2011年6月26日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第97回)

「限定された知② ~教育者~」

前回、大学教授の「日常の物理現象」に対する「驚くべき"限定された知"」について述べた。
それに、関連して。

日本テレビ「ウェーク」の1コーナーで、
「98歳伝説の灘高教師、奇跡の授業」(2011/6/25,8:00~9:30)は、見る価値があった。

国語の授業。
3年間にわたって中勘助『銀の匙』(※1)1冊を読んでいく。
百人一首が出てきたら、実際にやってみる。
わからないこと(例「祭り結び」)が出てきたら、
著者に手紙で尋ねてみる。等々。

優れた教師である。
彼を囲む同窓会には、
(流石、灘高だが)見たことがある顔がいくつもあった。
いい教師がいて、いい授業を受け、
それを理解し、感謝している「風景」はいいなあ…。
羨ましい。

「おお!」と思ったのは、
【まなぶ】
【あそぶ】
と板書して、
生徒に気づいたことを何でも言わせるところで、
彼は、「ぶ動詞」と書いた。

私も、第一感「"ぶ"が共通している」と浮かんだが、
彼の方が「上手(うわて)」だ。
「ぶ動詞」を「発見」or「発明」するのだから。(※2)
「ぶ動詞」がどんなものかは、放送されなかった。
「ぶ動詞」に共通する性格があるのかどうかわからない。
(今、考える余裕がないまま、この文を書いているので…。
とにかく、書いておかねば、忘れてしまう。)

だが、「ぶ動詞」と浮かぶかどうかは、決定的だ。
浮かばねば、そこからは何も出てこないからなあ…。
たまたま「ぶ」が共通していた「偶然」かもしれない。
だが、そこに何か「共通性=法則性」があれば…。

100浮かんで1「当たったら」!!
浮かぶこと0なら…。

発見、発明(イノベーション)は「気付くこと」から始まる。
何でもいい、何かに気付く。
「気付くこと」に「気付き」「”意識”する」ようになる。
「気付くこと=”問題”を持つ」により、
「見過ごしてきたこと」が、”情報”となる。
世界が変わる。

「当たら」なくてもいい。
浮かぶだけで、浮かんだものを考えていくだけで、
見えるものも変わってくる。
「楽しい」じゃないか!!!

(※2)
「ぶ動詞」を「発見」;存在していたが、誰も気づかなかったもの
「ぶ動詞」を「発明」;それまで存在してなかったもの

(※1)以下、wikipediaより
○岩波書店が創業90年を記念して行った「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫100〉」キャンペーンにおいて、
本書は、夏目漱石の『こころ』、『坊っちゃん』に次いで、3位に選ばれた。
また、岩波文庫版は113万6000部が発行され、岩波文庫で10位に位置するベストセラーとなっている。

○灘高校において国語教諭の橋本武(1984年(昭和59年)に同校退職)は、
本作品を授業に用い、一冊を3年間かけて読み込む授業を行なっていた。
その理解と解釈の深い掘り下げ方に物語は遅々として進まず、
生徒から「この進捗では200ページを3年で消化できないのでは」という声があがるが、
橋本は「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」とし
テーマの真髄に近づき問題をきちんと理解できるかどうか“学ぶ力の背骨”を生徒が物語から学ぶよう教鞭を取った。
この時の教室にいた生徒の一人に東大総長・濱田純一氏がいる。

三つの箱から世間を覗く(第96回)

「限定された知① ~研究者~」

日本テレビ「金プラ!!"最高脳"」(2011/6/24,19:00~21:00)という番組を見た。

東大、京大、筑波、早・慶の5校の理工系の教授と学生2、3名の5チームと
タレント6名(石田純一がリーダー)の1チームが、
中高生レベルの物理の知識の理解力・応用力を競う。

私が見たのは、3問だけだった。
一つは、長さ3~4mの板の一方の端に重りを取り付けたものと、
何もつけないものの2枚を立ててから、同時に手を放して、
どちらが先に地面につくか、を推測する問題。

2つ目は、
同じゴム風船2個に入れる空気量を変えた大小のゴム風船を
空気が行き来できるようにパイプでつなげておく。
最初は、空気の流れを止めておき、一挙に開放すると、
2つのゴム風船はどうなるか?
①大が膨らむ、
②小が膨らむ、
③同じ大きさになる、
の3択問題。

驚いた!空気圧のことは考慮しても、
ゴムの弾性については考えなかった、
と答えた教授2名。理由説明の時に口にしたのは0名!!

