いというなら、下交渉して、確認書を作った、北沢防衛相(菅サイド)と平野博文元官房長官(鳩山サイド)
はどうなのだ?)

②「被災者(国民)の方を向いていない」に移りたい。
確かに、そう受け取れるであろう。3番目だからなぁ…。
だが、この「確認書」は、どんな文脈から生まれてきたものだろうか?

確認書の第1項と第2項はTVでも全く問題にされないが、
まず、「民主党を壊さないこと」と「自民党政権に逆戻りさせないこと」であったことを確認しよう。
(これを読んでいる人は、目に留めているだろうか?)

自民党が仕掛けてきたのである。
与野党の議員数からして、可決されるはずがないものであるのに、なぜ出したのか?
世論は、復興第一、挙国一致、大連立せよである。
だから、今までのように与党案に反対することが難しくなっている。だが、
(a)ただ大連立をやったって、民主党政権を利するだけ。
 「自民党は、挙国一致で復興を推し進めたいのだが、
  菅がいるから協力ができない。
  菅以外なら協力する。」
  と言うことで、自民党は「復興を重視している」ことをアピールする。
(b)菅vs小沢を利用して、民主党を揺さぶる。
  小沢グループが離脱してくれれば、めっけもの。
  衆院の過半数を割り込むことになる。
  そうならなくても、内輪もめがおこることで、
  菅政権・首脳陣に対する(党内・国民からの)信頼が低下する。
(c)もし、内閣不信任案が可決し、菅が総選挙にしてくれれば、メッケものであるばかりでなく、  
  民主党は割れ、かつ生じるであろうゴタゴタに国民は信頼感を低下するおまけが付く。
どっちにどう転ぼうと全く損はない策であろう。
問題は、「この時期に!?」という非難だけである。
だが、「菅が悪い。菅以外なら」という名分を立てれば、
また、マスコミは(ゴタゴタ好きで、政府批判が好きだから)たいして批判しないだろう、と読んだのであろう。

だからこそ、第1項「民主党を壊さないこと」と
第2項「自民党政権に逆戻りさせないこと」が書かれたのであろう。

そもそも、内閣不信任案自体が被災者のことなど何も考えられていない、
自民党の党利党略から出されたものである。
それに対する対策には、被災者の観点はないのが当然ではないか?
自民党からの仕掛けにどう民主党を守るのか、の観点から確認書が作られるのだ。
この確認書が問題なのではない。
この確認をさせた自民党の不信任案の当否を問うべきであろう。

そういう背景を(わかっていても)問わずに、確認書を非難する新聞のレベルは無残だ。
もしわかっていて、こういう議論をするなら「低劣」と言わざるをえない。
この信濃毎日の記事を受けて、「民主党の姿勢非難」のblogが(ヒットの)上位を占めていた。
正確で公正な報道があって、はじめて健全な世論が形成されるのである。

最後に。
菅は、「意図」に対する信頼を得ていないために、
何をやっても評価されない、
と先日書いた。
鳩山前首相は、「能力」に対する信頼を得ていないために、
これまた、何をやっても評価されないのだなぁ…。

「信頼」の大切さは企業でも同じであることは、あらためて言うまでもあるまい。
だが、経済性や効率性が「信頼(安全性)」を忘れさせることに
「恐れ・畏れ」を感じている企業はどれだけあるだろうか?

2011年6月5日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第91回)

「"時間は見えない"ことに気付けない」

大地震後3か月が経とうとしている。
福島原発事故からも3か月。

だが、仮設住宅も瓦礫撤去という「初めの一歩」も歩めていない。
義援金の分配もストップしており、仮設住宅が出来上がっていても、
生活に必要な現金がないために、避難所暮らしを続けている、という…。

福島原発事故の解決も、
言われている外国との協力も、
瓦礫の撤去、汚染水対策、人員増強も何も進まず、
本当にいつ冷却化が達成されるのかの見当がつかない。

そして、今回の「菅降ろし騒動」である。

一刻も早い対策を、菅(の存在)が邪魔している、という。
だが、菅以外の誰がやったら、もっと速くできただろうか?
谷垣自民党総裁なら、とは誰も思うまい。
じゃ、他に誰が・と聞かれても、
今回、「ポスト菅」の名前が出てこなかったじゃないか!?

官僚は、現状は把握していると思うが、
なぜ動かないのだろうか?
国交省、厚労省、文科省、財務省等々の各大臣は何をやっているのだろうか?
本当に、やろうとしていることを、菅首相が邪魔しているのだろうか?
もし例え邪魔されたって、職務、被災者のために頑張らないのだろうか?
できない理由に菅の名前を上げるが、
被災者たちは、まだかまだかと待っている。
放射線・能対策は一刻を争うのではないだろうか。、

時間だけが経つ。
約3か月85日が経った。
無為・無駄に過ぎた。
なぜ、放っておけるのだろうか?

「時間の経過」それ自体は目に見えない!
だから、「時計」と「カレンダー」で確認している。
だが、「時間」とは「変化」だ。
「時計」と「カレンダー」で時間が経ったって、
「変化」を身を以って、五官で感じなければ、
「時間の変化を実感する」ことはできまい。
白髪を発見したり、体力の衰えを実感して、
初めて歳を取ったことに気付くのだ。

「時間は見えない」から、
「変化」が見えない限り、時間の経過は実感できぬ。

菅は被災地の視察に行った。
そこで何を見たのだろうか?
「視察」とは、見に行くことだが、
彼は、行かねばならぬから行っただけであり、
(心から)見に行きたい、見に行かねばならぬ、と思ったわけではないと思う。
だから、見たって、心には残らない。
心に残らない限り、「対象の変化」を見ようとしないし、「対象の変化」は見えないのだ。

「時間」は「カレンダー」では経過しても、
「変化」を「見る(感じる)」「心」がない限り、時間は立たないのだ。
だから、
①時計とカレンダーで「時間管理」をするのだ。
②「心」が向かないものの「変化」は気が付かない、気にかけない。

行政や企業は①は十分わかっているが…。

(本当に、本当に蛇足だが、
数値で表す「市場の変化」は気付いても、
社会・世界、顧客の変化は感じ取れないし、
自社・従業員、経営者(自分)の変化も気付けないのでは…。)

2011年6月3日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第90回)

「信頼なきリ-ダー~菅首相は"良いこと"をしても、なぜ"思いつき"と言われるのか?~」

菅首相は、何をしても、何を言っても、評価されない。

消費税について口にしないのは無責任だ、と言われていた。
かねてから、「最も危ない原発」と言われ、浜岡原発の危険性は指摘されていた。
"原子力から自然エネルギーへ"が福島原発事故後の日本の世論ではなかったか?

世論・社会・マスコミが要求していたことばかりであり、
その決断には大きな賞賛こそ相応しいのではないのか?

にもかかわらず、「思いつき」「プロセスが見えない」と批判される!?

どんなに「良いこと」を言ったり、やったりしても、
その人間が「信頼」されていなければ、評価されない。

「信頼」には、「能力」に対する信頼と、「意図」に対する信頼がある。
きちんとできる「能力」を持たぬやつに(信頼できないから)、任せることはできない。
「能力」はあっても、その能力を自分の利益ばかり図るやつ(「意図」は信頼できない)にも任せることはできない。

菅首相には、「実行力」がない、「リーダーシップ」がない、と
「能力」に対する信頼がないようだが、
その「能力」に対する信頼もよりも、
「意図」に対する信頼がないのではないか?

「意図」に対する信頼がないから、
すべてが頼りなく、ダメに見えるのではないか?

やり方、言い方はともかく、
浜岡原発停止要請などは「実行力」がないということにはならないのではないか?
本人は、「実行力」がない、「リーダーシップ」がない、
と言われるのは全く納得できていないだろう。

「菅さん、あんたは”ええカッコしたい”だけで、
総理の椅子が欲しいだけであり、
国民のため、被災者のため、という考えは持っていない。
少なくとも、みなそう思っている。
あなたには"動機・人柄(意図)に対する信頼"がないのです。」
と、言われれば、不愉快だろうが、黙らざるをえないのではないか?

と、ここまでを一昨日に書いていた。

そして、昨日・今日の「菅下ろし、内閣不信任決議」騒動で、
菅という人間は、本当に「信頼」できないことが満天下に明らかになった。
鳩山前首相の、なんとか国会運営と民主党を守ろうとする努力を無にする発言には、耳を疑った。
(菅にとっても救いの神ではないのか?)

大切な同志に嘘をつき(鳩山は甘いが嘘をつく人間ではあるまい)、
不信任決議に反対した民主党員まであきれさせ、失望させる。
国民は皆、唖然以上の驚きを与えたのではないだろうか?

これほどの「食言」、これほどの「手の平返し」を、
国民の前で演じることができるのは彼の人格もあるだろうが、
岡田幹事長、枝野官房長官の発言を聞くと、
この政府首脳陣は「視野狭窄」に陥っているのだろう。

自民党が仕掛けた、民主党を分解・弱体化させんとして菅ー小沢の不仲に付け込んだ策に乗った議員を許さない、
という論理・感情はわからないわけではない。
だが、「大義」のために以下に妥協・調整していくかが「政治」というものではないのか?
「理想家(夢想家)」鳩山が政治家として、まとめ、事を収めたというのに…。
松木謙公の処分を即日発表するのも、いかにも余裕がない拙速というべきであろう。

この内閣首脳陣は、国家どころか自党(全体、未来)すら視野に入っていない。
「意図に対する信頼」がなく、「自分」だけしか目に入らないリ-ダーなど、
「危険」以外の何物でもあるまい。

菅を退陣させるのに、自分達(自党)でできず、野党の策に乗っかる「造反組」と、
「嘘と力」で押し通そうとする首脳陣。
民主党は、「能力」と「意図」のどちらの「信頼」もできないことが明らかになった。

私は、この菅の食言と幹部たちの「鉄面皮」にショックを受けている。
好意的に見れば、大震災と原発事故に押しつぶされそうになっているのだろう。
だが、「(能)力」無き者は「信」じることはできず、
「信」無き者に「(権)力」を与えることはできない。

自民党もどれほど違うだろうか?
経済・財政問題、領土問題、温暖化・エネルギー問題などに加えて、
大震災と原発事故。
まさに「国難」と言えよう。
だが、その「国難」に立ち向かうものが、かくも非力・低劣では…。
それに代わるものすらいない。
このことこそ「真の国難」ではあるまいか…。

にもかかわらず、国民は絶望していないようである。
「楽観的」だからではあるまい。
「どうでもいいから」であろう。
「民主党も自民党もダメだ」と言ってすませることができるのだなぁ…。

2011年5月28日土曜日

三つの箱から世間を覗く(第89回)

「AKB48の総選挙」

○AKB48の総選挙がまた行われる、とTVが騒いでいた。
選挙権をCDを買うと得られるという。
1枚買うと1票得られるから、一人で何十枚も買うものもいるという。
(一人で1,000枚買った若者(bakamono?)がTVで取り上げられていた。
彼の部屋は、箱に入ったままのCDが何十箱もあった。)

○何に興味を持ち、何に金を使うかは自由じゃないか、とひとは言う。
だが、「善悪」「賢愚」は問うに値しないことだろうか?
若者が貴重な時間を割いて(勉強等ではなくバイトで)得た金が、
そのようなものに使われる。

人は、与えられた選択肢の中から選択し、
また、その社会・集団の価値観に従って選択する。
「AKB48の総選挙」というイベントの参加権ならまだしも、
CD1枚(2,500円位?)につき1票の投票権を売りつける。
聞くだけなら1枚、最近のようにコレクションとしてもせいぜい2枚しか売れないところを、
何枚、何十枚、何百枚と買わせる。
自分のこのみのアイドルをスターダムに押し上げる、
パトロンとしての行為を普通の若者に与える「革命的意義」がある、
と見ることも可能であるが、
「革命」だからといって、「善」である保証はない。

彼は何十枚、何百枚買って、(金の使い方として)一時的に満足しようとも、
自分の未来を切り開くための投資にはなるまい。
だから、十年、二十年、または三十年たった時、
その何十枚、何百枚の(同じ)CDを見て、
満足するだろうか?後悔しないだろうか?

いや、たとえ、本人が後悔しなくとも、
若者の未来の投資として、貴重な時間と金を本人・親・社会は注ぎ込む。
私は、その期待に応えることを仕事・職業としている。

その若者を、かくも愚かな(「と私は思う」、と断らねばならぬ「愚かな」社会)行為に駆り立てる。
(いくら合法的であっても)許される行為なのであろうか?

○ラジオでも取り上げていた。
5/26(木)TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ」で、
山田五郎は、「聞きもしないCDを一人が何十枚も買うとなった時、
「売上ランキング」に意味がなくなる。」批判していた。
(事実、宇多田を抜いて1位となった!?)

しかし、荒川強啓は「うまいことを考えますねぇ…」というばかりである。
確かに、ほとんどのものが。秋元康の商売のうまさに感心しているであろう。

「自分が応援するアイドルをスターダムに押し上げる快感・満足を与える」
ことを商品化したことは「革命的」であろう。
「握手券」「投票券」を付けることにより、そのおまけ目当てで、複数買わせる。
かつての「ビックリマンチョコ」の商法と同じだ。

「ビックリマンチョコ」の商法は、
シールをとった後のチョコ自体が道端に捨てられていたりして、
(本当に捨てられていたかどうか?TVだから…。)
社会的に非難されたのではなかったか?

子供相手なら許されないが、若者相手ならいいのか?

本人も・誰も気付かなかった「欲望」に応える。
持っていなかった「欲望」を持たせる。
その「欲望」を満足させることまで「善」とするが、
「悪」ではないのか?

(私は最初、この文を、「天国と極楽」のところで、
AKB48関係者の誰が天国・極楽に、誰が地獄に、
という問題として取り扱おうか、と考えていたが、
ひとの死・不幸を予想・願うようなものは、
受け入れがたいのではないか、と思い、この形で論じている。)

○何が「幸福」、何が「満足」かなど、絶対的なものなどない、と言う。
何が「愚か」かなど、決められないじゃないか!と言う。
そのくせ、島田紳助の番組やQサマなどを見れば、
「賢い」は客観的にある、と思っているようだ。
しかし、その「賢い」は、
「知識が多い」=クイズい強い。
「テストの点が高い」
「金儲けがうまい」
「他者に先んずる(出し抜くでも可)」
でしかない!!!!!!!!!!!

全体的・総体的・社会的ではなく部分的・個人的に、
長期的ではなく、その時・短期的に、
「合目的的」であれば「賢い」という。
そう、「市場原理」「市場社会」の「経済人」だ。

「常識」「伝統」「倫理」を大切にするものは、「囚われている」とし、
合法的であれば、否定・破壊して「結果を出す」もの(イノベータ―)は「賢い(優れている)」という。
(そのくせ、驕ると、寄ってたかって「犯罪者」に仕立て上げる。
ホリエモンや村上のように…。)

社会は「法」と「規則」だけでは秩序化できない。
常識や、倫理・道徳という社会で共有された価値観・美意識が必要である。
市場社会は背後に(同時に)市民社会を有し、そこには宗教と都市共同体の伝統・慣習という、
共有された価値観・美意識が必要である。
現代日本は、その必要不可欠な価値観・美意識を「目の敵にする」かのようだ。

「しなくてもよいことはしない」
その判断には「見識」がいる。
「儲かるとわかってもしない」
その決定には「意志(覚悟)」がいる。

「豊かな社会」は「金にあくせくしない社会」であろう。
だが、現実は、「金をどれだけ儲けたか」で評価される社会となっているようだ。

三つの箱から世間を覗く(第88回)

「人の話を聞く」とは

会社勤めをしている人は、
毎朝10時からのフジTV「知りたがり」を見ることはないだろうだろうなぁ…。

その日10時までの各チャンネルのニュースショーをまとめた番組。
「なるほど!」各チャンネルをザッピングしている私などは、
感心し、ありがたい番組だ。
その日の共通テーマについての解説もなかなかいい。

この「知りたがり」のコメンテーターも考えられている。
いわゆる「オバサン」中心、
30~60代女性という視聴者の代表3人を
コメンテーターにして画面右側に、机なしで椅子に座らせている。

通常レポーター・解説者のあとに、コメンテーターに語らせる。
だが、この番組は、解説者(「わかる人」と呼ばれている)の解説中に
「オバサン」たちに相槌を打ったり、質問したり、口を挟ませる。
今日は、解説中に話の流れと無関係に、目立つ声で笑った。

おばさんたちは、よくアイヅチを打ち、笑う。
講演では実にありがたい聞き手である。

私が相手にしているのは…。
わかったのか/わからないのか、面白いのか/ツマラナイのか、
講義を聞いている学生は、表情も変えず、黙ったまま。
聞いているいるのか/いないのか、わからない相手に話すのは、本当にツライ!
だから、おばさんたちは、話し手にとっては「神様」だと思う。

だが、だが、彼女たちは、レスポンスしているのだが、
はたして、「聞いて」いるのだろうか?

