2011年4月22日金曜日

三つの部屋から世間を覗く(第56回)

「お上頼みの日本人」

避難勧告が出された住民の中で、
「いつ帰れるんだ?時には一時帰宅ができるのか?
それがはっきりしなかったら、非難なんかできない!」
と言っている人がいる。何人かから聞いた(TVで)。

同じ論理の文句については、これまで書いてきた。
「正確な情報を出せ。一体食べてもいいのかどうか、わからないじゃないか!」
というやつだ。

誰のための「勧告」なのか?
自分の安全のためじゃないのか!?
自分の「為・利益」のためじゃないのか!?

イヤなら、逃げなきゃいいじゃないか?
不安なら、食べなきゃいい、飲まなきゃいいじゃないか?

強制されているのは、出荷制限を受けている農家・酪農家だけだ。
この人たちの辛さ・無念さ………。
避難勧告が出されたって、銃で追い立てられているわけじゃなかろう。
基準値を超えた野菜は出荷制限されており、店では買えないのだ!!

避難すれば、確かに不便だ。
いや不便以上に生活していけるかどうか大問題だ。
なぜ、自分たちがこんな目に…。と思う気持ちもわかる。
だが、地震被災地の人たちの多くからは、
「なぜ、自分たちだけがこんな目に…」と言う声は聞こえてこない。

避難所で自分たちで温かい食事を作っているところもあれば、
配給のおにぎりだけを食べているところもあると聞く。
自分たちで復興の手助けを始めている人もいれば、
こんなところでは生活できないじゃないか、と不平だけを言っているような人もいる。

水・牛乳・野菜を食べてもいいか不安だ。
だが、店頭からなくなっているわけでも、
価格が2倍、3倍、10倍になって手が届かなくなっているわけじゃない。
一方、農家は生活ができなくなるのだ。

あらることにはコストがかかる。
ノーリスクで得られるリターンは稀だし、多分あとで大コストを支払うことになるだろう。

気持ちをわからないわけではない。
だが、子供じゃないんだ。
大人なら、「文句」ばかり言うべきではあるまい。
大人なら、「不安だ、安心させて」と言うべきではあるまい。
大人なら、「どうしたらいいか、命令して」と言うべきではあるまい。
他の人が助けてあげよう、と思うのは、
「どうにかしろ」と声高に叫ぶ声に応えるからではなく、
黙って耐え、黙々と立ち向かっている姿に打たれるからではなかろうか…。
根底にある「同情」を打ち消すように働く言動と、
「同情」を行動に移させるように働く言動。

日本の政治家が信頼できなくなってきたのは、
「民主主義」の社会で、国民・有権者が「自立・自律」してないではなく、
「自立・自律」心を失ってきたからではないのか?
(しかも質(タチ)が悪いのは、本気で頼るのなら、
そのまんま東に170万人近くのものが投票することはあるまい。)


都市・東京に住む者たちの言動に比べ、
震災地に住む者たちの言動が「立派」であり、
世界から評価される原因は何か?
失われゆく「自立・自律」心であろう。

次の(来てほしくない)大災厄の時は、
世界の人々にどうふるまって見せることができるだろうか?

(大変な目に遭った人たちが、今なお避難している最中に、
その人たちも含めた批判は慎むべきであろうが、
主たる対象は、安全が守られている人たちであることを、
断っておきたい。
また、過去を避難する目的ではなく、
批判することから将来を考えるねらいで
述べている。)

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    避難所での長期間にわたる生活の辛さは想像を絶します。
    温度管理がままならないこともさることながら、何もパーテーションが
    なくプライバシーが確保されないことは耐え難いかと思います。

    ただ、快適な生活空間とは程遠いとはいえ、避難所は国や地方自治体が
    提供しているものであり、その運営に尽力している人たちが居ます。
    ですから、いかに辛かろうとも、
    “大人なら、「文句」ばかり言うべきではあるまい。
    大人なら、「不安だ、安心させて」と言うべきではあるまい。
    大人なら、「どうしたらいいか、命令して」と言うべきではあるまい。”
    とのご指摘、ごもっともと思います。
    自分が避難生活しているならば辛い、苦しい、助けてくれ、といった
    弱音を吐かない自信はないのですが、常日頃においても、大人として
    「○○してくれない」との種の不平不満を漏らすことは絶対に避けようと
    思います。

    日本の昔話では 「欲・野心がなく、何事も有難いと感謝するおじいさん
    (おばあさん)」と「欲をかくおじいさん(おばあさん)」の対比がよく
    用いられますが、これも一つの美徳の伝承かと思います。
    不平不満ばかり口にしている人間というのは決して美しく見えません。
    善人からは程遠く我の強い自分にとっては難しい課題ですが、周りの人への
    感謝を忘れず、有難いと常に感じることのできるおじいさんになりたいと
    考えております。

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