彼らがやっている実験の基本的性格、姿勢がうかがえる。
ある仮説を証明するために、
ある1つの関数・変数だけを調べるものではないだろうか?
科学は対象と方法を限定することにより成り立つ。

空気量の違いより大小が生まれている。
大小により空気圧に差が生まれている。
その空気圧に着目するのは、「正しい」。

だが、空気圧の差で風船のゴムに影響を与えることを見落とす。
実験室では、他の条件を一定にし、
1つの変数を変えていくとどうなるか?と、やっているのだろう…。
その「頭」で問題を解くのだから、
中高生レベルの物理の知識さえ「使えない」のだなあ…。

企業の実験、開発はどうしているのだろうか?
対象をトータルに見ない開発は、「失敗」するだろうなあ…。

科学と違い、哲学は、
・「意味」を問う。○○とは何か?
・「機能」ではなく「存在」を問う。
・「部分」ではなく「全体」を「総合的」に問う。

開発チームリーダーには、「哲学的発想・思考」が絶対に必要であることがわかろう。

受験秀才がダメなのも、
理系の社長が少ないのも、理解できよう。

面白い・わかる授業、学術書とビジネス書の違いなども
ここから論じることができる。

私は、途中から見た。最初から見たい。
何度か見たい。学生たちにも見せたい。
1年で1,2位の優れた番組だろう。

再放送してくれないかなあ…。
皆も、気を付けておいて、再放送があったら、
是非、見て欲しい。

2011年6月19日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第95回)

「徳無き者は去れ、菅首相は即刻辞職すべきである ~信と徳②~」

(承前)
しかし、"論理"は限定して成り立つものである。
いくら、"論理的に正しく"ても、
"納得"できるかどうかは、別問題である。

「何・どこが"納得"できない」のであろうか?
そもそも、菅内閣に対しては、国民は信任していなかったのではないか?
民主党に対しても信任(信頼)していない、というところまでは戻るまい。
菅首相ではダメだ、とは思っているから、
菅内閣の"延命策"を肯定・評価する気にはなるまい。

では、菅首相の何・どこが悪いのか?と聞かれると…?
他の誰がやったら、もっとうまくできたのか?

菅直人には"徳"がないのである。
鳩山前首相と取り交わした確認書の3項目を見ると、
党内、野党、官僚の3者に「言うことを聞いてもらうことが必要」であることがわかる。
(この背景には、国民・マスコミがいよう。)

「ひとに言うことを聞いてもらう」ため、人を従わせるには「力」がいる。
その「力」には、"権力(法・権限・暴力など)"と"徳"とがある。
党首や総理大臣には勿論、法・規則に基づく"権限"があるが、
それだけでは人は動くまい。
(それだけでいいなら、誰でも首相や課長になれる。)

リーダーシップやカリスマ性などと現代では呼ばれるが、
数百年を超えて(東洋では)、「徳」と呼ばれてきたものが必要であろう。
つまり、党内で従わぬ人がいる。信頼されていない。
野党からも"敵"とは言え、言うことを聞いてもらわねばなるまい。
官僚が言うことを聞かなければ、法案作成・実施はできまい。
マスコミ、世論・国民が、言うことを聞かなければ、支持率は落ち、政権は保てまい。

自分は悪くない、どこが悪いのだ?と思ったって、
人の上に立つものが、人に従ってもらわねば仕方がないのだ。
彼は、この当たり前過ぎるほど当たり前の、基本中の基本がわからない。
何でも自分でやりたがる、すぐ怒鳴る、というのはその証左だろう。
マスコミ受けする政策を自分の口から言うことが、
リーダーシップだ、と思い込んでいる。

小泉内閣総理大臣からであろうか?
"人の上に立つもの"に必要なものは、
"徳"から"リーダーシップ"と"人気"に変わったようだ。
(企業では、東電社長を見ていると、社長という職に就いている"権限"のようだ。)

「徳無き者は去れ」という常識を口にするものは、今はもういない…。

三つの箱から世間を覗く(第94回)

「鳩山救国英雄論 再論 ~信と徳①~」

①S山君が「鳩山救国」論に納得できぬとコメントしてくれている。
その理由は、「鳩山前首相には"信"がない」からと書いている。

確かに、鳩山前首相には"能力に対する信"がないと私も書いた。
だが、その"信"がないのは総理大臣としてに"能力"であったのであり、
民主党と言う政党を作り、ここまで育ててきた"能力"は持っていよう。
その"信"なくしては、民主党造反派は不信任案に賛成したのではないか?