反応はしているのだが…。
「聞いて」頭に浮かんだことを口にするだけ。
それが、「そうそう」「まあ」「へー」というアイヅチに。
ピンとこなければ、質問に。

「結論」が問題である話は、最後まで聞かねばならない。
そして結論が納得できるかどうかが大事で、
「納得」するために「必要なこと」を質問する。
だから、基本的には最後まで話を聞く。


話には「聞く」と「聴く」があり、
こういうことなんだろう。

私の話は、普段から「聴く」ことを要求する話であり、
しかも、概念を説明するためのの話が挿入されたり、
イメージ連鎖により「尻取り話」となる傾向がある。

聞かされている人、すまない。
途中で適当に口を挟んでくれ。
質問でもいい。話の内容に関する自分の意見でもいい。

(蛇足だが)途中で口を挟みにくいならば、
最後にどんな感想を言おうかを、考えながら聞くようにしてはどうだろうか?
それが「聴く」話の「聴き方」であろう。
そのような「聴き手」を相手に話すことは、
快感であり、幸福である。

2011年5月27日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第87回)

「大人の受け答えと大人げない」

橋下大阪府知事が、「県議の数が多すぎる。鳥取県など6人でいい。」などと言った。
これに対して、鳥取県知事が、「大阪の人が鳥取県の自治について議論するのは差し出がましい。大きなお世話だ」
と不快感をあらわにした、という。
橋下は、一生懸命でなかなかよくやっているが、些か子供っぽく、失言が多いというのが大方の認識だろう。
今回の「人口10万人当たり県議1名」という案は一つの聞くべき考えであろうが、
「例えば」と言って鳥取県の名前を出すのは、いかにも軽はずみで、思慮に欠ける発言であろう。

橋下府知事のような「子供っぽい(大人じゃない)」人物の発言に対して、
鳥取県知事の反応は、いかにも「大人げない」、のではあるまいか。

相手は悪気があったわけではないのは明らかなのだから、
笑いながら、嗜めるような発言ができないのだろうか?
「鳥取の名前を出す位なら、滋賀や奈良を…」と口走るに至っては、情けないと言わざるを得まい。
自県の名が出されて不愉快なら、滋賀や奈良と言うべきではなかろう。
同じレベルに降りて、どうするんだ?

菅といい橋下といい、ああ石原都知事もいた、行政の長になったものが、
かくも「大人げなく」なったのはどういうことだろうか?
いや、彼らほど「子供っぽく」はないが、他の政治家も社長さんたちも「大人の貫禄」は感じさせてくれない。
礼儀にしたって、街中での、社外・仕事外での、50、60代の大人、特に男は、若者たちより劣るのではないか?

「若さ」を無条件に礼賛し、憧れ、
「貫禄をメタボ」といい、「熟練・経験よりイノベーション」を重要視したことにより、
「大人」という概念が薄れ、失われ、
大人が「大人」ではなくなってしまったなぁ…。

麻生、鳩山、菅、そして小泉だって、最近の総理大臣は皆大人ではない。
それが、政治に対する「不信感」の基底にあろう。
「大人」の恐ろしさを感じるようだったら、
メディアも国民も、今のように馬鹿にするのではなく、反感・憎悪を感じているのではないか?

アメリカも同じ傾向があるようだが、
日本は、世界でダントツに「大人」がいなくなった社会ではあるまいか?

かくいう私も他人事ではない。
「大人の振る舞い、大人の受け答え」ができないなぁ…。

三つの箱から世間を覗く(第86回)

「注水中断(命令)はあったか、なかったか?事件 ~その2~」

誰の指示で55分間の注水中断がなされたのか?
で、国会、TVでワーワー騒ぎ、
斑目安全委員長が言った・言わない、が問題になった。

発表した方が得か?
発表するなら、いつしたら得か?
何を選んで、何を捨てて、
どういう形で(記者会見か、文書か、リークか)発表した方が得か?
どういう表現(言葉・文章で)したら得か?

いや、「得か?」じゃなく、「責められないか?」だろう。
発表したら、「何していたんだ、とか今まで隠していたんだろう」と責められるのは嫌だ、
と思っているんだろうなぁ…。
政府も保安院も東電もその観点だけで発表しているのではないか、と疑わざるを得ない。

こうなったら、完全に信用・信頼できまい。
必要な能力と責任感を持ち得ていない、と疑われている
菅政権、政府、東電であることが明らかなのだが、
正直・誠実を失い、疑われては、完全に終わりであろう。
一刻も早く、政権交代、安全委と保安院のお役御免、東電以外による対応が求められる。

2011年5月23日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第85回)

「海水注入55分間の中断を巡って」

菅首相が「福島原発1号炉の海水注入の中止を命じたため、
55分間の中断が生じ、その間燃料棒の溶融が進んだのではないか?」
と、予算委員会で谷垣自民党総裁が質したところ、
菅首相は、「そのような事実はなかった、何よりも海水注入を聞いていない。」と答えている。

谷垣は、「なかった」と聞いて、それ以上、この問題の追及をしていないようだが、
(TV局は、それ以後の質疑を全く報じないので残念ながらわからない。)

「何よりも海水注入を聞いていない。」という答えに対して、
○では、誰が海水注入を決定・命じたのか?
○そのことを調べたのか?
○「聞いていない」と言うが、聞いていなくてはいけないのではないか?
 自分のところまで情報があがっていないことを、調査・問題にしたのか?
○そもそも、海水注入を決定したのは、現場の所長だという。
 これは、最高責任者たる総理が決断すべきことではなかったのか?
○以上の諸点をきちんと確認していないとしたら、
 あなたは必要な情報を持たずに、適確な決定ができない、
 ということになるのではないか?
 あなたは、この原発事故対策の最高責任者としては不適格である!

と、なぜたたみ掛け、追及していかないのか?

形としては、「責任追及」をしているようだが、
動機・内実は「あら捜し、咎めだて」なのだろう。

何があったのか?何をしたのか?という「事実」を明らかにすることを求めていない。
「事実」を明らかにすることにより、自ずから「責任問題」が明らかになるのではないか?

相手を「否定する」ことだけに終始する姿勢からは、
「責任問題」は明らかにならず、
また、そのような人間が、きちんと「責任」をとることができるとは思えないのだが…。

この「あら捜し、咎めだて」は、野党だけでなく、
事実を明らかにすることが仕事のマスコミ(特にTV)もまったく同じだ。
「あら捜し、咎めだて」されるばかりだから、
政府も東電も隠す。

そして、TVは事実を明らかにせよ、と言う…。

三つの箱から世間を覗く(第84回)

「児玉清と長門裕之」

長門裕之の訃報に絡めて、彼の生き方とTVの取り上げ方について述べた。

児玉清の息子が言う。
彼は家族には、「(自分の仕事に)自信がない」と言っていた。

「畏怖心」「畏れ、慎み」が言わせた言葉ではないか?
若手の俳優に対するアドバイスや、
中学時代の友人達との交流のあり方を聞くと、
彼の知性による配慮というものを感じる。

彼が言った言葉が紹介された。
「亡くなった人に贈るものは、悲しみではなく、感謝だ。」

「なるほど」と大きく頷かせる言葉じゃないか?

だが、周りの人々に、感謝されぬ生き方をしていては、
悲しんでももらえまい。
この言葉は、残されたものに求められる姿勢と、
逝くもの(の生前の生き方)に求められる姿勢の両面があるなぁ…。
そして、難しい…。

本を読むことが本当に好きだったという。
書評番組を持てるというのは相当のものだろう。
棺にも読みかけの洋書を含めた数冊の本が入れられたという。

感性と知性で自分を作り上げていったのではないか、と感じる。
ただ、両方を持っている、というのではなく、
知性で感性の方向性を定め、
その感性でキャッチしたものを知性で自己のものとする。
勿論、児玉清に関してTV以上の情報はない。
(博多華丸の「その通り!」「アタック・チャンス!」が浮かぶ、
と言えば、その程度はわかってもらえよう。)

これに比べて、長門裕之の「幼さ」はどうか!
俳優としては評価はされているようだから、人並み以上の感性を持っているのであろう。
だが、その振る舞いは、妻や多くの人を傷つけた本を出したことを筆頭に、
枚挙の暇がなさそうである。

(「感性」の差は別にして)
二人の差は「知性」の差ではないだろうか?
人を見る、自分を見る(顧みる)時に、
「知性」のフィルターを通すこと、
「知性」のコントロールが大切なことを、教えてくれているのではないだろうか。
「知性」が、児玉清に「配慮、畏れ、慎み」を与えていたのではないだろうか。

同じ77歳で逝った二人の生き方。
考えさせられる。

2011年5月22日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第83回)

「長門裕之の訃報」

長門裕之が逝った。
キャリアを簡単に紹介した他、
流された映像の3/4は、妻・南田洋子を看護するものだ。

○女優の老いさらばえただけでなく、演技ではない姿を、
(多分)理解して同意していないものを、撮り、流す。
「妻への贖罪」だの、「人間は誰でも老いる。その老いの姿を。」と、言う。
ナルシズムじゃないか!
浮気のし放題で、好き勝手をやり、妻に苦労を掛け通しだった。
その妻を「贖罪」と「老い」の手段・題材に使う。

献身的な妻への看護を「立派」とTVは言った。
金はたっぷり持っているのだから、
映像に映し出される以外の看護は、他人に任せることは可能だ。
(その事実を私は確認していないが)

私は、これほど身勝手な男の姿を世間が賛美するのを何年か前に見て、
何とも言えぬ不快感を感じた。
二人が映っているが、映されているのがわかっているのは長門一人。
そして、コメントされるのも長門一人。
(南田洋子は長門に看護されている対象としてのみ語られている。)


○今回、長門裕之の訃報を伝えるにあたって、
この「無残で、身勝手な、他人に見せるべきではない(と、私は思う)」映像、
ほぼそれだけで長門は「紹介」された。
これまで、このように釈然とせず、逝ったものを悼めない訃報報道はかつてなかった。

彼は、映画俳優であり、優れた作品もいくつもあろう。それを、作品名を流すだけ…。
映像の時間の配分から見れば、長門裕之は俳優ではなく愛妻家(献身的看護をした夫)であった。

美人女優の「老いさらばえた姿」の方が、見たいと思う視聴者が多い、という判断と、
この「刺激的なもの」を自分たちも見たいと番組製作者は思ったのではないか?

長門の「(愚かなナルシズムによる)看護フィルム」は、
南田洋子を2度、長門裕之を1度(2度)「辱めた」。
TVは、長門の「愚かさ」を利用した。
このフィルムで1回商売したのだから、
今度は、「情け」を持ってやってほしかったなぁ…。

(※)このフィルムに関する是非はいろいろあるかと思う。
だが、南田洋子の立場に立てば、
今回の訃報の流し方を見れば、
私は「愚行」だと思わざるをえない。

2011年5月20日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第82回)

「企業の責任と行政の責任 ~焼肉屋食中毒事件④~」

この事件が、まだニュースで取り扱われている。
「食べ物」しかも、みんな大好き「焼肉屋」のネタだもんな。

ここ2,3日の議論は「生肉を"野放し"にしている行政の責任」だ。

「衛生基準」がある。
ほとんどの店は、「衛生基準」を守ってきたと思う(そんなに事故が起こっていない)。
事故を起こしたらどうなるか、が「わかっている(大ダメージを受ける)」からだ。
今度、その「当たり前のことがわかっていないヤツ」がしでかした。

「その「責任」は「行政」にある。」
「厚労省は、何しているんだ!厳しい基準を作れ!」
の大合唱だ。

「衛生基準」に不備があったのか?
「衛生基準」通りにやっていたにも関わらず、事故が起こったのか?
それなら、わかる。

だが、
生食可能の肉を「お墨付きの生食用」として流通させよ、という。
「生食可能の肉」を「衛生基準」に反した調理の仕方をすればどうなるか?

「罰則規定」がないじゃないか?と言う。
「罰則規定」なんて、儲けに比べりゃ、ばれなきゃいいんだ、
というやつには「へのツッパリ」にもなるまい。
「O111による食中毒」なぞ焼き肉えびすの勘坂社長にとっては「想定外」だった。
「罰則規定」があってもなくても同じではなかったか?

コンプライアンス(だけ)で「健全な経営」が保証されるのか?
「安全なものを提供しなければ…」
「プロとして、恥ずかしい…」
「我々は、食べ物を扱っているのだ」という
「責任感」「倫理観」が、多くの「食べ物屋」を支えているのではないか?

蓮舫が「生でも大丈夫ですか?」と店に聞いてくれ、と言う。
「大丈夫じゃありません」と答える店があるのか?
そんなことを聞かれた店・料理人は、どう思うか?
倫理観・責任感は低くなるだけじゃないか?

人間(の倫理観・責任感)を信頼できない社会、
罰則があるから「悪いことをしない」社会、
一々「大丈夫か」をたずねる社会、
私は、そんな社会には住みたくない!!

だが、TV(局とコメンテーター)や街の人、蓮舫は、
そういう社会に住みたいらしい…。

三つの箱から世間を覗く(第81回)

「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい②」

4月11日の「三つに箱から世間を覗く(第45回)」
「情報(データ)を出せ」という声
~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」

に、太田君がコメントを付けてくれている。

まず、引用させてもらう。

太田(3期生)です。
”政治家は「正確なこと」を言おう、ではなく、「安心させる」ことを
言おうとすべきであろう。”
とのご指摘を読み、この「政治家」の部分には「上司」でも「会社」でも
「親」でも当てはまると思いながら読みました。

”科学者・専門家の言ったことをそのまま伝えるのは「責任放棄」である。
「安全・安心か、安全・安心でないか」どちらかに決めて、メッセージと
せねばならぬ。”
とのご指摘も、本当に耳に痛く突き刺さります。

私も震災の起きた3月11日に会社で勤務していたのですが、
○余震が断続的に起こっている。
○電車の運行が止まっている。
○道路はひどく渋滞している。
という状況の中で従業員から帰宅して良いか否かを問われたときに、十分な
回答をしないばかりか、政府は無理な帰宅を控えるように呼びかけている
旨の返答しかできませんでした。
これは政府の発表をそのまま伝える「責任放棄」に他ならず、結果責任を
負うだけの覚悟ができていない情けない姿勢です。

枝野官房長官は分かり易くも「まず言質を取られることのない答弁」を
繰り返していましたが、それに便乗していたのでは同じく無責任であり、
聞き手がすぐに行動に移せるだけの具体性を有する情報発信をしなければ
ならないと反省しました。(2011年5月16日3:42)

○太田君に応えたい。
「これは政府の発表をそのまま伝える「責任放棄」に他ならず、結果責任を
負うだけの覚悟ができていない情けない姿勢です。」
と、君は言う。
だが、「已むを得まい」。
皆は、同じ立場ならどうする?何ができる?

私は、こう書いていたはずだ。
「政治家は(当然ながら)科学者ではない。
役割・職責・責任のあり方が違う。
彼らは「社会」を安定させ・発展させる責務を持つ。
人々の「安全→安心」を確保するのが責任だ。
「安心」なくして、「協力」はなく、「秩序」もない。

政治家は、「大丈夫です、安心してください」、「食べないでください、避難してください」と言わねばならぬ。
その判断のために専門家の意見を聞くことができる。
(そのための金も権限も与えられている。私たちには十分にない。
だから「何しているんだ!?」と我々は彼らを責める。)
だから、科学者・専門家の言ったことをそのまま伝えるのは「責任放棄」である。
「安全・安心か、安全・安心でないか」どちらかに決めて、メッセージとせねばならぬ。」

「大丈夫かどうか」の判断材料を持たなければ、答えることはできない。
君は、政府発表以上の情報を持ち得なかった。
そして、「帰宅してもよいか?」の問に、「帰るな!」という指示・命令を出す権限もないはずだ。
その時にわかる情報を提供し、判断は個々に委ねるしかないはずだ。

「職務を果たすために必要な権限を与えられていない者に、責任は問えない」のではないか?

