2011年5月12日木曜日

三つの箱から世間を覗く(第77回)

「坊主は本当に仏教徒か?」

「お坊さんがズバリ解決~伸助の駆け込み寺~」(TBS19~21)
という番組から。
(この番組は、「行列のできる法律相談室」の二番煎じで、
伸助の「ドヤ顔番組」じゃないか、というツッコミは置いておく。)

①「親友の彼氏から告白された。
 実は、私も彼が好きだった。
 彼をとるか、親友をとるか?」

理論派坊主の答:
「あなたは、"良い人"の仮面をかぶっている。
その仮面をはずした方がいい。」

おねぇ坊主の答:
「そんな男は、すぐ又別の女の方を向く。
そんな男を選ばない方がいい。」

「仏教とは、もの・金・愛欲などの「欲(煩悩)」を否定するものではないのか?

②「親友が事業に失敗して、金を貸してくれと言ってきた。どうする?」

癒し系僧侶
「貸す「雑愛の毒」という親鸞の言葉を引く。
少しでも「私」が混じっていれば、「愛は毒になる」という。
そして、「義援金と義捐金」の違いを説く。
そのくせ、自分が金を貸した話を金額も出して話す。」

やんちゃ和尚
「貸さない。貸した方は覚えており、貸してもらった方は忘れる。
そうすると、"心の不平等"が生まれます。
あなたと親友との間に、"心の不平等"が生むことになる。」

理論派坊主
「これまで何回もそんな相談を受けてきました。
その人たちは、私から「貸さなくてもいい」ということを聞きたいのです。」

おーい、「困っているものがいたら、助けてあげなさい。」
「帰ってこなくったって、その人が助かれば、いいじゃないですか」
が、答じゃないのか?
「親友かどうか」など、仏教徒にとっては。二の次以下ではないのか?

普通のコンサルタントじゃないんだ。
仏の教えを学び、仏の教えを衆生に教え、
説くのが坊主のあり方ではないのか?

5人の坊主がいて、
「癒し系僧侶」一人だけが、仏教の言葉を引いて答える。
だが、それとて、「仏の教え」に立ってはいない…。

最後の方で、「被災者の人たちに何をしたらいいでしょうか?」
の問に対して、
自分も現地に行ったという坊主が、
「頑張って」じゃなく「頑張っているねぇ」と声をかけた方がいい、と答えた。
これまで、何度となく、
「頑張って」と言うな、と聞いたが、
じゃ、どう声を掛けたらいいのか、は語られなかった。
これは、「なるほど」ではないだろうか…。

しかし、この坊主は浄土宗なのだが、
「○○させていただく」という。
この言い方は「すべては阿弥陀如来様のお導き」
何事も「自分の計らい事ではない」という
門徒(浄土真宗)の思想の表現ではないのか?
私は仏教に昏いので、断言はできないのだが…。

最後の伸助のまとめだが、
「自分たちは大したことはできない。
(何千万円・何億円を出すことはできない。)
だから、しばらくしてから、
自分が必要になった時に、やればいい。
また、1回だけでなく、ずっと続けることが…」
という(数千万円~数億円を稼いでいるだろうに…)。

だが、聞くもの誰も伸助の「真の言葉」とは思うまいなぁ…。
「したい、しなければならない」と思うなら、
「できること」をすればいいのじゃないだろうか?
「たいしたことはできない」というのは、
「たいしたことができる人」と比べているが、
なぜ比べて「しない」となるのだろうか?

地震後たいしてたたないうちに、「江頭2:50(45)が自らトラックを運転して東日本大震災の被災地・福島県いわき市の避難所に支援物資を届けたとの目撃情報が、mixiやTwitterを中心に広がった。福島第一原発の事故の風評被害により、同市への物資の運搬を拒否するドライバーが多くなっていると言われるだけに、本当であれば被災者を救う勇気ある行動だ。」
という話を無視できる伸助は、それほど長くはないのではないか、と思うが…、甘いか?

別に、「何かしろ」というわけではない。
「損得」ではなく「心」の問題を説く番組(人間)の言葉にふさわしいとは思えないのだが!

伸助のこの手の番組は、「深いイイ話」など続く。
誰が、何の魅力で聞いているのだろうか?
(伸助の話術はそれなりのものだろうが…。)

各宗派による「考え方、説き方」の違いがわかる番組なら、私は毎回見るだろうが、
発想するプロデューサー・ディレクターはいないだろうし、
始まっても、視聴率はとれず、すぐさま打ち切りになるだろうなぁ…。


(※)本日4本目。
 実は、8度超の熱で一日自宅でTVの前にいる。
寝室にじっとしているのも、固い本を読むのもつらい。
TVの前で寝たり、ぼんやり見たりして一日過ごした。
おかげで、4本書けた。

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    仏教に限らず、宗教の教義には必ず次の2点が含まれているように
    理解しています。
    ○生とは何か、死とは何か
    ○私欲を如何に抑制するか

    「ありのままの自分を肯定する(してくれる)」ことを是とする風潮と
    私欲を抑制する宗教とはどうも相容れないように思われます。
    しかしながら説法もののDVD等は新聞広告でも頻繁に見かけるので、
    どういうわけなのだろうと不思議に思っておりました。
    受け入れられている説法は、心の平静を与えることに重きを置いている
    のかもしれません。

    先生が紹介してくださったお坊さんの各コメントにはいずれにも違和感を
    覚えましたが、なかでも「おねぇ坊主」のコメントは私欲を肯定している
    と取れるものであり、表題のとおり本当に仏教徒か疑いたくなります。
    タレント的な弁護士は主義主張は法律に基づくものですのでさほど
    気にならなかったのですが、さすがにこれは気になります。

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