「鳩山前首相は"救国の英雄"」論の論理は、
彼が間に立ったからこそ、内閣不信任案が否決されたことにより、
国民の誰もが望んでいない"政治空白"が避けられたのではないか?」
というものである。

「自民党など野党が、菅内閣不信任案を提出した、小沢グループが賛成するようだ」
というニュースを聞いた国民の誰もが、
「いい加減にしろ。そんな場合ではないだろ!
政治家は、一致団結して"国難"に立ち向かえ!!」
と思ったのではないか?
(ここでは、"事有れかし、騒ぎ・不幸は商売のネタ"と
思っているとしか思えぬマスコミは"国民"に含めない)

"一致団結"は無理だが、少なくとも、
総選挙という自民・公明両党が望む事態も、
内閣総辞職という小沢グループ達が望む事態も避けられ、
菅首相という、例え"信"なきリーダーであっても、
"国難"に政府が空白なしに立ち向かう、
国民の望みは達成されたのではないか?

鳩山前首相が"国難"解決への大きな障害を取り除いたのなら、
彼は"救国の英雄"ではないだろうか?

②以上の議論は、"論理、理屈"でしかないことは、わかって言っている。
①で伝えたかったことは、
「メディアの"場当たり的"、"論理不整合的"報道と、
それに踊らされる国民」である。

「菅内閣不信任案は間違っている、と言うなら、鳩山前首相のなしたことを評価せよ。」

この論理は、「菅首相の"浜岡原発停止要請"、"100万戸にソーラーパネルを"に対する評価」
と同じである。
これでは、リーダーの適切な意思決定は望むべくもあるまい。

"人は人、行為は行為"であり、(まずは)切り離して考え、評価すべきではないのか?

2011年6月10日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第93回)

「君は知っていたか?我が国が武力攻撃されたときの"警報のサイレン"が決まっていることを!」

本日(6/10)のNHK「おひさま」で空襲警報のシ-ンが出てきた。
空襲警報・避難訓練はドーリットルによる東京空襲の後からかと思っていたので、
ネットで調べてみたら、

何と!防空警報や避難訓練などに関する法律ができているのだ!!

「内閣官房国民保護ポータルサイト」に出ている。
(http://www.kokuminhogo.go.jp/pc-index.html)

まず目次から見てみよう。
「ポータルサイトの目次」
国民保護の仕組み
武力攻撃事態の類型(着上陸侵攻の場合、弾道ミサイル攻撃の場合、ゲリラ・特殊攻撃の場合、航空攻撃の場合)
緊急対処事態とは
警報のサイレン
有事関連法制について
武力攻撃やテロなどから身を守るために(パンフレット)
国民保護訓練
避難施設
国民保護計画・国民保護業務計画
(17項目からの抜粋)

武力攻撃事態対処法などで構成されている有事関連三法は平成15年に制定、
国民保護法、捕虜取扱い法などで構成されている有事関連七法の関係は平成16年制定されている。

ポータルサイトには、こうある。
○平成15年6月に有事関連三法(「武力攻撃事態対処法」「安全保障会議設置法の一部改正法」「自衛隊法等の一部改正法」)が、
与野党の幅広い賛成の下で成立しました。これにより、有事への対処に関する制度の基礎が確立されました。

○武力攻撃事態対処法は、
正式には「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」といい、
有事法制全体の基本的な枠組みを示した法律です。
武力攻撃が発生したときの対処に関して、
基本理念や国・地方公共団体の責務等を定め、武力攻撃事態等への対処のための態勢を整備するとともに、
必要となる個別の法制の整備に関する事項を定めています。

○国民保護法では、武力攻撃事態等において、
武力攻撃から国民の生命・身体・財産を守り、国民生活等に及ぼす影響を最小にするための、
国・地方公共団体等の責務、避難・救援・武力攻撃災害への対処等の措置が規定されています。