だが、「已むを得ない」ことであっても、
自分で「納得」できず、「自責・情けなさ」を感じるであろう。

その気持ちに深く「共感」する。
その気持ち、責任感なきものには、仕事を任せることはできない。
その気持ちを持たぬものに、成長はあるまい。

それに対する、一つの「答」を書きたい。
(バーナードの「権限受容説」「リーダーシップ」を思い出して欲しい。)

『晏子』は、宮城谷昌光作品の中で、私のNo.1だ。
晏嬰の父晏弱がすばらしい。

「正解がわからない時」、
「間違った答を出すと損壊・被害が出る時」
どうすれば良いか?
「人の信頼を獲得するには?」

その答えは、この名作にあると思う。
(書きたいことが、いろいろあるので、これ以上は述べないが、
この名作を読んで、語りたくなったものが出てきたら、
一緒に読み、語り合おう。)

三つの箱から世間を覗く(第80回)

「東日本大震災関連で2題」

○「工程表に変更なし」に、なぜそんなに文句をつけるのか?

 福島1号炉は、実はメルトダウンしていた。
 当初通りには冷却はできない、という。

 それに対して、東電は「工程表に変更なし」と発表したところ、
 TVは大ブーイング。

 ・元々、現状把握(建屋内の状況など)が不十分なのだから、
 この工程表は「目安」であることは、(暗黙の)承知のことではなかったのか?
  ・瓦礫の撤去や、建屋内の状況把握などが遅い!
  できていないうちの工程表発表は?
  よいう、批判なら理解できる。
 ・この後でも、何が出てくるかわからない。
  「想定外」はあるのだから、一々煩く言ってどうするんだ?
 ・避難者達の心情に配慮したら、少しでも早く「展望」を示す必要があったことは、
  理解してやるべきではないのか? 
 ・一刻も早く自宅にもどりたいであろう避難民のためにも、
  可能な限り、工程表通りにやります、は誉めるべきではないのか?

 菅首相と同じように、一旦信頼を失うと、
 何をやっても、すべてケチがつけられる。

 だが、励ましてやらないと、頑張れないぜ…。

○「海の瓦礫を撤去する作業に国は金(手当)を出している。
大変結構なことじゃないか?
網を入れても、網に瓦礫が入って、漁にならなくて困っていると聞く。

だが、瓦礫撤去の手当てを貰って作業をしている時に、
一緒に魚が網に入っても、その魚を売ることはできないという。
売ると手当は出さないのだ!?

小役人や法匪という言葉が浮かぶ。
こういう時こそ、政治家の出番じゃないのか?

2011年5月17日火曜日

三つの箱から世間を覗く(第79回)

「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい①」

○4月11日の「三つに箱から世間を覗く(第45回)」
「情報(データ)を出せ」という声
~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」

に、太田君がコメントを付けてくれている。

その内容については、次回書きたい。
まず、この話から。

○太田君の凄さ!

4/11のblogに5/16にコメントを付けてくれている!
4月4日の(第48回)「正確な情報」神話 ~東日本大震災⑤~にも、
5/16にコメントを付けてくれている!

おそらく「コメント完クリ悲願」を立てているのだろう?!

読むだけでなく、コメントを(必ず)書けば、
①その問に対する自分の考えを確認することができる
②その問に対する自分の答えを持つことができる
③読み返すことにより、その時と今の答を対比できる

このように「効用」は大だが、なかなか実行はしがたい。

②が「大変」だから、コメントを書こうと思っても、なかなか…。

①が「大したことがない」、
「まだぼんやりしている」、
「答が複数浮かんで決められない」、
から、書けない、書かないのだが、

だが、③の「効用」を考えると、
①が未熟でも、全く構わないのではないのか?
webだと「書き足し、書き直し」も簡単だから、
「①→③→②」②のための①③を心がける。

だから、彼は「完クリ」を目指す!

blogのテーマを考えたことがなければ、
ただ、読んだだけでは、
「大した答」は期待できない。

「問」を持たねば、人はその問いに関する「情報」をスルーする。
どんなに「重要、大切な問題」でも、
「問」として持っていなければ、
「答」はない!

「必ず答える」ようにするということは、
全ての「問」に(自分の解答の内容に一旦目をつぶってでも)
答える、ということであり、
全ての「問」を自分の「問」とすることだ。

世界が拡がる。
「問を多く持つ」ということは、
「問われたときに」答えることができる、ということだ。

どうだ?
太田君はすごいなぁ…。

2011年5月15日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第78回)

「"東京に原発を"の覚悟を持てるのか?」

○もう、20年以上も前になるだろうか、広瀬隆『東京に原発を』という本が出た。
(今、集英社文庫になっている。)

この「東京に原発を」論は、「極端」だろうか?
なぜ「東京に原発を」作らないのだ?と聞かれたら、と何と答えられるだろうか?

答えは二つ。
①東京でもし事故が起きたら、どうするのだ?
②東京は地価が高い。

②は、送電ロス・コストを考えたら、成立するか?
①しかあるまい。

もし、事故が起きたとき、
政治・経済・文化の中心で人口密集地である東京は、「高くつきすぎる」。
同じリスクなら、よりコストが低い地方を選択する、ということか。

リスク(危険性の甘受)の代償としての、
電源三法(金)や雇用ではないか?
なら、経済・雇用問題の解決手段として東京では意味なし、となる。

「答:都には金も仕事もあるので、危ない原発は嫌だ!
   地方は、金も仕事もないので、危ない原発でも受け入れる。
   東京は地方の「貧しさ」に付け込んでいる。」

これを、「ズルイ」とか「キタナイ」とか言えるだろうか?

○「極端な」議論が「現実」を浮き彫りにする。

「東京に原発を」論を詰めていくと、
「なぜ、原発を地方が受け入れているか?
 なぜ、一ヶ所に複数基集まっているのか?
 という「現実」がはっきりする。

○何が「現実」か?

・経済や便利・快適な生活という「現実」を前提にする。
・原発による交付金・税・雇用という「現実」を前提にする。
・もし事故が起きた時に失うものの大きさと、起きる可能性がある、という「現実」を前提にする。

「現実」なんて、各自の「価値観により選び取られたもの」に過ぎないことがよくわかる。
いくら正確かつ大量の「科学的データ」があったところで…。

だから、「(安全)神話」が必要だし、成立した。

○「安全神話」が崩壊した現在、
・あなたは、東京・横浜も原発を引き受けますか?、
・それとも、地方の「貧しさ」に「付け込み」続けますか?
・それとも、電気を20~30%我慢しますか?
 (経済への影響を考慮するなら、家庭は50%か?)

○ところで、本当に「安全神話」が崩壊したのだろうか?
 この危険性のすさまじさは、
 原発で事故に対応している人たちと、
 避難している人たちと、
 出荷制限・風評被害を受けている人たち
 が感じているだけではないのか?

 知れば知るほど、これだけ「危険」なものなのに、
 (例えば、福島原発の敷地にある、汚染された瓦礫はどうするんだ?)
 「原発停止、反対」の世論が高まらないのは、
 「安全神話」から覚めていないのではなかろうか?

○以下に引用したblogがあった。
同じテーマを扱っても、違った議論になるケースとしても、面白い。


「ビジネスのための雑学知ったかぶり」

なぜ東京には原発を作らないのか
東京に原発を作ったらという提言があります。
元々は広瀬隆氏の「東京に原発を」という著作で出てきた考えなのですが、
これを主張する人はほとんど全て原発に反対する立場です。

それならなぜ東京を原発を作ったらなどと言うかというと、次のような理屈があります。
(1) 原発が絶対に安全なら、東京のそばに作ればよい。そうすれば送電設備や送電ロスが大幅に節減できる
(2) もし原発が危険だから東京の近くに作れないと言うなら、
原発が建設される地方の人の命は東京の安全のために犠牲になってよいのか。
これは差別そのものではないか

一理あるようにも思えますが、反原発派の人が「東京に原発を作ればいい」と言う時には、
「原発は絶対安全みたいな嘘っぱちを言っているが、いざ東京に原発を作ることになると、なんだかんだ言って作らない。
それは結局原発が危険だということを白状していることだ」という思いが底にあります。

東京に原発作ったら論(以下、東京原発論)のおかしいのは、
それを主張している(というかディベートでの逆説的ロジックとして使っている)人達に、
「あなたは東京と地方のどちらに原発を作るべきだと思いますか」と聞いても、
恐らく「私は反原発論者なのでどちらも反対です」と答えるだろうということです。
あるいは「原発が絶対に安全だと言うならどちらでも構いません。
むしろ送電コストの安い需要地近くに原発は作るべきです」と言うかもしれません。
「絶対安全」なものなどありませんから、これも原発はどこにも作らせないと言っているのと同じです。
つまり東京原発論は原発建設阻止のための単なるレトリックに過ぎず、質問などではないということです。
質問でなければ答えても仕方ないのですが、東京原発論を思考実験として考えるのは無意味でもないでしょう。
少なくとも送電コストが下がるのは嘘ではありません。

まず、本当に東京周辺、たとえば羽田空港跡地とか、木更津の工場地帯あたりに作るとします。
そうすると現実には大変な反対運動が起きるでしょう。原発は普通過疎地に作るので、
原発建設に伴う地域振興策や、原発による様々な税収、雇用機会の増大が原発い推進の力になりますが、
そのようなものは東京周辺では全く役には立ちません。
要は実際に東京周辺に原発を作ろうとすると反対運動で身動きが取れなくなることは確実です。
反原発派には「そのような原発反対をきちんと説得できないのは原発が危険だからだ」ということになるでしょうが、
どんなに説得しても反対論がなくなることはあり得ません。
中国電力が計画している上関原発などは10年以上激しい反対が続いています。できないものはできないのです。

しかし、このことばかり言っていると、
原発には反対だから東京であろうと地方であろうと原発建設はダメと言っているのと同じことになってしまいます。
そこで、実際とは違いますが反対運動の強さについては東京と地方は変わらないと仮定してみましょう。
東京にもいざとなれば原発は作れないこともないという仮定です。
原発は大事故があれば広範囲に甚大な被害をもたらします。

しかし実際には、原発が実用化されて50年以上たち現在世界に500基の原発がありますが、
原発外部に多大な被害が及ぶような事故は1986年に旧ソ連のチェルノブイリ原発で起きたものだけです。
チェルノブイリの原発は黒鉛を使って中性子の減速を行うソ連独特の方式で、
それが大量の放射能を帯びた黒鉛を大気中にばら撒いて被害を拡大したということがあり、
また原発の構造や運用管理体制が日本と比べれば劣っていて日本で同様の事故は起きないだろうという指摘はありますが、
それを割り引いても被害の大きさは衝撃的なものです。
チェルノブイリ原発での事故直後に周辺住民の死亡はありませんでしたが
(消火作業にあたった消防士、兵士には数十名の死者が出た)、
その後の放射能の影響による癌、白血病などの発生で死者は最終的には数千名から数万人およぶとも推定されています。

チェルノブイリのような大惨事が起きる確率は一つの原発では2万年に1度程度と計算されています。
これはPSA (Probability Safety Analysis)という分析手法で予測したもので、
日本の原発に対しては、さらに小さな数字が得られています。
2万年に一度という事故の確率は、他の事故、飛行機や自動車事故と比べればかなり小さいと考えられます。
数字の上では原発周辺に住むことは特別に危険ということはありません。
それより都会に住んで、隣の家の火事やガス爆発に会う確率の方がよほど高いでしょう。
それに、仮にチェルノブイリ級の事故が発生しても、
原爆が落ちたように一帯が根こそぎ皆殺しになるようなことはありません。
ほとんどの人は生き延びることができます。

しかし、住民の命は大丈夫でもその原発周辺の地域は住むことに全く適さななくなる可能性があります。
原発が東京にあれば東京は失われることになります。
しかし、原発が人口や都市密度の低い地域にあれば、大事故があっても被害を小さくすることができます。
これは地方の住民を差別していると言えるのでしょうか。
そうではないと思います。飛行機は墜落することがありますがアメリカ大統領も飛行機に乗ります。
墜落の可能性は十分に小さいからです。
しかし、正副大統領が同じ飛行機に乗ることはありません。墜落の被害がずっと大きくなるからです。

原発が実用的であると言えるのは事故の危険性が十分に小さいからです。
東京原発論が誤りなのはわざわざ原発事故の被害を大きくすることになるからです。
想定被害を小さくすることは差別とは無関係です。
この論理は原発が新たに建設される地域の住民にとって十分に納得できるものではないかもしれません。
なんだかだ言っても結局は過疎で財政の逼迫している地方を
札束で頬っぺたを引っぱたいて危険を背負わせているだけだと感じるかもしれません。
2万年に1度と言ってもそれは来年かもしれないし、住民のほとんどは助かっても自分は死ぬかもしれません。
そのような不満、不安に十分に答えることは難しいでしょう。
飛行機なら乗らずに済むかもしれませんが、原発ができてしまえば原発事故の危険が生じるのは間違いありません。
しかし、東京原発論は奇妙なレトリックで原発絶対反対を言い変えているのに過ぎません。
原発の即時全廃ができないのなら、そのような議論は意味がないのです。

遠隔地に作られる原発は、地方の人間の命を東京の人間の命より軽んじ、
地方を東京のための犠牲にしているといった飛躍した論理にいたっては、
ほとんど言いがかりの域に達していると思います。
5階建てのマンションを木造で作ることを認めないが、
2階建ての個人用住宅は許されるのを、個人住宅の住民を差別していると言うのでしょうか。
被害を最小化しようというのは差別とは無関係です。

東京原発論は、原発の立地のような重大で困難な問題をすり替えて、ただ茶化しているだけです。
原発に反対することは色々な理由があるかもしれませんが、問題をすり替えてみても解決はできません。
問題は正面から解くしかないのです。

(http://realwave.blog70.fc2.com/blog-entry-273.html)

このblogは、なかなか面白い。
これに対するコメントも一緒に見ると、面白いぞ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

いささか、長くなってしまったが、
同じテーマなので、ここで一挙に扱いたい。

Yahoo!知恵袋に、このことが「質問」になっていた。

「電気をたくさん東京で使うくせに原発は東京に作りたくないって都民はずるい。」
(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?page=2&qid=1258907242#sort)

を見てみないか?
140人からの意見が、出ているらしい。

○この問題が、これだけの関心を集めている。
○(全部見たわけではないが)
 この程度の知識、いや、
 問題の複雑性に立った、多様かつトータルな視点の欠如
 で、「私の考え・意見」を主張する。

「都知事選の結果」がわかる気がする。

 

2011年5月12日木曜日

三つの箱から世間を覗く(第77回)

「坊主は本当に仏教徒か?」

「お坊さんがズバリ解決~伸助の駆け込み寺~」(TBS19~21)
という番組から。
(この番組は、「行列のできる法律相談室」の二番煎じで、
伸助の「ドヤ顔番組」じゃないか、というツッコミは置いておく。)

①「親友の彼氏から告白された。
 実は、私も彼が好きだった。
 彼をとるか、親友をとるか?」

理論派坊主の答:
「あなたは、"良い人"の仮面をかぶっている。
その仮面をはずした方がいい。」

おねぇ坊主の答:
「そんな男は、すぐ又別の女の方を向く。
そんな男を選ばない方がいい。」

「仏教とは、もの・金・愛欲などの「欲(煩悩)」を否定するものではないのか?

②「親友が事業に失敗して、金を貸してくれと言ってきた。どうする?」

癒し系僧侶
「貸す「雑愛の毒」という親鸞の言葉を引く。
少しでも「私」が混じっていれば、「愛は毒になる」という。
そして、「義援金と義捐金」の違いを説く。
そのくせ、自分が金を貸した話を金額も出して話す。」

やんちゃ和尚
「貸さない。貸した方は覚えており、貸してもらった方は忘れる。
そうすると、"心の不平等"が生まれます。
あなたと親友との間に、"心の不平等"が生むことになる。」

理論派坊主
「これまで何回もそんな相談を受けてきました。
その人たちは、私から「貸さなくてもいい」ということを聞きたいのです。」

おーい、「困っているものがいたら、助けてあげなさい。」
「帰ってこなくったって、その人が助かれば、いいじゃないですか」
が、答じゃないのか?
「親友かどうか」など、仏教徒にとっては。二の次以下ではないのか?

