2011年5月5日木曜日

三つの箱から世間を覗く(第71回)

「福島原発事故の賠償・補償は誰がどんな形で?~福島原発事故の責任①~」

この稿は、東電がどれだけ賠償すべきで、かつまたできるか?
など具体的問題や、
この時点で「値上げ」を言ったりすることについては触れない。


「電気料金値上げ16%}の文字が新聞に踊る!

①街ゆく人たちにインタビューしている。
「仕方がないんじゃないですか?」×1
「納得いきません」×1

まぁ、「お約束」の「賛否両論」
(視聴者をほんとに舐めているよな。これについては、また述べたい。)

みんな、「値上げ16%」以外、知らないし、調べもしていまい。
それでも、意見を堂々というんだよなぁ…。「意見を言う権利」てヤツか?
(賛否の意見を持つことと、他者に聞かせようとすることは「別」だ。)

②税金(国の責任)でも、電気料金(東電の責任)でも、
(乱暴に言えば)賠償・補償額は同じ。
従って、払う我々の「出費額」は同じ。  

③関東の住民には「値上げ」だが、他地域住民は「値上げなし」。
まぁ、当然かな?どうだろう?
関電や四電で値上げといったら、そこの住民は何と言うだろう?

「誰の責任か?」が不明確なままだもんなぁ…。

④東電が支払う賠償・補償金は、そのままコストとなる。
そのコスト増は、東電利用者が負担するということか?

⑤税金なら、「国家の責任」すなわち、「国民の責任」ということか?
同じ国民として、互いに助け合う。
同国民の自己責任外の被害は補助するのは当然。
だが、この事故は、「国民の責任」なのか?

⑥東電の役員報酬50%カット。それでも、平均2000万円(社長・会長は?)。

⑦原子力安全委員会や保安院のメンバーの責任は?
前者は、月1の会議で、年1,600万円の報酬という。
彼らは、「原子力安全」の専門家として大きな権限・責任がある。
だが、今度の事故の責任は問われぬどころか、
彼らが電話会議程度(議事録もない)で、
「福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSv」
を決定したという。

小佐古参与辞任問題は、まさにこの「責任問題」なのに、
TVは1回流しただけで、
あとは、「被災者の姿」など「ヒューマン・ドラマ」を流している。

⑥⑦のような点は、賠償総額に比すれば、極めて微々たるものだ。
だが、①~⑤で見たように、
「誰が、何に対して責任があるのか?」を抜きには、
税金か?電気料金値上げか?をきちんと論ずることはできまい。

「原発推進派」は、東電に責任があるようにいい、
今、東電は、責任を限定させようと必死になっている。

避難民は、「東電出てこい!」と叫んでいれば、ある程度の金を手にすることができるだろう。
国民、関東の住民はノホホンとしているうちに(経済のために自粛するな、旅行しろ、金使え、に踊り)、
おそらく、税金と電気料金アップのWパンチを食らうんだろうなぁ…。

今回は「国難」と言われているほどのことだ。
必死・本気になったやつに負けても仕方ないか?
寂しいなぁ、情けないなぁ…。

(※)コメントを付けてくれている、太田君、竹田君、杉山君、中村君、他の諸君。
ありがとう(特に、毎回書いてくれている太田君)。
君たちと、一緒に考えていくのは、本当に楽しい。

地震という「天災」以外は、
原発事故、ビンラディン殺害、焼肉食中毒事件、などはみな「人為」だ。
「天意」は受けるだけ。
だが、「人為」は「人が起こしたこと」故、
「人が考え、取り組まねばならぬこと」だ。
しかも、どれも私たちに無関係ではない。
これからも、どん×7コメントしてほしい。

2 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    私は東京電力が支払うべき数兆円とも言われる賠償金を「東京電力の
    電気料金値上げ」によって賄うのは不合理であり、一時的な増税や
    全国規模の電気料金値上げにより資金を確保するのが妥当ではないかと
    考えております(もちろん、東京電力の経営努力によっても不足する分を、
    という前提ではあります)。

    私自身は東京電力に電気料金を支払っている神奈川県民ですので
    このような意見は非常に主張しづらいのですが、
    「契約の自由がないところに契約を理由とした賠償を迫るのはおかしい」
    というのがその理由です。

    「私は九州電力よりも東京電力が好みなので、東京電力と契約しよう。」
    といった契約の自由があるならば、利用者のみに負担させるという判断も
    まだ理解できます。
    しかしご承知のとおり、電力需給の契約には「誰と契約するか」についての
    自由がありません。
    電力の利用は契約に基づくものですが、その契約における
    「誰と契約するか」についての選択権がないにもかかわらず、
    「利用者」であることを根拠として東京電力利用者のみに負担させるのは
    どうも合理性が感じられません。
    「誰と契約するか」についての選択権がある銀行において、主力銀行の
    破綻時に公的資金を注ぎ込んでいることを勘案しますと尚更です。

    確かに、福島第一原発の恩恵を全く受けていない方々に負担を強いるのは
    感情的には受け入れがたいのですが、選挙によって選ばれた与党の国策に
    よる事業で生じた損害ですので、国民の負担とするのが筋ではないかと
    思います。

    返信削除
  2. 杉山@3期2011年5月5日 23:25

    杉山です

    お言葉に甘えて、どん×7、コメントさせていただきます。

    ・賛否の意見を持つことと、他者に聞かせようとすることは「別」

    かなり考えさせられます。

    声高に自分の意見を言う立場にはありませんが、
    家庭や職場、そして地域では否応なしにこの話題になり、適当な考えを述べることはできません。

    ・「誰が、何に対して責任があるのか?」

    問いの答えがでていない今、回答は難しいといえます。
    そして選挙権をもって20年以上、自分に何ら責任がないとは言えません。

    ・地震という「天災」以外は、(中略)みな「人為」だ。

    人為という言葉の裏には、責任と義務が隠れているように思えます。
    他人の責任だけを追い求め、自分の責任と義務を意識しない発言には辟易します。

    「お約束」の「賛否両論」などは最たる例のような気がします。

    返信削除