このblogの読者で、知っていた人はいるだろうか?
私は、新聞・TVでニュースを見ていたつもりだが、しらない。
(「有事法制」については少しは知っていたが、「自衛隊」関連だけだった。)
見逃したのか?
忘れてしまったのか?
まめにチェックしていたので、見逃したとは、思えない。
これほどのことを聞いているのに、忘れるとは思えない。

つまり、マスメディアは、この「重要法案」のことを、TⅤではほぼ無視。
新聞では、ベタ扱いしていたのだろう。
それなら、気付かなくても、覚えてなくても当然だ。

この法案は、今「日本が攻撃される」可能性がある(それなりに高い)ことの繁栄であろう。
そして、可能性が「高い」かどうかではなく、「ある」かどうかの問題であり、
自衛隊・日米安保の存在は「(日本が攻撃される)可能性がある」ことを示している。
かねてから、「有事法制」の不備が指摘されており、
今回の法制化は、その内容の是非とは別に必要であろう。

だが、その重大事を報道しなかった!!
「攻撃される可能性がある」ことに国民・視聴者に気付かれたくない、
「どこが攻めてくるのだ?」「隣国を疑いの目で見るのか?」「侵略国は日本じゃなかったか!」
などの「反論、文句、非難」を避けたかった、
そんな意識が働いたのではないか?

ああ、「福島原発事故」と全く同じ構図だなぁ…。
どちらも「安全(安心)」に関わる超重大事である。
(だから、)
「知られて、騒がれたくない」
「口にして、文句言われたくない」
政府と東電、TV・新聞が共有している「体質」…。

「情報秘匿・隠匿」が為されるならば、
国民が、事故防衛のために「買い控え」をお越し、「風評被害」を起こす。
放射能の心配から、「放射能検知器」を手に入れようとする。
福島原発事故はいつ終息するのか、今後もっと悪化していくのではないか?と疑心暗鬼になる。
政府、マスコミを信頼しなくなる。

政府、マスコミは国民・視聴者を信用していない。
知らせて「騒がれ、非難される」ことを嫌がっている。

自分達(政府、マスコミ)の「説明の仕方が悪い」から、「騒がれ、非難される」ことに気付けない。
マスコミ(新聞もそうだが、特にTV)は、自分たちが「事あれかし」で、「大騒ぎして、人目(視聴率)を惹こう」とし、
事実を引き出すための(はずの)記者会見でも、相手を非難する姿勢を取りがちで、
かつ一部だけの摘み食い報道・放送をする
(記者会見の一部始終を流したことがどれだけあったか!?)。

自分たちの姿勢・体質が引き起こしていることに気付かず、
悪いのは国民・視聴者だと思っている。

国民・視聴者の「理解力の能力の低さ」が、政府・マスコミの説明姿勢(情報秘匿・隠匿)を生み出している、というのは「適切な理解」ではない。
政府・マスコミの説明能力・姿勢の「不備」が、国民・視聴者の(政府・メディアが望まぬ)反応を引き起こしているのである。

日本・国民を「不幸」にする、彼らの「理解」はなぜ、どこから生じているのだろうか?

「安全」に関わる超重大事は、「情報隠匿」は許されないのだ!
(「情報秘匿」をするなら、十分な責任感と覚悟を持ってもらわねばなるまい。)

見逃したのか?
忘れてしまったのか?
まめにチェックしていたので、見逃したとは、思えない。
これほどのことを聞いているのに、忘れるとは思えない。

つまり、マスメディアは、この「重要法案」のことを、TⅤではほぼ無視。
新聞では、ベタ扱いしていたのだろう。
それなら、気付かなくても、覚えてなくても当然だ。

この法案は、今「日本が攻撃される」可能性がある(それなりに高い)ことの繁栄であろう。
そして、可能性が「高い」かどうかではなく、「ある」かどうかの問題であり、
自衛隊・日米安保の存在は「(日本が攻撃される)可能性がある」ことを示している。
かねてから、「有事法制」の不備が指摘されており、
今回の法制化は、その内容の是非とは別に必要であろう。

だが、その重大事を報道しなかった!!
「攻撃される可能性がある」ことに国民・視聴者に気付かれたくない、
「どこが攻めてくるのだ?」「隣国を疑いの目で見るのか?」「侵略国は日本じゃなかったか!」
などの「反論、文句、非難」を避けたかった、
そんな意識が働いたのではないか?