普通のコンサルタントじゃないんだ。
仏の教えを学び、仏の教えを衆生に教え、
説くのが坊主のあり方ではないのか?

5人の坊主がいて、
「癒し系僧侶」一人だけが、仏教の言葉を引いて答える。
だが、それとて、「仏の教え」に立ってはいない…。

最後の方で、「被災者の人たちに何をしたらいいでしょうか?」
の問に対して、
自分も現地に行ったという坊主が、
「頑張って」じゃなく「頑張っているねぇ」と声をかけた方がいい、と答えた。
これまで、何度となく、
「頑張って」と言うな、と聞いたが、
じゃ、どう声を掛けたらいいのか、は語られなかった。
これは、「なるほど」ではないだろうか…。

しかし、この坊主は浄土宗なのだが、
「○○させていただく」という。
この言い方は「すべては阿弥陀如来様のお導き」
何事も「自分の計らい事ではない」という
門徒(浄土真宗)の思想の表現ではないのか?
私は仏教に昏いので、断言はできないのだが…。

最後の伸助のまとめだが、
「自分たちは大したことはできない。
(何千万円・何億円を出すことはできない。)
だから、しばらくしてから、
自分が必要になった時に、やればいい。
また、1回だけでなく、ずっと続けることが…」
という(数千万円~数億円を稼いでいるだろうに…)。

だが、聞くもの誰も伸助の「真の言葉」とは思うまいなぁ…。
「したい、しなければならない」と思うなら、
「できること」をすればいいのじゃないだろうか?
「たいしたことはできない」というのは、
「たいしたことができる人」と比べているが、
なぜ比べて「しない」となるのだろうか?

地震後たいしてたたないうちに、「江頭2:50(45)が自らトラックを運転して東日本大震災の被災地・福島県いわき市の避難所に支援物資を届けたとの目撃情報が、mixiやTwitterを中心に広がった。福島第一原発の事故の風評被害により、同市への物資の運搬を拒否するドライバーが多くなっていると言われるだけに、本当であれば被災者を救う勇気ある行動だ。」
という話を無視できる伸助は、それほど長くはないのではないか、と思うが…、甘いか?

別に、「何かしろ」というわけではない。
「損得」ではなく「心」の問題を説く番組(人間)の言葉にふさわしいとは思えないのだが!

伸助のこの手の番組は、「深いイイ話」など続く。
誰が、何の魅力で聞いているのだろうか?
(伸助の話術はそれなりのものだろうが…。)

各宗派による「考え方、説き方」の違いがわかる番組なら、私は毎回見るだろうが、
発想するプロデューサー・ディレクターはいないだろうし、
始まっても、視聴率はとれず、すぐさま打ち切りになるだろうなぁ…。


(※)本日4本目。
 実は、8度超の熱で一日自宅でTVの前にいる。
寝室にじっとしているのも、固い本を読むのもつらい。
TVの前で寝たり、ぼんやり見たりして一日過ごした。
おかげで、4本書けた。

三つの箱から世間を覗く(第76回)

「新宿三越アルコット店の閉鎖」

新宿三越アルコット店が閉鎖し、Big Cameraに変わるという。
(これまでも、三越がヤマダ電機に、吉祥寺三越がヨドバシカメラにと、三越の店舗は家電量販店に変わっている。)

その記者会見の席で、社長は言う。
「この"物件"については、社内でもいろいろと議論が…。」

そうか、80年の歴史のある、お客たちにも愛着のある建物なのだが、
経営者たちにとっては、単なる「物件(モノ)」でしかないんだ!
愛情も愛着もないんだ!?

それじゃ、営業不振にもなるはなぁ…。
「楽しい買い物をしていただく場」が、
単なるモノで、コスト計算の対象でしかないのだ。

「安い!」なら、Big Cameraやヤマダ電機だよなぁ…。
「楽しい!」「リッチ!」という「気分」をサービスするのがデパートじゃないのだろうか?
「モノを売買するだけの場」ではなく、
「お買い物を楽しむ場」がデパートではないのだろうか?

新宿三越アルコット店を調べてみると、
「アルコット店の前身である三越新宿店は1930年に開店した老舗。
2005年に専門店(LOUIS VUITTON、Tiffany & Co.、Gap、ジュンク堂書店など)を集めたファッションビルとして業態転換していた。
売り場面積は約2万平方メートル。11年3月期の売上高は114億8500万円。」
(http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/05/12/kiji/K20110512000807040.html)
なるほど、なるほど…。

商品納入業者に店頭に立たせ、販売員を務めさせる。
それは、家電量販店のやることだ。
店員が客と接していなければ、
客のことは、何を何個買った以上のことはわからない。
売上高とコストの2つ。単なる「場貸し」だ。

だから、私は数年前の「経営統合」は、
「コスト削減」目的である限り、
それによる、百貨店の復活はあるまい、と思っていた。

「焼き肉えびす」と同じ。
「事業規定:わが社は、何をお客に提供するのか?」
をきちんと考えていない、としか思えない。

いや、それ以下だろう。
「顧客規定:わが社のお客は誰(何を求めているのか)?」
「焼き肉えびす」は、「安く焼き肉を食べること」を求める客に応えようとした。
じゃ、デパートは何・誰を?

「焼き肉えびす」は、従業員のモチベーション・アップに相当力を入れていたという。

どう見ても、言っちゃ悪いがチンピラみたいな勘坂・焼き肉えびす社長の方がよっぽど経営者らしいじゃないか!?


そうは言っても、百貨店の火は消えて欲しくない。
「百貨店は文化」なのだから…。
三越伊勢丹ホールディングスの未来はどうなるんだろうか?

2008年4月に経営統合した三越伊勢丹ホールディングスは、
2010年9月にグループ初の大型プロジェクトとして「三越銀座店」を増床オープン。
2011年5月には初めて三越・伊勢丹両方ののれんを掲げた「JR大阪三越伊勢丹」が誕生した。
グループの2013年度連結営業利益として300億円を目標に掲げている。
(http://www.fashionsnap.com/news/2011-05-12/mitsukoshi-shinjuku-biccamera/)

JR大阪三越伊勢丹・ルクアに初日50万人が来店し、嬉しいスタートとなったようだ。

2011年05月05日 16:00 JST
 西日本旅客鉄道が、4日に開業した「大阪ステーションシティ」内の新施設
「JR大阪三越伊勢丹」と「LUCUA(ルクア)」の初日動員客数を発表した。
4日、9時15分から21時までの営業時間(レストラン街は23時まで)で、
「JR大阪三越伊勢丹」は約27万人、「LUCUA」には約23万人、合計約50万人が来場。
「大阪ステーションシティ」内は開業2日目を迎えてもなお、客足が絶えない様子だ。
拡大 5月4日、グランドオープンを迎えた「大阪ステーションシティ」。
なかでもファッションエリアとして注目を集めるノースゲートビルディングに位置する「JR大阪三越伊勢丹」と「LUCUA」には、
早朝から多くの来店客が訪れた。1800名超の列が両施設外にできたこともあり、
オープン時間を45分短縮した他、館外、館内ともに入場制限がかけられるなど終日大盛況。
4日は両施設合わせて40万人以上の来店客数を見込んでいたが、予測を大幅に上回る数の来店客数を迎えスタートを切った。
 オープン後、両施設の間にある玄関口「アトリウム広場」は入店待ちの人で溢れていたが、
「(広場内の)混雑は終日続いた。夕方になっても来店者は多く、
(館内に入るのを待つ人の)列が短くなっただけ」と同社担当者は話す。
「LUCUA」テナントで関西初の「TOPSHOP / TOPMAN」を5階にオープンしたT's(ティーズ)は、
来店客数が1万5千人を超えたことを発表。
DJイベントも開催されていたショップでは、限定Tシャツも1時間ほどで売り切れ、1日で約2500点のアイテムを販売した。
また、その盛況ぶりは大阪駅周辺にも影響を与えている。
大阪駅の隣、阪急百貨店うめだ本店でも入り口と出口を限定するなど、来店客が通常の休日よりも多いという。
翌5日の朝9時の時点で、「『JR大阪三越伊勢丹』と『LUCUA』の館外には、
昨日ほどではいがすでにオープン待ちの人の列ができている」と同社担当者。

「大阪ステーションシティ」を中心に、大阪・梅田界隈が一気に活気づいている。
(http://www.fashionsnap.com/news/2011-05-05/osaka-station-city-50/)

三つの箱から世間を覗く(第75回)

「大関・把瑠都の放言に関して」

いかにもスッキリしない「技量審査場所」で、
大関・把瑠都の「不謹慎な発言」が問題となっている。

初日から2連勝の大関・把瑠都が豪栄道に上手投げで敗れ、
支度部屋で「遊びの場所みたい」などと不謹慎な発言をした。
放駒理事長(元大関・魁傑)がファンの信頼を土俵で取り戻すと誓った技量審査場所で、
大関が発した自覚を欠く言動は波紋を呼びそうだ。
「お客さん、無料ですからたくさん見に来てくれている。
でも、悪いけど遊びの場所みたい…。気合、入ると思う?」
(中略)
4カ月ぶりの場所に向けて放駒理事長は何度も「失った信頼は土俵で取り戻すしかない」と話した。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110511-00000035-spn-spo)

弟子の「姿勢・心構え」に問題がある場合は、
親方の責任、指導が悪いからではないのか?

親方の尾上親方(元小結・濱ノ嶋)を調べてみよう。

尾上部屋の過去の不祥事
 八百長問題では十両・境沢、幕下・白乃波、三段目・山本山が関与を認定され「引退勧告」を言い渡され、引退届を提出。
師匠の尾上親方は「委員」から「平年寄」の2階級降格処分を受けた。
 また大関・把瑠都が服装の乱れなどで計3度、協会から注意を受けた。
07年と09年に東京・六本木をTシャツ、短パン姿で歩き、
今年3月にはジャージー姿で大阪市内の繁華街を出歩いた。
今年3月は東日本大震災直後で協会は許可なく地方へ行くことを禁止しており、
尾上親方も厳重注意を受けている。
(http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/04/20/kiji/K20110420000663340.html)

場所前には師匠・尾上親方(元小結・浜ノ嶋)の酒気帯び運転が発覚。
協会から「年寄」に10年間据え置く処分を受け、
9日に道交法違反で書類送検されたばかりという事情もあるだけにあまりにもタイミングが悪過ぎる。
ある協会幹部は「大関という地位の重みを分かってほしい」と苦言を呈した。
(http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/05/11/kiji/K20110511000798980.html). [ 2011年5月11日 08:

把瑠都は服装の乱れなどで、過去注意されているらしいが、

塩撒きパフォーマンスを行う北桜との対戦では、
そのお株を奪うような大量の塩撒きを披露して館内を湧かせたり、
出身地を「奄美大島」と答えたりと、極めて陽気で茶目っ気のある性格であり、
脚の負傷が多いが、呼出の支えを借りて土俵を降りるような重傷を負っても、
退場前に必ず一旦呼出に手を離させ自力で振り向き土俵に一礼してから退場する、
負けても深々ときちんと一礼をする等、土俵態度への評価は高い。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%8A%E7%91%A0%E9%83%BD%E5%87%B1%E6%96%97)
とあった。

また、今場所から支度部屋への携帯電話の持ち込みが禁じられ、
力士は国技館の入り口で預けるようにしたそうだが、
預けることを忘れ、そのまま通り過ぎる力士がいたという。
親方の注意が不十分だったのだろう。
(携帯の取り上げ、自体は別として。)

「わかっていること」と「わかっていないこと」があるということだろう。
親方と相撲協会が「大相撲とは何か?」を教えられていない。
「心」をわからせないまま、「形」を注意しても、わかるどころか…。

「携帯持ち込み」などをいくら禁じようが、
「心」をわからせない限り、
八百長以外にも「不祥事」は続くであろう。
八百長問題以前に、朝青竜問題や弟子リンチ事件などがあったではないか…。

「親方」が「力士の心技体を育てる」のではなく、
「部屋の飯のタネを育てる」ようになっていないか?
外国人や現代の若者に、どう「大相撲の心」を教えていけばいいか、
その悩みがあるようには、到底思えない。

そのような大相撲改革のために、外部有識者による独立委員会が提言をまとめている。
提言は、理事の半数を外部から招く、
年寄名跡(親方株)の売買を禁じる、
親方の研修と人事考課制度を導入する、
相撲部屋を削減するなどの内容だ。

だが、親方の権益擁護団体たる大相撲協会は、
この提言を受け入れるとは、到底思えないなぁ…。

自分たちの「心」を問い直さず、
弟子を「指導・監督」しようとする。


だから、次のようになる。

把瑠都、怒られっ放し 鳴戸親方がカミナリ…技量審査場所4日目
スポーツ報知 5月12日(木)8時7分配信
 ◆大相撲技量審査場所4日目(11日・両国国技館)
今場所から監視役として監察委員の親方が入るようになった支度部屋で、初めて力士が注意を受けた。
力士の動向を厳しく取り締まったのは、十両の取組中に東支度部屋の監視を担当した鳴戸親方(元横綱・隆の里)だ。
 指導が厳しいことで知られる同親方の注意は多岐にわたった。
まずは、あいさつだ。3日目の軽率な発言で注意を受けた把瑠都は同親方に対し、歩きながらあいさつした。
すると「止まってあいさつせんか!」。あまりの迫力に支度部屋は静まりかえった。
「そういうのは親方衆が注意しなくてはダメだ」と憤慨し、さらに「私語が多い」として玉鷲にも注意をした。
 極めつきは、関取衆の下着の色にも注文を付けたことだ。
力士ごとにデザインは多種多様で、ハート柄などのパンツをはいている者も。
それが鳴戸親方の目に留まった。「カラフルな下着が目についた。
昔は横綱、大関も白をはいたものだ。白は高潔な色なんだ」と持論を展開。
さらに「個性は相撲で出せばいい」と付け加えた。
場所後に監察委員会と審判部が合同で行う場所を総括する会合で、下着の話題も出るかもしれない。
 ただ、下着の色まで指定することに、力士の反応はさまざまだった。
白鵬は「分からないけど、白っていうのは験担ぎじゃない?」と話した。
ある力士は「色は自由じゃないですかね? そこは関係ないと思いますけど…。
どこを監察してるんでしょうか。ほかに(見るところは)あるでしょう」と苦笑いだった

そして、「ある力士は「色は自由じゃないですかね?…」などと、
ほんとかどうかわからないが、
協会が聞いたら、黙っていられないようなことを、
面白おかしく、書きたてる。

すると、
「ほかのユーザーが把瑠都の発言を取り上げた報道を非難したのに反応して、
ダルビッシュは「最悪ですね。。」(原文まま)とツイートした。
さらに、格闘家の青木真也の「人の粗を探す風潮をひっくり返したい」という発言には
「それ自分も思ってました(笑)」と同調した。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110512-00000016-dal-fight)

というレスポンスを引き出すことになる………。

三つの箱から世間を覗く(第74回)

「東京タワーライトアップ再開に関して」

①東京タワーのライトアップが再開された、
(50%の節電をした上で)
というニュースを「知りたがり」(8ch.10:00~)がとりあげていた。

そのとき、「ライトアップしたことに、とやかく批判されるかもしれないが…」
とコメントしていた。
再開の理由も、「元気が出る」など。

「言われたくない!!」と、本当に思っているんだなぁ…。

ライトアップされた東京タワー、というのは、
東京の代表的夜景ではないのか?
これは、スカイツリーではまだはたせない役割だ。

それ自体が「必要か、否か?」で問うべきではないか?
ライトアップ全体は肯定しない。
石油・LNGを輸入し、原発に依存して生み出した電気の使用法としては、
ライトアップは、あまりほめられはすまい。
だが、東京タワーのライトアップは{代表的な東京の夜景」として、肯定したい。
新幹線で西から帰ってきたとき、ライトアップされた東京タワーは、
「ああ、帰ってきた」と思わせてくれるまで、東京の姿となっていよう。

それ自体の必要性に立たずに、「復興のため」とかなんとか、余計な正当化を図ろうとする。
だから、自信がなく、「言われたくない!」となる。
多くの人が納得できる理由に立ち、批判されても、
その理由を主張すればいいではないか?
(勿論、これは「ライトアップ」だけの問題ではないことは言うまでもあるまい。)

この「言われたくない(批判されたくない)!」意識は、
このblogでも語ってきた「他責」の論理・意識と関連してはいないか?
また「クレーマーの時代」の「防衛反応」ではないか?

