「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい①」
○4月11日の「三つに箱から世間を覗く(第45回)」
「情報(データ)を出せ」という声
~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」
に、太田君がコメントを付けてくれている。
その内容については、次回書きたい。
まず、この話から。
○太田君の凄さ!
4/11のblogに5/16にコメントを付けてくれている!
4月4日の(第48回)「正確な情報」神話 ~東日本大震災⑤~にも、
5/16にコメントを付けてくれている!
おそらく「コメント完クリ悲願」を立てているのだろう?!
読むだけでなく、コメントを(必ず)書けば、
①その問に対する自分の考えを確認することができる
②その問に対する自分の答えを持つことができる
③読み返すことにより、その時と今の答を対比できる
このように「効用」は大だが、なかなか実行はしがたい。
②が「大変」だから、コメントを書こうと思っても、なかなか…。
①が「大したことがない」、
「まだぼんやりしている」、
「答が複数浮かんで決められない」、
から、書けない、書かないのだが、
だが、③の「効用」を考えると、
①が未熟でも、全く構わないのではないのか?
webだと「書き足し、書き直し」も簡単だから、
「①→③→②」②のための①③を心がける。
だから、彼は「完クリ」を目指す!
blogのテーマを考えたことがなければ、
ただ、読んだだけでは、
「大した答」は期待できない。
「問」を持たねば、人はその問いに関する「情報」をスルーする。
どんなに「重要、大切な問題」でも、
「問」として持っていなければ、
「答」はない!
「必ず答える」ようにするということは、
全ての「問」に(自分の解答の内容に一旦目をつぶってでも)
答える、ということであり、
全ての「問」を自分の「問」とすることだ。
世界が拡がる。
「問を多く持つ」ということは、
「問われたときに」答えることができる、ということだ。
どうだ?
太田君はすごいなぁ…。
太田(3期生)です。
返信削除先生の書込みから1か月以上も遅れての亀レスポンスでまさかお褒めの
お言葉をいただくとは思いませんでした。
先生のご指摘を拝見して初めてコメントを書くことの効用に
気付かされたくらいで、あまり深く考えずに「完クリ」を密かに
目指しておりました(もう「密か」ではなくなってしまいましたが)。
会社においても地域においても、会議によっては全く不得意な分野、
深く考えてみたことが一度もなかったような分野において発言せざるを
得ないことが意外にあります。
そうした場を単に「しのぐ」のではなく、一緒に考えてみて何らかの
答えを出したいとは常々思っております。
ただ正直申しますと、この「部屋」が「講堂」ではなく「研究室」の
ようで、夜間ゼミのように一緒に考えるのが楽しいので居心地が良い
のだと思います。