ああ、「福島原発事故」と全く同じ構図だなぁ…。
どちらも「安全(安心)」に関わる超重大事である。
(だから、)
「知られて、騒がれたくない」
「口にして、文句言われたくない」
政府と東電、TV・新聞が共有している「体質」…。

「情報秘匿・隠匿」が為されるならば、
国民が、事故防衛のために「買い控え」をお越し、「風評被害」を起こす。
放射能の心配から、「放射能検知器」を手に入れようとする。
福島原発事故はいつ終息するのか、今後もっと悪化していくのではないか?と疑心暗鬼になる。
政府、マスコミを信頼しなくなる。

政府、マスコミは国民・視聴者を信用していない。
知らせて「騒がれ、非難される」ことを嫌がっている。

自分達(政府、マスコミ)の「説明の仕方が悪い」から、「騒がれ、非難される」ことに気付けない。
マスコミ(新聞もそうだが、特にTV)は、自分たちが「事あれかし」で、「大騒ぎして、人目(視聴率)を惹こう」とし、
事実を引き出すための(はずの)記者会見でも、相手を非難する姿勢を取りがちで、
かつ一部だけの摘み食い報道・放送をする
(記者会見の一部始終を流したことがどれだけあったか!?)。

自分たちの姿勢・体質が引き起こしていることに気付かず、
悪いのは国民・視聴者だと思っている。

国民・視聴者の「理解力の能力の低さ」が、政府・マスコミの説明姿勢(情報秘匿・隠匿)を生み出している、というのは「適切な理解」ではない。
政府・マスコミの説明能力・姿勢の「不備」が、国民・視聴者の(政府・メディアが望まぬ)反応を引き起こしているのである。

日本・国民を「不幸」にする、彼らの「理解」はなぜ、どこから生じているのだろうか?

「安全」に関わる超重大事は、「情報隠匿」は許されないのだ!
(「情報秘匿」をするなら、十分な責任感と覚悟を持ってもらわねばなるまい。)

2011年6月6日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第92回)

「信頼なきものの悲哀」

鳩山前首相は「救国の英雄」と言ってもよいのではないか?

今、日本は「国難」を迎えていると言われている。
その国難に対し、菅首相では立ち向かうことができない、
として今回の「菅降ろし」騒動が引き起こされた。
(実態(本音)は、民主党内の「菅ー小沢」対立につけ込んだ、
自民党の「民主党に対する揺さぶり」策であったのだろうが)

だが、「内閣不信任案」自体は不発に終わり、
菅内閣は継続して国難に当たることになった。
自民党の民主党崩しを「未然」に防いだのは、
鳩山前首相が菅首相と取り交わした「確認書」であろう。

この不信任案提案を自民党から提出されたあとのメディアの反応は、次のようなものだった。
①民主党内から「造反組」がどれだけ出るか?
 小沢グループはどう動く?
 可決されるんじゃないか?(ワクワク)
②もし可決されたら、菅首相はどう出る?
 被災地で選挙などできないぞ!
③この国難の折に、こんな政治ゴッコをしていていいのか?
 可決後の政治空白を起こしていいのか?
 被災者の人たちは怒っているぞ!

①②は、「無責任」なマスコミの「事あれかし姿勢」だが、
③は、国民・視聴者すべてが共有する「正論」であろう。
(勿論、菅首相を積極的支持するわけではないが)
世論は、「与野党が一致団結して国難に当たれ!」
不信任案提案に賛成せず、否決せよ、であったろう。

その世論(正論)に応えたのが、鳩山前首相であり、
彼により、
・政治空白は避けられ
・菅首相の近いうちの退陣が明確化
が為されたのではなかったのか?