続けて考えてみたい。

2011年5月10日火曜日

三つの箱から世間を覗く(第73回)

「浜岡原発停止要請に対するTV局の姿勢」

菅首相の浜岡原発停止要請に対して、「思いつき」という批判を
各局のニュースショーで何回か聞いた?
この批判に関して。

Ⅰ.
①「思いつき」か?
 浜岡原発の危険性は、かねてより、どの原発より危険だ、と指摘されていた。
 今回の福島の直後にも、すぐ問題となったし、
 3.11のあとすぐに静岡県東部で起こった地震のとき、
 関係者は、みなヒヤッとしたと思う。

②菅首相の自分の人気取りのためにやったことだろう、
 という解釈・推測(・邪推)に立てば、
 「思いつき」という評価も出よう。

③だが、仮に「人気取りのパフォーマンス」だとしても、
 浜岡原発を放っておいていいのだろうか?
 絶対にすべき「対応策」ではないのだろうか?

④浜岡原発停止が、無駄なこと、すべきことでないことならともかく、
 すべきことであるなら、支持し、評価すべきではないのか?
 それを「貶す」だけなら、彼に期待していないということになる。
 
⑤期待されず、良いこと・すべきことでも、
 「思いつき」「人気取り」と言われれば、
 彼の今後に、どれだけ期待できるであろうか?
 実に「無責任で、罪深い」報道である。

Ⅱ.
⑥角度を変えてみよう。
 TV局は、「浜岡原発停止を必要ない」と、思っているのではないか?
 という「仮説(解釈)」に立ってみよう、というものである。

⑦浜岡原発の地元を取材して、
 いかに、財政・雇用・商売で原発に依存しているか、を流す。

⑧もし、浜岡原発を停止したら、電力供給はどうなるんだ?
 東京電力(関東)に電力を回すことはできなくなる。
 とコメントする。

⑨「なるほど!」TV各局は(見る限り)、
 「浜岡原発を停止すると困ることが沢山出てくる」という主張だ。
 「浜岡原発停止に反対している!!」のだ。

⑩それなら、菅首相の「英断」にケチをつけるよなぁ…。

Ⅲ.
⑪彼らは、本当に「浜岡原発停止に反対している」のだろうか?
 まさか、そんなはずもないと思うのだが…。
 少なくとも、「意識的に、意図的に」反対はしていない、と思う。

⑫この「矛盾」は、TV局がこう考えているから、としか考えられない。
 「駿河湾での巨大地震なぞ起こらない」(と思う)、
 「だから、原発事故は起こらない」のだから、
 「経済・電力問題を優先すべきではないか」
 「菅首相は、不必要な浜岡原発停止を打ち出した」
 「思いつきの、パフォーマンスだ!」

⑬原子力安全委員会や原子力安全・保安院と「同じ」なのだ。
 この二つの組織は「安全を職責」としていたが、
 「推進>安全」に立ってきており、
 事故後も、福島第一原発以外の安全性については、一切口にしない。

⑭「経済、財政、雇用、電力、便利、快適、…>安全」
 という図式が問われていることは、はやもう忘れ去られた。
 まあ、簡単に忘れられるほど、小さい声でしか語られなかったのだが…。

⑮別にTV局や安全委達だけではあるまい。
 国民みんな、同じじゃないのか?
 だって、「前科」がある新潟柏崎刈羽原発には7基。
 敦賀・美浜のには、13基。
 玄海、福島第二には、各4基づつ。
 泊、女川、伊方には、各3基づつ。
 そのほとんどは、大地震がすぐそばで起こった所だ!
 住民たちは、みな黙っているようだ。
 
⑯いや、大地震なぞ、めったに起こらない。
 今回だって、「想定外」の規模で、「想定外」の津波がなければ…。
 
⑰「想定外」で「大災害」なんだが…。
 テロリストが小型機で突っ込まなくったって、
 航空機事故でもなんでもいい。
 「想定外」の例を列挙するのは、虚しい…。

⑱「悪いのは東電(電力会社)」と一貫して世論は形成されてきた。
 (菅政権は、事故後の対応が悪いだけ。
 国策として推進してきた自民党もおかまいなし。)
 「安全性」は電力会社の「責任」だ。
 他のものは「知らない」でいいんだ、と思っているんだろう。

⑲だが、「原発選択・依存」とは、
 何を選んで、何を危険に曝しているのか、気付いていないんじゃないか?

 まさかね!
 福島第一原発で今も放射線・放射性物質が漏れ続けており、  
 住宅地・農地・海・海産物などなどに蓄積され続けており、
 周辺の住民は、今現在、避難生活を続けている!!

 私たちは、毎日TVで見聞きしているのだが…??
 何よりも、TV局は、避難所・避難民のニュースを毎日のように流しているのだが…???

⑳凄まじいなぁ…。
 どうか、「想定外」のことが起こりませんように…。

(付)先ほど、中電が停止を決定した、と聞いた。
 TV局は「首相の要請には断れなかった」など、と言っている!!
 
 「もし」が起こったら、中電はどうなるのか?
 停止要請があったのに、拒否して、「もし」が起こったら…。

 考えるだけでも恐ろしい。
 首相が止めろ、というのだから、
 「ラッキー」と思ったに違いない。


 だって、東電と違って、政府の命令による「電力不足」だし、
 収益が悪化したって、政府に従ったからです、と株主にも言える。
 ではなぜ、すぐ要請に応じなかったのだろうか?

 それは、「検討したという事実」を「株主総会」のために用意したのさ…。

(付2)最初書いた時に、触れねばならないことがあった。
 「私企業に首相が"命令"できるのか?」という問いをTVは出さない、
 という問題である。
 推測するに、「原発は国策」、
「電力会社の自主的判断で原発推進しているわけではない」から、
「止めるのも政府の指示で…」と、
 どこかで、メディアも国民も思っていないか?

 だが、これは錯覚だが、「本質」ではないか?
 首相に「停止を命じる権限」があるのか?
 という問いは、「法律的」には正しいかもしれないが…。

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コメントを付けてくれている諸君には、心から感謝している。
おかげで、「白熱教室」も出現した!

できたら、みんな一言でいいから、何か書き残してくれないか。

2011年5月8日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第72回)

「秋田犬の里 ~秋田県大館市~」(NHK「小さな旅」日曜AM8~)

○秋田県大館市は、あの忠犬ハチ公も生んだ「秋田犬の里」だ。
「里」が「里」であり続くのは、「里」を守っている人がいるからだ。

 秋田犬を育てている男性(60代かな)。
 本当に可愛がる人でないと譲らないという。
 譲った後も、どうしているかを、手紙・電話で確認している。
 (なんと面倒な、とも思うが、譲った方も、譲られた方も、それだけ
 可愛く、大切にしている人々ということだろう。)
 中には、きちんと飼っていない人もやはりいた。
 その時は、取り戻しに行ったという。

○その人が子供の時、
 戦時中、秋田犬を(全頭)供出せよとの軍命令が出た。
 防寒用の毛皮にするという!?
 彼がついていた秋田犬の「繁殖家」は、雄雌1組だけを山に隠した。
 この行為がなければ、秋田犬の血統は…。
 (日本の軍事官僚の話を聞く度に…。)

○「大切にする」「本気で守り通す」
 こういう「本物」の人々の存在の貴重さ!
 
 それを「地味に」伝えてくれる、NHKの「有難さ」。
 
 私たちは、こういう人たちを「尊敬」したい。
 こういう人たちに対して、社会が「感謝」の念を抱き続けて欲しい。
 こういう人たちの「後継者」が途絶えないことを心から願う。
 
「伝統工芸」を「受け継いでくれる人」がいなくなったら、
 輪島塗も、大館曲げわっぱも、南部鉄器も、江戸切子硝子も、…、…。 
「技」と共にある「心」の承継。
「技」は復元可能かもしれぬ。だが、
 一旦失われた「心」は…。 
 
 ゼミ掲示板で語られた「美意識・恥」も「同じ世界」の話だろう。

○日本犬の持つ「美質」は、まさに「日本人の美意識」そのものである。
 当然だ。日本人が「生み」「守って」きたのだから。

 少し、日本犬を知ってみたいかね?
 私も、戸川幸夫の「動物小説」を読んだだけだが。
『高安犬物語』、『かませ犬』

 彼の作品は、「動物」を描くことにより、「自然と人間」を教えてくれる。
『爪王』により、「鷹と鷹匠」を知り、「誇り」を意識させてくれた。

 「(新しい)知」と「感動(心を揺す振られる)」があれば、
「世界」「ものの見方」が変わる(かもしれない)。

2011年5月5日木曜日

三つの箱から世間を覗く(第71回)

「福島原発事故の賠償・補償は誰がどんな形で?~福島原発事故の責任①~」

この稿は、東電がどれだけ賠償すべきで、かつまたできるか?
など具体的問題や、
この時点で「値上げ」を言ったりすることについては触れない。


「電気料金値上げ16%}の文字が新聞に踊る!

①街ゆく人たちにインタビューしている。
「仕方がないんじゃないですか?」×1
「納得いきません」×1

まぁ、「お約束」の「賛否両論」
(視聴者をほんとに舐めているよな。これについては、また述べたい。)

みんな、「値上げ16%」以外、知らないし、調べもしていまい。
それでも、意見を堂々というんだよなぁ…。「意見を言う権利」てヤツか?
(賛否の意見を持つことと、他者に聞かせようとすることは「別」だ。)

②税金(国の責任)でも、電気料金(東電の責任)でも、
(乱暴に言えば)賠償・補償額は同じ。
従って、払う我々の「出費額」は同じ。  

③関東の住民には「値上げ」だが、他地域住民は「値上げなし」。
まぁ、当然かな?どうだろう?
関電や四電で値上げといったら、そこの住民は何と言うだろう?

「誰の責任か?」が不明確なままだもんなぁ…。

④東電が支払う賠償・補償金は、そのままコストとなる。
そのコスト増は、東電利用者が負担するということか?

⑤税金なら、「国家の責任」すなわち、「国民の責任」ということか?
同じ国民として、互いに助け合う。
同国民の自己責任外の被害は補助するのは当然。
だが、この事故は、「国民の責任」なのか?

⑥東電の役員報酬50%カット。それでも、平均2000万円(社長・会長は?)。

⑦原子力安全委員会や保安院のメンバーの責任は?
前者は、月1の会議で、年1,600万円の報酬という。
彼らは、「原子力安全」の専門家として大きな権限・責任がある。
だが、今度の事故の責任は問われぬどころか、
彼らが電話会議程度(議事録もない)で、
「福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSv」
を決定したという。

小佐古参与辞任問題は、まさにこの「責任問題」なのに、
TVは1回流しただけで、
あとは、「被災者の姿」など「ヒューマン・ドラマ」を流している。

⑥⑦のような点は、賠償総額に比すれば、極めて微々たるものだ。
だが、①~⑤で見たように、
「誰が、何に対して責任があるのか?」を抜きには、
税金か?電気料金値上げか?をきちんと論ずることはできまい。

「原発推進派」は、東電に責任があるようにいい、
今、東電は、責任を限定させようと必死になっている。

避難民は、「東電出てこい!」と叫んでいれば、ある程度の金を手にすることができるだろう。
国民、関東の住民はノホホンとしているうちに(経済のために自粛するな、旅行しろ、金使え、に踊り)、
おそらく、税金と電気料金アップのWパンチを食らうんだろうなぁ…。

今回は「国難」と言われているほどのことだ。
必死・本気になったやつに負けても仕方ないか?
寂しいなぁ、情けないなぁ…。

(※)コメントを付けてくれている、太田君、竹田君、杉山君、中村君、他の諸君。
ありがとう(特に、毎回書いてくれている太田君)。
君たちと、一緒に考えていくのは、本当に楽しい。

地震という「天災」以外は、
原発事故、ビンラディン殺害、焼肉食中毒事件、などはみな「人為」だ。
「天意」は受けるだけ。
だが、「人為」は「人が起こしたこと」故、
「人が考え、取り組まねばならぬこと」だ。
しかも、どれも私たちに無関係ではない。
これからも、どん×7コメントしてほしい。

2011年5月4日水曜日

三つの箱から世間を覗く(第70回)

「イノベーションと安全性~焼肉屋食中毒事件③~」

「焼肉酒家えびす」は、株式会社フーズフォーラス(郊外型レストランチェーンの経営)で、設立は、平成10年9月。
その後10年ちょっとで、富山・石川・福井・神奈川で20店舗ほど展開するまでに至っている。
(資本金:4,000万円、売上高:18億円、従業員数:正社員90人 パート・アルバイト400人)

TVで見ると、1皿100円の看板など「人気の秘密」が窺える。
この急成長の背景には、いろいろな「経営努力」があったんだろう…。
社長も28歳の若さだ。
こんな急成長ベンチャー沢山あるだろう。

私は、「Book-off」を思い出した。
それまで「古書店」は「プロ」にしかできない、とされてきたという。
古書の仕入れに際して、仕入れルートと鑑定眼が必要という。
Book-offは、その「古書業界の常識」に立たず、
「本のリサイクル」というコンセプトに立ち、
鑑定眼を持つプロではなくバイトで成立させた。

今回も同じ。
「業界の常識」に立っていては、これだけの急成長は難しかったのではないか?
「肉の鑑定眼」を持つプロを各店で雇っていたのだろうか?
「納入業者を信用した」のは当然だ。信用できない業者から納入は(本来)信じられない。
だが、細菌検査も最初だけ、というのは、
「安全なものを提供する」という飲食店の基本中の基本を忘れており、
この期になっても、まだ言う。
「生肉を規制しなければ、同じような惨事が起こる可能性はある」

彼は、事業規定を"飲食業"としたのではない。"チェーン店"としたのだろう。
そして、その方向性に沿って、"イノベーション"も行ったのだろう。
それが「成功」して、10年ちょっとで20店舗の"チェーン店"が達成できたのだろう。

事業成功の大きなカギは、まちがいなく"イノベーション"であろう。
創造的「破壊」である。
何を「破壊」するのか?
自社・業界の常識、それまでのやり方・あり方であろう。
その中には、「プロ・職人の技」も入っている。
もともと「科学的管理」は「未熟練労働者の活用」が背後にあるのだから…。

「自社・業界の常識、それまでのやり方・あり方」は、なぜ生まれ、何を与えてくれているのか?
この問こそ重要であり、かつまたその答えの出し方は難しい。

「数値を上げたい」そのためには?ならね…。
「数字は目に見える」
だが、
「安全は…?」

ああ、「事業規定」こそ決定的なんだなぁ…。
「わが社の事業は何か?」
誰に、「何を」提供するのか?

「マーケティングとイノベーション」は、
「企業存続のための"未来費用"たる"利潤"」獲得に必要だが、
「事業規定」の設定・理解の深浅を「誤る」と、
「企業存続」ができなくなる。

「事業規定」が「市場(環境)」だけでなく、「社会(環境)」「自然(環境)」にまで意識が及ばないと、
別言すれば、「倫理」を忘れると、「顧客は誰?」の顧客は人間じゃなくなる。

ああ。東京電力福島第一原子力発電所事故にも、
全く、同じように当てはまるじゃないか!?

三つの箱から世間を覗く(第69回)

「外食で食中毒にならないのは…?~焼肉屋食中毒事件②~」

①4月19日より26日の間に「焼肉酒家えびす」が集団食中毒事故をおこし、
富山、神奈川、福井の3県の患者は計65人(死者2人を含む)にのぼり、
全店は営業中止、富山県警・福井県警が業務上過失致死傷容疑で捜査本部を設置したという。

5/2(第67回)に「富山焼肉店事故の報道の仕方」としてとりあげた。
太田君がいいコメントを付けてくれた。
「この件については、食肉卸業者に「騙されて」いたかどうかは
全く抗弁理由にならないと私は考えております。
これが未認可添加物の使用の有無といった、外観上も検査からも判別できない
事項ならばまだ情状酌量の余地はありますが、生食用か否かの目利きも出来ずに
食材を購入するべきではなく、もし目利きの自信がないならば如何に安心できる
卸業者を選択するかに注力するのが筋のはずです。」

その後の報道で、太田君の指摘が焦点であることがはっきりしてきた。
・「生食用」に屠畜・精肉化されているものと、それ以外の「加熱要」の肉の2種類がある、
 というのが、大方の認識じゃないか?
・だが、馬肉は別として、牛豚鶏などに関しては、09年度は「生食用」として出荷された実績はない。
 (ここあたりがよくわからないなぁ…。その資格を持つ屠畜場もあるというのに。)
・98年に「生食用食肉等の安全性確保について」に定められた衛生基準に従って、提供されているらしい。
 殺菌処理しているとの前提で仕入れた肉を、独自の管理基準を作って管理(細菌検査や調理器具の消毒等)し販売している。

②そうだったんだ…。
我々は「肉食民族」じゃないなぁ…。
だって、魚(刺身)と同じじゃないか?
だが、私以外のみんなも、「生食用/加熱用」が「画然」と分けられている、
と(どこかで)思っていなかったか?

