2011年5月27日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第87回)

「大人の受け答えと大人げない」

橋下大阪府知事が、「県議の数が多すぎる。鳥取県など6人でいい。」などと言った。
これに対して、鳥取県知事が、「大阪の人が鳥取県の自治について議論するのは差し出がましい。大きなお世話だ」
と不快感をあらわにした、という。
橋下は、一生懸命でなかなかよくやっているが、些か子供っぽく、失言が多いというのが大方の認識だろう。
今回の「人口10万人当たり県議1名」という案は一つの聞くべき考えであろうが、
「例えば」と言って鳥取県の名前を出すのは、いかにも軽はずみで、思慮に欠ける発言であろう。

橋下府知事のような「子供っぽい(大人じゃない)」人物の発言に対して、
鳥取県知事の反応は、いかにも「大人げない」、のではあるまいか。

相手は悪気があったわけではないのは明らかなのだから、
笑いながら、嗜めるような発言ができないのだろうか?
「鳥取の名前を出す位なら、滋賀や奈良を…」と口走るに至っては、情けないと言わざるを得まい。
自県の名が出されて不愉快なら、滋賀や奈良と言うべきではなかろう。
同じレベルに降りて、どうするんだ?

菅といい橋下といい、ああ石原都知事もいた、行政の長になったものが、
かくも「大人げなく」なったのはどういうことだろうか?
いや、彼らほど「子供っぽく」はないが、他の政治家も社長さんたちも「大人の貫禄」は感じさせてくれない。
礼儀にしたって、街中での、社外・仕事外での、50、60代の大人、特に男は、若者たちより劣るのではないか?

「若さ」を無条件に礼賛し、憧れ、
「貫禄をメタボ」といい、「熟練・経験よりイノベーション」を重要視したことにより、
「大人」という概念が薄れ、失われ、
大人が「大人」ではなくなってしまったなぁ…。

麻生、鳩山、菅、そして小泉だって、最近の総理大臣は皆大人ではない。
それが、政治に対する「不信感」の基底にあろう。
「大人」の恐ろしさを感じるようだったら、
メディアも国民も、今のように馬鹿にするのではなく、反感・憎悪を感じているのではないか?

アメリカも同じ傾向があるようだが、
日本は、世界でダントツに「大人」がいなくなった社会ではあるまいか?

かくいう私も他人事ではない。
「大人の振る舞い、大人の受け答え」ができないなぁ…。

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    軽率な発言に対して緊急記者会見まで開いて応戦する知事も知事ですが、
    そもそもこのようなイエローペーパーしか取り上げないような記事を
    全国紙が取り上げなければならんのか、という点に「大人げなさ」を
    感じました。

    大人と子供との端的な差は我慢の有無であり、子供に食べ物の好き嫌いを
    許さないというのも、大人に成長させるために我慢を教える行為と
    理解しています。
    我慢をさせずに欲望を肯定し、子供(又は子供のままの大人)の欲望を
    満たすことで金を巻き上げることを是とする社会から「大人」が居なく
    なるのは自然の理かと思います。

    鳥取県知事の応戦を記事にした方が売れることは分かっていても、そこを
    我慢するのが全国紙としての見識であり矜持ではないかと感じました。
    平井知事が緊急記者会見を開いたけれども、取材に訪れる新聞社は一つも
    なかった、というくらいになれば、だいぶ世の中も変わってくるのでは
    ないかと思います。

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