それが、「泰山鳴動して鼠一匹」で終らず、ゴタゴタが続くのは、
菅の(鳩山前首相が言う)「ペテン師」的発言(と岡田幹事長発言)であろう。

だが、鳩山前首相の「功績」を評価するどころか、
やれ、「詰めが甘い」だの、「民主党のオーナー気取り」だの
ボロクソではないか!?
(「詰めが甘い」というは、"辞任"の文字がなく、期日がない。
だから、菅に「原発冷却化の目途(来年1月)がついてから」と言わせるのだ、と言う)

自民党は、仕掛けた策を鳩山前首相に阻止されたのだから、
菅の「前言翻し」に乗じて、「詰めが甘い」と非難し、嘲笑うのはわかる。
だが、「世論に立つメディア」は、
自民党の尻馬に乗って、一方的な鳩山批判を垂れ流してどうする?
(勿論、鳩山前首相の「ペテン師」的発言は大喜びで流しているが)

この件をネットで調べようと、
「確認書 鳩山」と入れたところ、
最初の2,3ページは、信濃毎日新聞の記事と、それに乗っかったblogばかりであった。
その信濃毎日新聞の記事とは、以下のようなものだ。

「…(略)…原発事故はいまも進行中の危機である。
さなかに起きた菅直人首相の不信任決議をめぐる
永田町騒動。首相と鳩山由紀夫前首相が交わした確認書に驚いた。
1番目に「民主党を壊さないこと」とある。
震災復興はおしまいの3番目。
この人たち、よくよく優先順位を間違えている。…(略)…」
(「信濃毎日新聞」2011.6.6 http://www.shinmai.co.jp/news/20110604/KT110603ETI090004000.html)

鳩山前首相に対する批判は次の2点か。
①詰めが甘い
②被災者(国民)の方を向いていない

この批判を検討してみたい。
まず、①「詰めが甘い」だが、
彼(鳩山前首相)はわかっていなかったとは思わない。
(a)菅が、「辞任の文字」「時期の明確化」に抵抗した(だろう)  
(b)菅の気持ちが理解でき、それを受け入れる感覚が、菅を信頼させたのではないか
 (それを「甘い」と言うのだろうが…。私は、少なくとも日本人同士なら「信に立つ」を評価したい。)
(c)説得する時間が十分になかった
(甘いというなら、下交渉して、確認書を作った、北沢防衛相(菅サイド)と平野博文元官房長官(鳩山サイド)
はどうなのだ?)

②「被災者(国民)の方を向いていない」に移りたい。
確かに、そう受け取れるであろう。3番目だからなぁ…。
だが、この「確認書」は、どんな文脈から生まれてきたものだろうか?

確認書の第1項と第2項はTVでも全く問題にされないが、
まず、「民主党を壊さないこと」と「自民党政権に逆戻りさせないこと」であったことを確認しよう。
(これを読んでいる人は、目に留めているだろうか?)

自民党が仕掛けてきたのである。
与野党の議員数からして、可決されるはずがないものであるのに、なぜ出したのか?
世論は、復興第一、挙国一致、大連立せよである。
だから、今までのように与党案に反対することが難しくなっている。だが、
(a)ただ大連立をやったって、民主党政権を利するだけ。
 「自民党は、挙国一致で復興を推し進めたいのだが、
  菅がいるから協力ができない。
  菅以外なら協力する。」
  と言うことで、自民党は「復興を重視している」ことをアピールする。
(b)菅vs小沢を利用して、民主党を揺さぶる。
  小沢グループが離脱してくれれば、めっけもの。
  衆院の過半数を割り込むことになる。
  そうならなくても、内輪もめがおこることで、
  菅政権・首脳陣に対する(党内・国民からの)信頼が低下する。
(c)もし、内閣不信任案が可決し、菅が総選挙にしてくれれば、メッケものであるばかりでなく、  
  民主党は割れ、かつ生じるであろうゴタゴタに国民は信頼感を低下するおまけが付く。
どっちにどう転ぼうと全く損はない策であろう。
問題は、「この時期に!?」という非難だけである。
だが、「菅が悪い。菅以外なら」という名分を立てれば、
また、マスコミは(ゴタゴタ好きで、政府批判が好きだから)たいして批判しないだろう、と読んだのであろう。

だからこそ、第1項「民主党を壊さないこと」と
第2項「自民党政権に逆戻りさせないこと」が書かれたのであろう。

そもそも、内閣不信任案自体が被災者のことなど何も考えられていない、
自民党の党利党略から出されたものである。
それに対する対策には、被災者の観点はないのが当然ではないか?
自民党からの仕掛けにどう民主党を守るのか、の観点から確認書が作られるのだ。
この確認書が問題なのではない。
この確認をさせた自民党の不信任案の当否を問うべきであろう。