考えてみりゃ、「魚と同じ」でも、全く不思議じゃない。
そういうもののはずだ。

③だが、どうも「そういうもののはず」ではないようにしろ、という声を聞く。

 「生肉を規制しなければ、同じような惨事が起こる可能性はある」。
焼き肉チェーン店を経営するフーズ・フォーラス(金沢市)が2日に開いた記者会見で、勘坂康弘社長は語った。
「生肉」に関する国の衛生基準に罰則がなく、全国の焼き肉店で提供される生肉の大半は、国の基準を満たしていないとみられる。
(毎日新聞 5月3日)

今日(5月4日)の朝のTVでも、焼肉屋数十軒へのアンケートで
「国が規制/店が自己管理(肉の素性は明確化)」の回答は大体半々だった。
スタジオにいる連中は、「国が"生食用"を保証せよ」という。

確かに、魚屋には「生食用」として売っている。
私たちは、魚に関してトーシローだから、「生でたべられるよ」と言われなきゃわからない。
だが、その「生食用魚介」は冷蔵庫に保管するし、冊から切り分けるとき、まな板も包丁も気を付ける。
生肉には(魚と違い、)菌が最初から付いていて、それを処理するのに家庭では難しい(面倒)という。

④何が言いたいのか?
「生食用」だから「安心」ではないんじゃないか?
「生で食べられる」ように飲食店がきちんと衛生管理しなければ、
「生は危ない」のだ。

(蓮舫消費者・食品安全担当相は2日の記者会見で、
「飲食店で生肉料理を食べる際は、加熱用の食品を使っていないか確認してほしい」と呼び掛けた。
蓮舫は、きちんとレクチャー受けたのか?
コンビニ視察でお茶を濁せることじゃないんだぜ?
(どんどん馬脚を現わし出したなぁ…)

過去報道された「焼肉屋食中毒」は、焼き肉たむら、焼き肉安安というチェーン店だ。
(勿論、他でも事故を起こしているが報道されていないだけかもしれないが)
チェーン店化とはマニュアル化に他ならず、
プロの仕事をアマにさせるということだろう。
「生食可」の目利きもプロの仕事である。
「生食可」のお墨付きをお上に求めるようになれば、
生肉の衛生管理・処理の意識・技量・質は?
「焼肉酒家えびす」では、4店で発生している。

勘坂康弘社長は「(ユッケとして)肉を生で提供することの危険性は認識していたが、
企業体質の甘さから検査を休止していた。反省、後悔している」と謝罪した。
 フーズ・フォーラスによると、最後に検査したのは09年7月29日。
それ以前の数年間は定期的に実施していたが、一度も菌が検出されなかったなどの理由でやめたという。
(北日本新聞 2011年05月03日)

私は、生魚は食べるが、ユッケやレバ刺しは食べん。
だが、子供や学生と一緒に焼き肉は食べる。
最近こそ、頼まなくてもトングを持ってきてくれる店が出てきた。
だが、少し前まではどこでも、私は店員に、「食事用」じゃない「肉焼き用」の箸を頼んでいた。
「口に運ぶ箸で、生肉を挟む危険性」を店側は認識していなかったのだ!

「全国焼肉協会」には、全国1400店が加盟するという。
どこで、安全に「焼き肉」を食べることができるだろうか?

2011年5月3日火曜日

三つの箱から世間を覗く(第68回)

「心は見える」というACのCM

電車の中で3人の生徒の内、一人だけが、
女性が妊婦に席を譲っている所を見る。
その生徒は、(躊躇いながらも)石段を上る老人の手助けをする。

「見たもの」だけが「学んで」いる、「変わる」。
ふざけている他の二人は「見ていない」。

なぜ、「(席を譲っているところを)見た」生徒は「見た」のだろうか?

このように、「問う」ことから、「仮説」を出すことができるようになる。
みんな、考えてみたらどうだ。

随分前に"gunbo"なる人物から、「心は見えるか」に質問が出ていた。
"gunbo"なる人物の正体が不明であるため、どう答えるべきか迷った。
他に言いたいテーマが、次々にあったので、このテーマ置いてきた。

皆の答に絡めて、私の考えを語りたい。

2011年5月2日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第67回)

「富山焼肉店事故の報道の仕方」

TVニュースで焼き肉店の言い分を聞いていると、
卸売店から勧められた「生食用」を使った、と言っている。
(自社で検査はずっとやっていないと。)

他のメディアを見ると、
「生食用」の肉ではないこと知っていながら使った、と言っていることを報じているものもある。
(第一報でも、そう聞いた。)

卸売店が偽って卸していたことが事実なら、
他の焼き肉店などでユッケやレバ刺しは食べては危ない、ということになろう。

適当に、焼き肉店経営者の会見を「つまみ食い」して流していいのか?
記者会見の全部を流したわけではない。
一部分の「卸売店が生食用と言ったから…」だけを流すのは、
「生肉を食べるのは気を付けよう・控えよう」というメッセージだったのだろうか…?

(タイトルからはずれるが…)
それにしても、記者会見での社長の謝り方はひどいなぁ…。
体育会系の集団での謝る時の言い方じゃないか。
それにしても、タムケンの謝罪の仕方、責任の取り方は良かったなぁ…。

三つの箱より世間を覗く(第66回)

「ビンラディン殺害報道に思う」

O.ビンラディンが殺害された。
TV・新聞が言わないことを述べたい。

最初に、私は「テロ」を肯定しない。
しかし、圧倒的な弱者の戦い方として、
「ゲリラ」と「テロ」がある。

①なぜ「ゲリラと(戦争)」は肯定され、「テロ」は否定されるのか?

②他国の国民を爆撃し、襲撃し、殺害し、遺体は海に捨てたという。
 (逮捕、身柄引渡しの要求ではない。)

③9.11のテロ行為を肯定はしない。だが、あのテロ行為は突然、「無」から生じたのか?

④ みな、「正義と悪」という図式を、そのまま信じているのか?
 アメリカ対アルカイダは、「正義と悪」か?

⑤「O.ビンラディン殺害」は「復讐」であっても「正義の勝利」か?
 (私は、「復讐」を否定するものではない。)

⑥O.ビンラディンの家族も一緒にいたのではないか?
 一緒に居住していたら、一緒に殺害されても自業自得か?
 
⑦アメリカの(殺害までの)執拗さと、(殺害後の)歓喜を、あなたは、どう感じますか?

⑧自国の国民が殺されたら、ましてや自国が攻撃されたら、「絶対に」許さない。
 地の果てまで追い、地に伏して許しを乞わねば(乞うても)、殺す。

⑨9.11以降のアメリカのイラク・アフガン攻撃は、
 「世界平和のための対テロ戦争」なのか、
 「攻撃されたことへの復讐戦争」か?

⑩米軍は被災地復興に力を貸してくれた。
 日本は、「9.11以降の戦いに、どう同盟国として協力してきたのか?」

⑪今回のニュースは、事件そのもの、アルカイダ、テロの今後、他のイスラム諸国の反応などより、
 日本の同盟国、日本を軍事力と核兵器で守ってくれている、
「アメリカとは?」をあらためて考えさせるものではないのか?

私は、アメリカは、
・力と金を信じる
・やられたら、やり返す
・自分のテリトリーに敏感
・下でに出れば守ってくれるが、対決姿勢を見せると…
・ええかっこが好き
・男尊女卑

まだまだあるが、「アメリカは○ーサン」とそっくりだ。
日本は、21世紀を20世紀後半と同じようにアメリカの子分を続けるのか、
それとも、中華帝国の属国になっていくのか?
「本気」で考えなくていいのだろうか?

日本以外の国は、どう他国と関わっていこうか、もっとはっきりしているのじゃないか?

2011年4月30日土曜日

三つの箱から世間を覗く(第65回)

「学者・識者の責任・曲学阿世~2011.4.30のTV~」

○覚悟を求められている「識者」
昨日(4/29)小佐古敏荘内閣官房参与が辞任した。
政府の対応の遅さ、情報の「隠蔽」と共に、
「変更された小学校などの校庭利用を制限する限界放射線量は自分の子には浴びせられない量だ」
という趣旨の理由に因るものだ。

○今朝、「ウェーク」で「それでも原発は必要か」をやっていた。(4.ch)
コメンテーターの一人、木場弘子は政府のエネルギー・原子力部会委員だ。
他にも、田中隆弘原子力安全・保安院広報担当(?)
現状分析は「脱原発派」の研究者、
政治家からも「脱原発」の河野太郎衆院議員など。
河野太郎は、「自民党はこれまで原発を推進して来、安全委員会、保安院も自民党政権が…。」
として、反省すべき、と言う。
(臓器移植法などで、評価したくなかった河野だが「自党の責任」を口にしたのは大いに評価したい。)

○木場は、TV画面で自分が政府の原子力政策に関与してきたことを流されても平気なのは凄いなぁ…。
政府委員は官僚政治の片棒担ぎをするのが仕事であることは、しばらく前から明らかになってきた。
「結果」が悪くなければ、「責任問題」も生じまい。
だが、今回の原発事故は、ここに関わったものが全てが「責任を問われる」べきものだ。

○小佐古敏荘は立派、木場弘子はダメ、という趣旨ではない。
大体、(ネットで調べてみると)小佐古敏荘氏は、国側、電力会社側にベッタリの人物だったという。

○政府に加担するな、とは言わない。
だが、権力と関わる時、「識者」と呼ばれるものは、
時の権力の「正当化」のために委嘱されるのだ、ということを忘れてはなるまい。
(反対派は、原則呼ばれない。官僚の作文にサインすることが期待されている。)

だが、自分の「学識」を評価されているから、その地位に就く正当性がある。
社会も、「学識」に対する信頼から、その識者が認めた「報告書、政策」を受け入れるのだ。

「原発賛成」自体を「禁ずる」気にはなれない。すべきでない。
だが、
・「原発推進派」は、「原発の被害」に対し、「応分の責任」を負わねばならない。
 併せて、「自分の考え」が誤っていたことを認め、謝罪すべきではないか。
・「原発推進派」でもないのに「市民、消費者、女性」だのというものの「代表、代弁者」として、
推進に関与したものも同様の責任・謝罪があるべきだが、
こちらの方が、はるかに「罪が重い、質が悪い」であろう。
推進派の学者は、自分の学問に立った。
だが、「市民派」だの「女性目線」で、「推進派」に協力したものは、
自分の「学識(立場)」を曲げたのである。

科学・学問の「正誤」「責任」とは別に、
研究者・学者の「責任」がある。
その最大のもので、絶対許されないのが、
「曲学阿世」であろう。

「曲学阿世」の存在は、その言葉と同じだけの古さを持つ。
だが、この「生まれ方」は時代・社会で違う。
現代日本において、
「社会に役に立つ」テーマにだけ研究費を配分せよ、
資金を自分で(企業から)調達してこい、という。(所謂「競争原理」。)
より、重要なのは、研究に必要な資料・データを、
研究対象から得なければならない点だ。
原子力・原発安全性を研究するもの、電力会社の社会的責任を研究するものは…。
協力的研究者と資料・データ面で大きくハンディを受けよう。

政府とTVは、「曲学阿世」を求める。
自分たちの都合に合わせて「自分の学を使う(曲げる)」ものを求めるのだ。

だが、「曲学阿世」は、学問・学者の社会的信頼を棄損する。
自然科学と社会科学の両輪により成立する、現代社会における「曲学阿世」の罪の重さを、
(「曲学阿世」を)求める者も、答える者も、その結果を受け入れるその他の者も、
今一度、考えてみるべきである。


気付かぬことが、基本・基盤であり、
気付かぬことにより、結果でたあとで、
取り返しのつかぬことをした、と深い深い後悔に沈むことが、
個人でも、組織・集団でも、社会でもあるのだ。

2011年4月29日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第64回)

「日本の将来を議する国会議員」

今日も、予算委員会が放映されている。
自分たちの「これから」が論ぜられている。
見・聞かねばなるまい………。

福島県、宮城県、岩手県選出民主党議員が次々に質問に立つ(なるほど…)。

○原発国策に協力した福島県・地元が「一方的に犠牲になった」と民主党・渡辺恒三。
流石である。「国難に一致団結せねばならぬ、総理は死ぬ覚悟で当たらねばならぬ」と、
野次を抑え込む迫力ある質問(演説)で雰囲気を作った。
スピーチの力、経験からくる貫禄などを感じさせてくれるものだった。
(余談だが、ランちゃんの弔辞の方がミキちゃんの弔辞より優れていた、と感じた。
この差は何から生じたのか?面白い。)

こうして作られた気持ちが「本物」であったら、
あとは、官僚に適切な指示をし、国民に協力を求めるだけであろう。

○だが、「東電(の責任は極めて思いが)だけを悪者にするな。我々がしっかりせねばならぬ。」では、
「誰がこの事態を引き起こしたのか?」を曖昧にする。
「二度と引き起こさぬようにしよう」とするなら、
「なぜ起こったのか?→誰がどんな意思決定をしたのか?→その動機・理由・背景」

また、何よりも「責任の所在を曖昧にして、本気で立ち向かえるのか?
自分にいかなる責任があるのかの認識は大事ではないか?」
野党自民党の「原発国策推進」責任を問わない。
→民主党の有力者は元自民党
→自分が(かつて)やったことの責任はとらなくていい
→そのようなものの「責任感」など誰が信じ・期待するのか?

○原発国策に協力した福島県・地元が「一方的に犠牲になった」という。
→同じように国策に殉じた「靖国の英霊」を粗末にしてきたじゃないか?
→戦争を全面否定し、「お国のため」を馬鹿にしてきたじゃないか?

自衛隊に「軍事機能」に期待するのも、「災害救助」に期待するのも、
共に「国難」に当たることではないのか?

○石破自民党議員の質問
「(何が問題となっているのか認識できているのか?例えば、)
 仮設住宅が遅れている理由は何か?」
 に対し、菅直人が長々と答える。

 聞いているものの信頼を得る答えは何か?
 「敷地確保です」でも「資材確保です」、でもなんでもいい。
 短く、力強く語ることこそ肝要ではないか!

 正解を答えねばならない、という恐れで歯切れが悪いリーダーに誰がついていくのだ?
 トップは細かい現場の事情まで必ずしも熟知する必要はない。
 乱暴に言えば、2番目以下の理由を答えて、それを指摘されたっていいのだ。

菅の答弁は、いつも「言い訳染みて」聞こえる。
「えー、あー、うー」なしには語れない。
伝えたいことがあるんじゃないんだなぁ…。
(責められなければ、いいんであって)
実行・実現されなくてもいいんだなぁ…。
(文句を言われなければ、いいんであって)

「なりたい」だけで、「やりたいこと」がなかったんだなぁ…。

○石破茂は、力強く、良い質問をする。
渡辺恒三といい、「人物」がいないわけじゃない、と思ってしまう。

だが、二人とも、この「大災厄」への(これまでの)責任に
残念だが、立っているようには思えない。

○自民党・吉野正芳(福島県の双葉町を含む地域出身)が続く。
「安全・保安院や安全委員会がチェック・認可していたが、その内実は…。」
と、言う。私は「おお…、ついに…」と思った。
ところが………!!
「政府にも責任があるのではないか?」と問い、
菅総理が「責任があります」と答えると、
「連帯責任を認めるなら、東電の責任ばかり責めるな!
政府が"連帯責任"を認めるなら、政府が第一義的に責任をとるべきではないか?」
と言う。続けて、「原賠法における"天変地異"の解釈」を訊ねる。
「東電に責任を押し付けているじゃないか!」と言う。
こいつは、何が言いたいのか?
どうも、地元被災者たちが困っているから、政府が助けろ、
と自分が主張したことをアピールしたいとしか思えない。

当然、自分を投票してくれた有権者の声に応えねばならない。
だが、事故を起こした「原発」を推進し、認可・監督してきたのは、
自分たち自民党ではないか!!??
(我ながら、飽きないなぁ…)

情けないなぁ…、浅ましいなぁ…、醜いなぁ…。

○未曾有の大災害の復興だけじゃない。
財政再建、地方分権、年金問題、
エネルギー問題、資源問題、温暖化対策、
領土問題、日中関係、日米関係、安保問題、基地問題、北朝鮮問題
少子高齢化の日本の未来。
まだまだあろう。

列挙しているうちに、
どんどんリストが長くなっていく。
この「膨大な課題群」………!

