2011年4月18日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第55回)

「亡国への道、無責任の蔓延」

 数年前から、急に出てくるようになった漫才コンビ「ナイツ」風に。

「今日、tvで国会の予算中継やってましたね?」
「はいはい、あなた、そんなの見てるんですか?」
「そこで、自民党が菅首相を盛んに責めてたんです。
 ところで、あの人、表情悪いですねえ…。」
「そうですねぇ…、それで?」
「なぜ自民党が、そんなに責め立てるのか、疑問におもったので、
 調べてみたんです。
 みなさん、ヤホーってしってますか?」
「Yahoo位みなさんご存知ですよ。」
「そしたら、なんと!なんとですよ!
 戦後ずっと、ほんの2年前まで、自民党が政権与党だったんですねぇ…」
 

予算委員会で、自民党が「菅首相は初動ミスをした」と責めている。

原発は、国策だった。つまり、自民党政権が推進した。
事故を起こし大災厄をもたらした、福島第一原発の建設認可も自民党政権でなされた。

なぜ、起こる原因を作ったもの(自民党)が、
起こった後始末をしているもの(菅首相)の責任を声高に咎めだてをしているのだ?
なぜ、できるんだ?

わからない。

そして、メディアは、そのことを言わない。

菅首相も民主党も、表立っては、反論はできない。
それは、政権という「責任」を引き受けたからだ。
「事故」に「対応」する責任、とともに、
これまでの「国策」も引き受けたのだから…。

しかし、「危険」と言われてきた原発を「安全」と言って推進してきた自民党と、
原発の「安全」を職責としてきた原子力安全委員会と原子力安全・保安院の責任こそ最も重いのではないか?(TVでは誰も言わない。)

なのに、政府は東電を責め、
自民党は民主党を責める。

この醜さ!!!!!!!!!

まだまだ終息には遠い段階で「責任追及」は、慎重に臨むべきであろう。
だが、自民党は、「恥ずかしげもなく」菅総理を咎める。
おそらく、事故対応の段階で、その手際の悪さを責めることで、
自分たちの責任を転嫁しようとしているのではないか?
自分たちの「過ち・責任」を一切口にせずに、菅首相を責めるのだから、
この「推測」は間違ってはいるまい。

みんなは、腹が立たないのか!?
私は、この原発推進政策の責任を頬っ被りして、
民主党を責め、政権交代を口にする自民党には投票しないぞ!!

原発被災者たちはそうおもわないだろうなぁ…(気づかない?)
多分、君たちも、そう思わないだろうなぁ…。


なぜ、メディアはこのことを言わないのか?

それは、「危険な原発」を使ってでも、
「夏にクーラーにあたりながら、冷蔵庫で冷やしたビールを飲みたい」という、
国民(視聴者)と同じ穴のムジナであり、
オールナイトで、(ほとんどが)馬鹿番組を流し続けてきたからなぁ…。

国民は、「便利・快適」を「危険」と交換したことに、
まだ気付いていないのだから…。
(「経済効果」のために「自粛」を止めよ、という論理!!??)

避難せざるを得ない、本当に気の毒な原発周辺の住民だが、
「金(交付金)」と「「危険」と交換したこと」を自覚せず、
東京と東電のせいにする。

自分が「決めた・引き受けたこと・もの」に対する責任。
(政権、総理大臣の椅子、委員、原発ー快適さ、原発ー金など)
「起こしたこと」の責任(東電・自民党)。

「責任」とは難しい。
「取りたくない」ものに「とらせよう」とする。
重大な案件の責任問題を適当にやったら、どんなことになるか…。
6~9か月かかる原発事故の終息までに、まき散らされる放射能も怖いが、
この「無責任」はもっと恐ろしいのではないのか?


菅首相・民主党の「責任」は何か?
私は、その力量も覚悟もないままに、
「なりたい」だけで、「権力を握った」ことだ、と断じたい。

そして、この厳しい内外環境にある日本国家の運営を、
その民主党に、「信頼できない」けれど、「まぁ、任せてみよう」と思ってしまった、
日本国民の責任は…?

1 件のコメント:

  1. 3期生の太田です。
    先生がご指摘されている自民党による初動のミスについては私も非常に
    不可思議に感じています。
    阪神淡路大震災のときの自民党に比べれば、少なくとも危機対策本部の設置や
    公式見解の発表という点では遥かに早かったからです。
    この非常時に及んでもまだ両党が政局にしか目を向けない、と非難されるのは、
    評価して然るべきところを評価できない・しないことが大きく影響している
    のではないかと思います。

    安倍内閣に対してヒステリックなまでの批判を繰り返していた朝日新聞に対し、
    当時の産経新聞は冷静さを欠いていると非難していたのですが、民主党に
    政権交代してからの産経新聞はまったく同じ轍を踏んでいます。
    安倍内閣に対する朝日新聞、民主党に対する産経新聞、自民党には適切に評価
    しようとする姿勢が感じられません。
    万年野党のようです。
    万年野党には覚悟が要りません。

    福島県知事にも同じ種の醜悪さが漂います。
    原発設置により受けた多大な恩恵についての感謝、また自らの選択に対する
    責任がどうも感じられません。
    東京電力の社長を頭ごなしに非難できる立場にあるとは到底思えないのですが、
    テレビや新聞等でも本当に意外なほどその疑問には触れていませんでした。

    学部時代に先生から、良い書評とは8割褒めて、残りの2割で更に良くする
    方法を伝えるものだ、と習いました。
    これは評価全般に共通すると思います。
    先生からの受け売りで、よく部下に次の話を伝えています。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    仮にAという意見が出て、そこから何かの結論を出す場合、
    最もいけないのは 「意見を出さない」、「賛否を表明しない」 ことです。
    これでは集まる意味がありません。
    次にいけないのは 「not A」 「アンチA」 に終始すること。
    これではまとまる話もまとまりません。
    また、「B」 といういう意見を出すのも悪くはないですが、「A」と「B」
    との違いを分かりやすく説明できなければあまり意味がありません。
    もっとも良いのは、「A’」Aダッシュ、すなわちAをより良くする意見を
    出すことです。
    この訓練を繰り返しておけば、議論を重ねることでよりよい結論が導ける
    ようになります。
    また、たとえより良い意見が出せなくとも、「賛成です。」と表明することも
    重要です。
    フォロワーが居ない限りせっかくの良い意見も通らないからです。。。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    物事に対して適切な評価を行うには、何を得て何を失ったか、
    何が良くなって何が悪くなったか、何がサニーサイドで
    何がダークサイドか、常に双方向から見る視座が必要だと思うのですが、
    「消費者」、「生活者」、「労働者」、「被災者」、「野党」といった立場が
    一方向からしか見えなくさせてしまうのかもしれません
    (或いはそうしたステレオタイプな報道の方が「受ける」のかも)。。

    先生から常々「評価」することの難しさ、大切さを教えていただき、
    また評価する練習の場も与えていただいてきましたが、こうした
    非常時こそ、適切に評価する姿勢が問われるように感じています。

    ※まったく「コメント」になっていないですね。
    コメントはコメントで難しいです。
    (2011/4/23 0:34)再投稿

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