そういう背景を(わかっていても)問わずに、確認書を非難する新聞のレベルは無残だ。
もしわかっていて、こういう議論をするなら「低劣」と言わざるをえない。
この信濃毎日の記事を受けて、「民主党の姿勢非難」のblogが(ヒットの)上位を占めていた。
正確で公正な報道があって、はじめて健全な世論が形成されるのである。

最後に。
菅は、「意図」に対する信頼を得ていないために、
何をやっても評価されない、
と先日書いた。
鳩山前首相は、「能力」に対する信頼を得ていないために、
これまた、何をやっても評価されないのだなぁ…。

「信頼」の大切さは企業でも同じであることは、あらためて言うまでもあるまい。
だが、経済性や効率性が「信頼(安全性)」を忘れさせることに
「恐れ・畏れ」を感じている企業はどれだけあるだろうか?

2011年6月5日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第91回)

「"時間は見えない"ことに気付けない」

大地震後3か月が経とうとしている。
福島原発事故からも3か月。

だが、仮設住宅も瓦礫撤去という「初めの一歩」も歩めていない。
義援金の分配もストップしており、仮設住宅が出来上がっていても、
生活に必要な現金がないために、避難所暮らしを続けている、という…。

福島原発事故の解決も、
言われている外国との協力も、
瓦礫の撤去、汚染水対策、人員増強も何も進まず、
本当にいつ冷却化が達成されるのかの見当がつかない。

そして、今回の「菅降ろし騒動」である。

一刻も早い対策を、菅(の存在)が邪魔している、という。
だが、菅以外の誰がやったら、もっと速くできただろうか?
谷垣自民党総裁なら、とは誰も思うまい。
じゃ、他に誰が・と聞かれても、
今回、「ポスト菅」の名前が出てこなかったじゃないか!?

官僚は、現状は把握していると思うが、
なぜ動かないのだろうか?
国交省、厚労省、文科省、財務省等々の各大臣は何をやっているのだろうか?
本当に、やろうとしていることを、菅首相が邪魔しているのだろうか?
もし例え邪魔されたって、職務、被災者のために頑張らないのだろうか?
できない理由に菅の名前を上げるが、
被災者たちは、まだかまだかと待っている。
放射線・能対策は一刻を争うのではないだろうか。、

時間だけが経つ。
約3か月85日が経った。
無為・無駄に過ぎた。
なぜ、放っておけるのだろうか?

「時間の経過」それ自体は目に見えない!
だから、「時計」と「カレンダー」で確認している。
だが、「時間」とは「変化」だ。
「時計」と「カレンダー」で時間が経ったって、
「変化」を身を以って、五官で感じなければ、
「時間の変化を実感する」ことはできまい。
白髪を発見したり、体力の衰えを実感して、
初めて歳を取ったことに気付くのだ。

「時間は見えない」から、
「変化」が見えない限り、時間の経過は実感できぬ。

菅は被災地の視察に行った。
そこで何を見たのだろうか?
「視察」とは、見に行くことだが、
彼は、行かねばならぬから行っただけであり、
(心から)見に行きたい、見に行かねばならぬ、と思ったわけではないと思う。
だから、見たって、心には残らない。
心に残らない限り、「対象の変化」を見ようとしないし、「対象の変化」は見えないのだ。

「時間」は「カレンダー」では経過しても、
「変化」を「見る(感じる)」「心」がない限り、時間は立たないのだ。
だから、
①時計とカレンダーで「時間管理」をするのだ。
②「心」が向かないものの「変化」は気が付かない、気にかけない。

行政や企業は①は十分わかっているが…。

(本当に、本当に蛇足だが、
数値で表す「市場の変化」は気付いても、
社会・世界、顧客の変化は感じ取れないし、
自社・従業員、経営者(自分)の変化も気付けないのでは…。)

2011年6月3日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第90回)

「信頼なきリ-ダー~菅首相は"良いこと"をしても、なぜ"思いつき"と言われるのか?~」

菅首相は、何をしても、何を言っても、評価されない。

消費税について口にしないのは無責任だ、と言われていた。
かねてから、「最も危ない原発」と言われ、浜岡原発の危険性は指摘されていた。
"原子力から自然エネルギーへ"が福島原発事故後の日本の世論ではなかったか?