「経済最長」がなければ、どうなるんだ?
だが、「経済成長」したら「悪化」」する問題がある。
これまでのやり方でない「経済成長」が要請される。
「経済成長」では到底解決できぬ問題がある。

どうなるんだろう…。
責任、専門家の信頼、…。

2011年4月27日水曜日

三つの箱から世間を覗く(第63回)

「いいかげんにせんか!予算委員会の茶番」

参院予算委員会で、菅に対して、
「長崎・広島の原爆と今度の原発事故はどう違うのか?」
という耳を疑う大愚問を発する○○がいた。
愚問に愚人が答えようとすれば当然、愚答となろう。
「原爆は一時的に核反応が…」と長々と答えている。
流石は、理系出身で原子力に強い総理の答弁だ!
(私なら、1分も喋れ(ら)ないなぁ…。)
貴重な審議の時間に
菅首相の「原子力に強い」ことを野党・国民に知らしめる質問を誰が発したのか、と問えば、
民主党・緑風会の増子輝彦議員であった。

議席数に比例して各政党に質問時間を割り振る。
その結果、最大政党たる与党が最長時間を貰い、
「茶番質問」で国会の時間を半分以上つぶす。

「誰の責任か?」的質問があった。
答は当然、「国策ですから、政府の…」の後に
「これまで国政を預かってきたのは、自民党ですから…」
と、続くと思っていたら…。
なぜ、自民党を怖がらねばならないのか?
ここでも、「対決姿勢」の底が割れたな。

続いてご登場遊ばしたのは、自民党マドンナ猪口邦子議員だ。
「放射性物質を止められない政党(A)は、
速やかに止めることができる政党(B)に政権を渡すべきだ。」
と言い放つ。

「おお、その通りだ!」
重要な問題解決が要求されている時に、
その力量無き者に、その任に当たらせることはできない。
誰もが、大きく頷くであろう。

じゃ、猪口先生にお聞きしたい。(かつては、そして議長は「君」で呼ぶが…。)
現与党民主党は、「放射性物質を止められない政党(A)」であることは衆目の一致するところであろう。
だが、「速やかに止めることができる政党(B)」とは?
ここで某J民党と我々との答えが決定的に異なる。
(本当に残念なことには、我々≠国民であることだ)
一体、どの政党の誰が、この難局を解決することができるだろうか?
知っている人がいたら、ぜひその名前を教えて欲しい。

菅直人の表情、語り口、姿勢等々の拙劣さ。
彼以外ならば、現政権の信頼ももう少し、と思うが…。
彼の資質、評価は極めて重要だが、ここでは置く。

「想定外」の「未曾有」の出来事。
しかも、「(安全)神話」に守られた当事者・関連者と共に対策を立て、
解決していかねばならない。
もう一度、言おう。
一体、どの政党の誰が、この難局を解決することができるだろうか?
外部から、全権を任されて、チームを率いて乗り込むことが許されるなら可能かもしれないが…。

だが、自民党は、今回の大災厄・国難を引き起こした張本人ではないのか?
まさか!?自分たちは「張本人」なんだから、「速やかに止めることができる政党(B)」だ、
と言いたいわけではないと思うが…。

いっそのこと、
「私たちが引き起こしたことだから、
 私たちには、解決する責任がある。
 解決に当たらせていただけないだろうか。」
と、言えばいいのだが、絶対×3に言わないだろうなぁ…。
言ったら、私が生きている間は、自民党に投票し続けるのだが…。

民主党も言ってやったらいいのに…。
「総理、一体誰の責任とお思いですか?」
「○○先生にお答えします。
原発政策を推進してきたのは自民党政権であったと存じております。」

ちょっと前にも同じことを言ったような気がする。
マス・メディアが指摘するようになったら、
自民党の「無責任な鉄面皮」も少しは変わり、
私も二度とこのことを言わなくてもすむのだが…。

センスもなく、こんな茶番劇を繰り返し、
国民の信頼を裏切る、国会議員は必要なのか?
こんな質疑をやらせるために、

国会議員に支払われる額は、
歳費 130万1000円(月額)
期末手当の支給(6月、12月)
文書通信交通滞在費 100万円(月額・非課税)
旅費、議会雑費 6,000円以内(日額)
JR特殊乗車券、国内航空会社航空券の支給、等々
集参併せて700名強。
総計200億円を優に超える額を毎年毎年払っている。

議員立法をさせず、頭数だけの存在の民主党なら、
一院制、定数100~200、報酬1,000万円位でいいんじゃないか?
カットした分を復興費用、そして国債償還費にあてたら…。
人数も少なくなると緊張感もますしね。
(勿論、地方に予算・権限移譲とコミでだが。)
復興のための増税の前に歳費・報酬5~7割カットを自ら打ち出せ、
と言いたくなるぜ。

本当は、それだけの仕事を…。

続く質問の一つは、米軍の助力に対しての「感謝のメッセージ」広告に、
「オバマ」の名がないぞ、アメリカを特別扱いしてないぞ、
国民の税金を使ってそんな広告では…、
というものだった。
いったん中断して、また再開しようと思ったんだが、
なんか、こんなしょうもないネタを扱うことが
バカらしくなっちまったので、申し訳ないが、ここで終わる。

2011年4月25日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第62回)

「第57回の質問に答えたい」

【質問】もし、あなたが総理大臣・東電社長なら、どのように被災者を訪ねますか?

これに、竹田君、太田君、中村君、近藤君の4人が答えてくれた。ありがとう。

(1)まず、4人の答から紹介したい(解答の要点部分のみ)。

○姿勢・伝え方について
「責任ある立場として、自分の非を認め、誠心誠意謝罪する」姿勢を見せる
返答に口ごもって答えられないなんてことはあってはならない。
 伝える内容について
「代表として覚悟を決め、全身全霊をかけて力を尽くしたい」
具体的な今後の方針等を述べることは難しい。よって、謝罪文と今後の姿勢を伝える。(竹田君)

○この責務から逃れることなく必ず全うするとの強い決意を示す
被災地を復興し、避難者の生活を元通りにするまでの方向性を説明する
ことくらいしか思いつきませんでした。(太田君)

○まず考えられるのは、実際に行われたように被災者一人一人に向かって声をかけることですが、
映像を見る限り菅総理は全くの無策であったように思います。
 場当たり的に対応して何十何百と言う人に対して好感を残そうということは、非常に高度な力を要すると思います。
「何を、どのように伝えるか」を明確にしない限り、この手段が奏功することは難しいでしょう。
別に考えられるのは、全体に向かって演説(スピーチ)などで言葉をかける時間を設けることでしょうか。
自分が「何をしに来たのか」を明確にすることがまず必要だと思います。(中村君)

○避難所を訪問する意味・目的を考えると、以下の2点が浮かびました。
①自分の目で見ることで、状況を確認する(何があって、何が足りないかを把握する)
②被災者の方々を勇気づける

そしてそのために具体的に何をするか。
まずは、被災者の生活している現場と生活環境を確かめることです。
それには、実際に注意深く見て回ることに加え、直接話を聞く、ということがあります。

また、勇気を与えるためには、そこにいる全員と直接話をし、
どのように対応するか、現状ではどうなっているのかを説明すべきだと思います。
もし、一人一人と話すことが不可能であった場合なら、複数人ずつのグループを
回り、全員と少なくとも会話することができたのではないか、と思います。(近藤君)

(2)正解がない問題なんだが、いずれも「間違い」ではない、「なるほど」ではないか?
ある答えを出した人も、他の答を間違いだとは言うまい。
にもかかわらず、菅総理も清水社長も「正解」を選べなかったのは、なぜだろうか?
君たちは、彼らの立場だったら「正解」を選べるだろうか?

彼らも馬鹿ではない。助言してくれるスタッフもいるだろうに、なぜ?

私は、謝罪なり、説明なりするにあたっての「心」作りが重要だと思う。
被災者の心情にどれだけ寄り添えるか、
被災者の心情と「共感」できていれば、
謝罪も、説明、説得、激励、何でも来いになるだろう。

では、どのようにすれば、被災者の心情と「共感」できるようになるであろうか?
そのヒントが両陛下なのである。
両陛下は、被災者に「心から」共感できている、しているから、被災者の心を打つ。
勿論、我々が両陛下のような人格、心掛け・心持ちなどを持ち得るはずもない。
だが、両陛下が園遊会などで招待客に遭うに当たって、相手のことを聞いてから会う、と聞く。
自分のことをそこまで知っていていただいているのか、と感激するという。
また、陛下は、常日頃から国民のことを心がけていると聞く。
だが、我々凡人は、自分と周りの人のことしか考えず、
謝罪に行く時も、「謝罪」せねばならぬからであり、
それは強制されたものであり、
相手その人に会いに行くわけではないのだ。

そんな私なら、まず被災地を訪れたい。
その地の有様を「心」に刻み付けてから、被災者に会うことにしたい。
被災者が生まれ育った土地、それがいかに変わり果てているか、
それを見ることにより、
被災者の悲しみや苦しみを「共感」することが、少しは可能にはならないだろうか?

その「心」から出てきた言葉は、被災者の心に少しは届かないだろうか?
被災者を無視して通り過ぎるようなことはすまい。
(もし、自分だったら、どんな風に言うか想像してご覧。言葉が浮かんでくるぜ。)

以上、どうだろうか?
私は、この答えが浮かんだ時、
思わず、「どや顔」になってしまったのだが…。

(3)「訪問時期」についても触れられており、非常に重要な点だが、紹介にとどめておく。
○伝える時期についてですが、もう少し早い段階で訪れるべきであったと思います。
せめて、震災1週間後には国民の前でトップが伝えるべきではないでしょうか。
信頼は迅速な対応と姿勢によって築かれると思います。 (竹田君)

○これが震災直後に訪れるのであれば、誠心誠意お詫びする姿勢を示すだけでも
まだ許されるかもしれません。
しかし、事故から1か月以上を経過した時期にトップが訪問する際には、
民間企業間のクレームに置き換えて考えてみましても、納得性の高い
原因分析と再発防止策、そして補償内容が十全に用意されていない限りは
門前払いされても致し方ないかと思われます。(太田君)

2011年4月24日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第61回)

「原発誘致の責任問題 ~第54・55回に続く~」

第54、55回における、原発被災者に対する論評は、
被災者の境遇・心情にあまりにも配慮が乏しい、
「酷い」「公正を欠く」と非難されるかもしれない。
この2回に対しては、コメントもしづらいかもしれぬ。
少し、書き足したい。


福島など各地で引き受けられている原発の背後には、
ただ、金だけが動いたわけではない。
実に様々な「思惑」が渦巻き、
「駆け引き」「取引」「泣き落とし」それ以下の「下種な行為」が
あったことについて触れ、考慮せねばならぬことを、
付け加えておかねばなるまい。

『創』2011.5・6月に、
永六輔が水上勉と共に、福井で反原発運動をしていた時の話が出ている。
反原発賛同者の淡谷のり子・高橋竹山のコンサートに、
五木ひろしなどのコンサートを同じ日にぶつけてくる。
そのスポンサーが電力会社。

同じ号に、珠洲原発反対運動に関わった人の手記があり、
御用学者たちが1回何十万円もの謝礼をもらって、
地元説得に当たっていたことが書かれていた。
(その連中がTⅤに出てきて、
「大丈夫です、心配する必要はありません」
と言っている。
そういう学者を選んでTV局は解説させるとは…!?
と、不信感を述べている。)


東電・関電など超優良企業のエリートサラリーマンも、
地元有力者たちと一緒に、
反対派切り崩し
「に奔走した」or「で給料をもらった」or「にやむを得ずかかわった」
のだよなぁ…。
TV局のエリートサラリーマンも、
スポンサー様への配慮にこれ務めざるを得ない。
原子力研究をするものが、反原発なら、
データの入手も発表の場も恵まれまい。


ただ、「他者のせいに」する限り、
「愚行を繰り返す」ことになる。
「他者のせいに」する弱者・犠牲者の話に頷いている限り、
「自分も被災」する道を選ぶであろう。

自分が「強者」の立場に立ったり、
「強者の僕」になったものは、
「自分も被災」したときには、
何を思うであろうか?

現在、最も「他責の論理」に立っているのが、
新聞・TVであろう。
そのマス・メディアが「世論形成」をし、
「内閣支持率」を計測し、政権交代に一役買う。

まぁ、「他責の論理」に立つものは、
「後悔の淵に沈む」ことはないであろう。

そちらの方がいい・楽、ということで
「他責の論理」が蔓延する
「大衆社会」となっているのだろうなぁ…。

三つの箱から世間を覗く(第60回)

「大震災の復興への道」

まず最初に。
太田君、杉山君、竹田君。
コメントありがとう。
ますます、書く気が出てきたよ。
(「おかげさまで、60回」)

①「TBSサンデーモーニング」で、
戦後の生活変貌を電気・家電により描いていた。
そして、このような電力多消費社会は…、
というコーナーで、

「節電、我慢する」といっても、誰がそうさせるんだ?
その権力の正当性は?
と、寺島実朗は言う。
(ああ、いわゆる「石原嫌い」だな?)

彼が措定している「権力」とはなんだろう?
政治(家)以外を指しているとは「通常」受け取れない。
「正当な権力」なら、従うというのか?
経済はできる限り市場に任せよ、と言ってきたんじゃないか?

今、日本の多くのものは「エネルギー・電力多消費社会」の限界を感じたり、
制限やむなしと思い始めているようだ。
(とは、言ったが、新聞もTVも見ない人たちは、文句言いながら我慢、だろう。)

「権力(者)」に頼らねば、社会は変われないのか?
(その癖、石原慎太郎のような「権力感」プンプンは嫌う)

「文明生活を電気により求め、替わりに伝統文化を失った。
このあたりで、文化生活(省エネ・省資源)を再評価・シフトも考えても…」
浅井慎平あたりが言わないのだろうか?
「生活スタイル・自然観」の転換による「自然な節電(省エネ・省資源)」。
(クーラー・冷蔵庫と浴衣・打ち水等の併用)。

②10時からの「サンデー・フロントライン」
復興後の経済問題、復興資金の財源問題などをやっていた。
色々な議論がなされ、意見も対立しているが、
「経済問題」を論議する限り、
「単なる現状回復」ではなく「新たな発展」を、となる。

③短期では復興問題、経済・財源問題が重要であろう。
だが、①と②の問題は、いかなる「未来像」を描くかであり、
これまでの生き方・あり方を問い直すことから始まるはずだ。
勿論、「TPPの観点から日本農業の再建」を考える。
「温暖化・魚離れから被災地の漁業の再建」を考える。
「津波に耐える街づくり」を考えることは大事だ。

そこまでの議論なら竹中平蔵の議論など大いに聞くべきところがある。
だが、竹中の日本経済改造プランは大方の賛同を受けぬまま頓挫し、今に至っている。
(彼は今でも「不十分だからダメなんだ」と繰り返している。)
政治家は、国家・社会のあり方、国民の生き方(価値観・美意識)の観点から、
つまり①の観点から②の問題を考え、政策策定をすべきであろう。
だが、小泉に①がなかったことが②の専門家の竹中平蔵の不幸があり、
菅には、①のかけらどころか、自己顕示欲・自分可愛さしかないところに、
日本の被災者の不幸がある。

私は、安部晋三の「弱さ」や石原慎太郎の「傲岸さ」は、受け入れがたいが、
彼らが①の視点から発言し(それが物議を醸し)ていることを評価する。
二大政党とは、
①vs①や、①vs②であってこそ意味があるのではないか?