世論・社会・マスコミが要求していたことばかりであり、
その決断には大きな賞賛こそ相応しいのではないのか?

にもかかわらず、「思いつき」「プロセスが見えない」と批判される!?

どんなに「良いこと」を言ったり、やったりしても、
その人間が「信頼」されていなければ、評価されない。

「信頼」には、「能力」に対する信頼と、「意図」に対する信頼がある。
きちんとできる「能力」を持たぬやつに(信頼できないから)、任せることはできない。
「能力」はあっても、その能力を自分の利益ばかり図るやつ(「意図」は信頼できない)にも任せることはできない。

菅首相には、「実行力」がない、「リーダーシップ」がない、と
「能力」に対する信頼がないようだが、
その「能力」に対する信頼もよりも、
「意図」に対する信頼がないのではないか?

「意図」に対する信頼がないから、
すべてが頼りなく、ダメに見えるのではないか?

やり方、言い方はともかく、
浜岡原発停止要請などは「実行力」がないということにはならないのではないか?
本人は、「実行力」がない、「リーダーシップ」がない、
と言われるのは全く納得できていないだろう。

「菅さん、あんたは”ええカッコしたい”だけで、
総理の椅子が欲しいだけであり、
国民のため、被災者のため、という考えは持っていない。
少なくとも、みなそう思っている。
あなたには"動機・人柄(意図)に対する信頼"がないのです。」
と、言われれば、不愉快だろうが、黙らざるをえないのではないか?

と、ここまでを一昨日に書いていた。

そして、昨日・今日の「菅下ろし、内閣不信任決議」騒動で、
菅という人間は、本当に「信頼」できないことが満天下に明らかになった。
鳩山前首相の、なんとか国会運営と民主党を守ろうとする努力を無にする発言には、耳を疑った。
(菅にとっても救いの神ではないのか?)

大切な同志に嘘をつき(鳩山は甘いが嘘をつく人間ではあるまい)、
不信任決議に反対した民主党員まであきれさせ、失望させる。
国民は皆、唖然以上の驚きを与えたのではないだろうか?

これほどの「食言」、これほどの「手の平返し」を、
国民の前で演じることができるのは彼の人格もあるだろうが、
岡田幹事長、枝野官房長官の発言を聞くと、
この政府首脳陣は「視野狭窄」に陥っているのだろう。

自民党が仕掛けた、民主党を分解・弱体化させんとして菅ー小沢の不仲に付け込んだ策に乗った議員を許さない、
という論理・感情はわからないわけではない。
だが、「大義」のために以下に妥協・調整していくかが「政治」というものではないのか?
「理想家(夢想家)」鳩山が政治家として、まとめ、事を収めたというのに…。
松木謙公の処分を即日発表するのも、いかにも余裕がない拙速というべきであろう。

この内閣首脳陣は、国家どころか自党(全体、未来)すら視野に入っていない。
「意図に対する信頼」がなく、「自分」だけしか目に入らないリ-ダーなど、
「危険」以外の何物でもあるまい。

菅を退陣させるのに、自分達(自党)でできず、野党の策に乗っかる「造反組」と、
「嘘と力」で押し通そうとする首脳陣。
民主党は、「能力」と「意図」のどちらの「信頼」もできないことが明らかになった。

私は、この菅の食言と幹部たちの「鉄面皮」にショックを受けている。
好意的に見れば、大震災と原発事故に押しつぶされそうになっているのだろう。
だが、「(能)力」無き者は「信」じることはできず、
「信」無き者に「(権)力」を与えることはできない。

自民党もどれほど違うだろうか?
経済・財政問題、領土問題、温暖化・エネルギー問題などに加えて、
大震災と原発事故。
まさに「国難」と言えよう。
だが、その「国難」に立ち向かうものが、かくも非力・低劣では…。
それに代わるものすらいない。
このことこそ「真の国難」ではあるまいか…。

にもかかわらず、国民は絶望していないようである。
「楽観的」だからではあるまい。
「どうでもいいから」であろう。
「民主党も自民党もダメだ」と言ってすませることができるのだなぁ…。