②vs②で、現行の与野党対立があり、
「高速道路無償化」「子ども手当」等のの(チャチな)議論がある。

①vs①の元となる、未来を展望する小政党が排除される「小選挙区制」の欠陥に
国民・有権者は早く気づきかねばなるまい。
未来像を政治の場でも模索し、
議論し、作っていかないと、
この「大震災」の犠牲者は納得できぬばかりか、
全国50箇所以上の原発の行方は、
その原発を必要とする我々の生き方は、
ダラダラと今のままで続くであろう。

沢山の委員会・審議会をなぜ作るのか?
①あっての存在・機能ではないか?

2011年4月23日土曜日

三つの箱から世間を覗く(第59回)

「言葉の重さ、何を伝えるのか? ~風評被害をもたらすもの~」

(前回に続いて、2011.4.23の朝のNHKニュ-スから。)

○校舎が流され何一つ残っていない高校を見ている高校生。
「将来、親と一緒に漁に行けたらいいなとおもう」
と語っているのを、画面下部の文字では、
 A.「将来、親と一緒に漁に行けたら」

と表示していた。
私は、この省略の仕方は適切ではない、と思う。
(省略自体は「仕方がない」としておこう。一々文字にすることの是非はある。)

私なら、次のようにする。
 B.「将来、親と一緒に漁に行きたい」
 
Aのように表記してあると、
この高校生が、近年よく聞く、
最後まで言わず、語尾をあいまいなしゃべり方をしているように受け取られる。
これでは、「正確な」報道の役目を果たせぬだけでなく、
このような「尻切れ話法」の教育・伝播を助長することになる。
(「標準語=共通語」は学校教育と共に、
NHK、TVにより共有された。
言葉遣いはともかく、イントネーションはラジオ・TVが決定的であろう。
「関西弁」や、去年の「…ぜよ」を想起されたい。)


「煩いことを言うなぁ…。意味が通じればいいんだろ。」
という「声」が聞こえてきそうだ。

「そう!意味が通じなければいけない」のだ!
だから、Bである。
高校生は、インタビュ-に戸惑って、口籠りながら語ったのではない。
「将来、親と一緒に漁に行けたらいいなとおもう」と彼は強く言ったのだ。
しっかりと心に抱いている「思い」を、しっかりとした口調で彼は語った。

だから、Bの「将来、親と一緒に漁に行きたい」が、
短縮した時の、「正しい」伝え方ではあるまいか。

映像メディア(特にTV)は何よりも「人目(視聴者)を惹く画」を撮ろうとする。
だから、被害者・被災地にハイエナ・禿鷹のごとく群がり、
加害者・被害者少年・少女の昔の写真・文集をどこからか持ってくる。
だが、その「人目を惹く目玉映像」だけでは、
「何」は伝わっても、「なぜ」や「今後」はわからない。
だから「解説・コメント」が必要になる。

TVは画像・映像と言葉の助けを必要としている。
「事実」とは「現象」+「意味」であろう。
「意味」を「正確に」伝えるためには、
言葉を「適切」に使う力・心掛けが必要なのだ。

○今やっている番組で、
「被災地産の野菜を食べよう」
「風評被害を吹き飛ばせ!」と言っている。

「風評被害」地は「被災地」だろうか?
福島県は全県が放射能汚染されているわけではない。ごく一部だ。
「被災地」が受けた「災害」は何なんだ?
「災害」を受けていない土地を「被災地」と呼ぶ。
これこそ「風評被害」じゃないか?
「風評被害を吹き飛ばせ!」という番組が、
放射能汚染されていない土地を「被災地」と呼べば、
避ける人が出てくる。

「被災地産の野菜を食べよう」の
「被災地」の「災害」とは「風評被害」じゃないか!!??
「放射能汚染」という「災害」を受けているなら、
その野菜は食べてはならないのだから。

自分たちが「風評被害」をまき散らしていることに気付かない鈍感さは、
日ごろからの「言葉遣い、言語感覚」の杜撰さから生じる。
(「差別語」にやたら敏感なマスコミ。
彼らがその言葉を使わないのは…。)

三つの箱から世間を覗く(第58回)

「喜びや悲しみ(私情)と式(公の場)」

(2011.4.23の朝のNHKニュ-スから)

○写真(遺影)を持って小学校の入学式に列席する二人の母親の姿が
ニュースで何度も流されていた。
(母親の辛さ・悲しみに対して、無情なことを言うことをお二人に許しを請うてから始めたい。)

裁判所などでの(斎場以外での)遺影を手にした姿に、
どうしても違和感を抱いてしまう人は、それなりにいるのではないだろうか?
ましてや、卒業式ではなく入学式である。
卒業式は、それまでの勉学が成ったことを証す場、「卒業証書」が渡される場であろう。
だから、卒業式の直前に亡くなった子供に卒業証書を渡すことも、
遺影で参加することも(まだ)わかる。
だが、入学式は、これからそこで学んでいく人・子供たちのスタートを切る場だ。
(可愛そうだが)学べなくなった子供には参加する資格はあるまい。
子供を失った親の「喪失感」を埋めるための行為であることは推測できる。
だが、「公的」、尚且つ「目出度い」場で、
そのような「私情」を晴らそうとするのは、いただけない、
というのが「大人」の見識というものだろう。

「式」とは何か?
なぜ、誰のために行うのか?

「出たい場」なのか「出なければならぬ場」か?
「成人式」と同じ。
出たくなければ、出なくてもいい「成人式」は、
その「原型」たる「元服(式)」とは、そこで決定的に異なるであろうなぁ…。
つまり、「(どんな)大人になるのかは自由」な社会なら、
成人式は「出なければならぬ場」ではなくなり、
騒いでもいい場になるのだろう。 

「自分の誉めてあげたい」、「自分へのご褒美」が溢れ、
「あなたの我儘かなえます」お店が増えてきた社会。
「我慢してはいけない」
「あるがままの自分が一番美しく、好き」な社会。
まだまだ、あるぞ、いくらでも。
「ジコチュー」社会に目を塞いで、
総理大臣や東電を責めたって…。

最後に、もう一度。子供を失った辛さには深い同情を抱いだいていることを述べておきたい。

だが、被災者がなぜ泣きわめかないのか?
耐える姿が「敬意」を抱かせ、
「同情心」を「見下す心」に変えることを防いでいるのだ。

「弱者」が「弱者」ゆえに「強者」に転化していることに、
「自らも、誰も気付かず、疑問に思わぬ、社会」の「将来」を想像してほしい。
このことを、強く強く言いたい。

2011年4月22日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第57回)

「この差・違いはなんだ?」
①高島屋で福島+北関東3県に野菜の特売フェアが好評と言う。
だが、スーパーなどでは同地の物産は売れないと聞く。
千葉産の魚介が築地では全く売れないとTVで流れていた。

限定して「特別」と銘打てば、人は買うようだ。
「安全」な野菜と「不安」な野菜が同じ売り場にあると、手を出さない。
「不安による風評被害」なんだから、
「買い控え」ても不思議ではなく、
「買って」も不思議ではない。
心理学者に説明してもらいたい、と思ったけれど、
学者(科学)に対する信頼感は薄れちゃったなぁ…。

②菅首相が被災地を訪れた。
東電社長も被災地を訪れた。
被災地の人々、被災者から県知事までからケンもホロロの扱いを受けていた。

天皇・皇后両陛下も訪れになった。
被災者の人々は、
「ありがたい、励みになった」と喜んでいる。

このニュースを聞いて、
まさか、「天皇には責任も権限もないからなぁ…」とか、
「喜んだやつは一部だろ」とか言うやつはいないだろうなぁ…。

いや、いるだろうが、仕方ない。
だが、菅首相も東電社長も
「自分と両陛下の違い」は何か、どこから生まれるのか、
と問うどころか、疑問にも思わないだろう。

いや、この二人だけではあるまい。
このニュースを見たもののどれだけが、
そう感じ、考えようとするだろうか?

(例え、両陛下のように振る舞うことはできなくとも、)
感じ、考えさえしない人々が、
被災地の復興に当たり、
原発事故の対策と避難計画の策定に当たっている。
辛く、大変な目に遭い、
なぜ、と問うている人々に納得させることなどできまいなぁ…。

金だけの問題じゃないんだ、ということがわからないんだから、
いくら頭を下げたって、謝罪の言葉を繰り返したって、
「伝わらない」ということの意味はわかるまい。

そして、わからない者たちしか
これからも首相に政治家になるだろう。
わからないもの達が投票するのだしね。
そして企業のトップになり、
大事故を起こす惧れを恐れず、
起こったら、被害者をまた怒らせるのだろうなぁ…。

私も、これを読んでいる君も…。

【質問】もし、あなたが総理大臣・東電社長なら、どのように被災者を訪ねますか?
(月曜日に、私の答を書きたい。
それまでに、一人か二人の答を聞きたいなぁ…。
「正解」なんかない。どんな答えでもいい。
とにかく考えてみること。
ありきたりのことしか出なかったら、そう書けばいい。
首相や社長さえわからず、できないことなのだから…。
今、自分が考えられる答はどんなものか、を自分で確認すること、
が大事で、考えたものだけが人の答を聞いたとき、
そこから学べるのだと思う。)

三つの部屋から世間を覗く(第56回)

「お上頼みの日本人」

避難勧告が出された住民の中で、
「いつ帰れるんだ?時には一時帰宅ができるのか?
それがはっきりしなかったら、非難なんかできない!」
と言っている人がいる。何人かから聞いた(TVで)。

同じ論理の文句については、これまで書いてきた。
「正確な情報を出せ。一体食べてもいいのかどうか、わからないじゃないか!」
というやつだ。

誰のための「勧告」なのか?
自分の安全のためじゃないのか!?
自分の「為・利益」のためじゃないのか!?

イヤなら、逃げなきゃいいじゃないか?
不安なら、食べなきゃいい、飲まなきゃいいじゃないか?

強制されているのは、出荷制限を受けている農家・酪農家だけだ。
この人たちの辛さ・無念さ………。
避難勧告が出されたって、銃で追い立てられているわけじゃなかろう。
基準値を超えた野菜は出荷制限されており、店では買えないのだ!!

避難すれば、確かに不便だ。
いや不便以上に生活していけるかどうか大問題だ。
なぜ、自分たちがこんな目に…。と思う気持ちもわかる。
だが、地震被災地の人たちの多くからは、
「なぜ、自分たちだけがこんな目に…」と言う声は聞こえてこない。

避難所で自分たちで温かい食事を作っているところもあれば、
配給のおにぎりだけを食べているところもあると聞く。
自分たちで復興の手助けを始めている人もいれば、
こんなところでは生活できないじゃないか、と不平だけを言っているような人もいる。

水・牛乳・野菜を食べてもいいか不安だ。
だが、店頭からなくなっているわけでも、
価格が2倍、3倍、10倍になって手が届かなくなっているわけじゃない。
一方、農家は生活ができなくなるのだ。

あらることにはコストがかかる。
ノーリスクで得られるリターンは稀だし、多分あとで大コストを支払うことになるだろう。

気持ちをわからないわけではない。
だが、子供じゃないんだ。
大人なら、「文句」ばかり言うべきではあるまい。
大人なら、「不安だ、安心させて」と言うべきではあるまい。
大人なら、「どうしたらいいか、命令して」と言うべきではあるまい。
他の人が助けてあげよう、と思うのは、
「どうにかしろ」と声高に叫ぶ声に応えるからではなく、
黙って耐え、黙々と立ち向かっている姿に打たれるからではなかろうか…。
根底にある「同情」を打ち消すように働く言動と、
「同情」を行動に移させるように働く言動。

日本の政治家が信頼できなくなってきたのは、
「民主主義」の社会で、国民・有権者が「自立・自律」してないではなく、
「自立・自律」心を失ってきたからではないのか?
(しかも質(タチ)が悪いのは、本気で頼るのなら、
そのまんま東に170万人近くのものが投票することはあるまい。)


都市・東京に住む者たちの言動に比べ、
震災地に住む者たちの言動が「立派」であり、
世界から評価される原因は何か?
失われゆく「自立・自律」心であろう。

次の(来てほしくない)大災厄の時は、
世界の人々にどうふるまって見せることができるだろうか?

(大変な目に遭った人たちが、今なお避難している最中に、
その人たちも含めた批判は慎むべきであろうが、
主たる対象は、安全が守られている人たちであることを、
断っておきたい。
また、過去を避難する目的ではなく、
批判することから将来を考えるねらいで
述べている。)

2011年4月18日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第55回)

「亡国への道、無責任の蔓延」

 数年前から、急に出てくるようになった漫才コンビ「ナイツ」風に。

「今日、tvで国会の予算中継やってましたね?」
「はいはい、あなた、そんなの見てるんですか?」
「そこで、自民党が菅首相を盛んに責めてたんです。
 ところで、あの人、表情悪いですねえ…。」
「そうですねぇ…、それで?」
「なぜ自民党が、そんなに責め立てるのか、疑問におもったので、
 調べてみたんです。
 みなさん、ヤホーってしってますか?」
「Yahoo位みなさんご存知ですよ。」
「そしたら、なんと!なんとですよ!
 戦後ずっと、ほんの2年前まで、自民党が政権与党だったんですねぇ…」
 

予算委員会で、自民党が「菅首相は初動ミスをした」と責めている。

原発は、国策だった。つまり、自民党政権が推進した。
事故を起こし大災厄をもたらした、福島第一原発の建設認可も自民党政権でなされた。

なぜ、起こる原因を作ったもの(自民党)が、
起こった後始末をしているもの(菅首相)の責任を声高に咎めだてをしているのだ?
なぜ、できるんだ?

わからない。

そして、メディアは、そのことを言わない。

菅首相も民主党も、表立っては、反論はできない。
それは、政権という「責任」を引き受けたからだ。
「事故」に「対応」する責任、とともに、
これまでの「国策」も引き受けたのだから…。

しかし、「危険」と言われてきた原発を「安全」と言って推進してきた自民党と、
原発の「安全」を職責としてきた原子力安全委員会と原子力安全・保安院の責任こそ最も重いのではないか?(TVでは誰も言わない。)

なのに、政府は東電を責め、
自民党は民主党を責める。

この醜さ!!!!!!!!!

まだまだ終息には遠い段階で「責任追及」は、慎重に臨むべきであろう。
だが、自民党は、「恥ずかしげもなく」菅総理を咎める。
おそらく、事故対応の段階で、その手際の悪さを責めることで、
自分たちの責任を転嫁しようとしているのではないか?
自分たちの「過ち・責任」を一切口にせずに、菅首相を責めるのだから、
この「推測」は間違ってはいるまい。

みんなは、腹が立たないのか!?
私は、この原発推進政策の責任を頬っ被りして、
民主党を責め、政権交代を口にする自民党には投票しないぞ!!

原発被災者たちはそうおもわないだろうなぁ…(気づかない?)
多分、君たちも、そう思わないだろうなぁ…。


なぜ、メディアはこのことを言わないのか?

それは、「危険な原発」を使ってでも、
「夏にクーラーにあたりながら、冷蔵庫で冷やしたビールを飲みたい」という、
国民(視聴者)と同じ穴のムジナであり、
オールナイトで、(ほとんどが)馬鹿番組を流し続けてきたからなぁ…。

国民は、「便利・快適」を「危険」と交換したことに、
まだ気付いていないのだから…。
(「経済効果」のために「自粛」を止めよ、という論理!!??)

避難せざるを得ない、本当に気の毒な原発周辺の住民だが、
「金(交付金)」と「「危険」と交換したこと」を自覚せず、
東京と東電のせいにする。

自分が「決めた・引き受けたこと・もの」に対する責任。
(政権、総理大臣の椅子、委員、原発ー快適さ、原発ー金など)
「起こしたこと」の責任(東電・自民党)。

「責任」とは難しい。
「取りたくない」ものに「とらせよう」とする。
重大な案件の責任問題を適当にやったら、どんなことになるか…。
6~9か月かかる原発事故の終息までに、まき散らされる放射能も怖いが、
この「無責任」はもっと恐ろしいのではないのか?


菅首相・民主党の「責任」は何か?
私は、その力量も覚悟もないままに、
「なりたい」だけで、「権力を握った」ことだ、と断じたい。

そして、この厳しい内外環境にある日本国家の運営を、
その民主党に、「信頼できない」けれど、「まぁ、任せてみよう」と思ってしまった、
日本国民の責任は…?