2011年5月20日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第82回)

「企業の責任と行政の責任 ~焼肉屋食中毒事件④~」

この事件が、まだニュースで取り扱われている。
「食べ物」しかも、みんな大好き「焼肉屋」のネタだもんな。

ここ2,3日の議論は「生肉を"野放し"にしている行政の責任」だ。

「衛生基準」がある。
ほとんどの店は、「衛生基準」を守ってきたと思う(そんなに事故が起こっていない)。
事故を起こしたらどうなるか、が「わかっている(大ダメージを受ける)」からだ。
今度、その「当たり前のことがわかっていないヤツ」がしでかした。

「その「責任」は「行政」にある。」
「厚労省は、何しているんだ!厳しい基準を作れ!」
の大合唱だ。

「衛生基準」に不備があったのか?
「衛生基準」通りにやっていたにも関わらず、事故が起こったのか?
それなら、わかる。

だが、
生食可能の肉を「お墨付きの生食用」として流通させよ、という。
「生食可能の肉」を「衛生基準」に反した調理の仕方をすればどうなるか?

「罰則規定」がないじゃないか?と言う。
「罰則規定」なんて、儲けに比べりゃ、ばれなきゃいいんだ、
というやつには「へのツッパリ」にもなるまい。
「O111による食中毒」なぞ焼き肉えびすの勘坂社長にとっては「想定外」だった。
「罰則規定」があってもなくても同じではなかったか?

コンプライアンス(だけ)で「健全な経営」が保証されるのか?
「安全なものを提供しなければ…」
「プロとして、恥ずかしい…」
「我々は、食べ物を扱っているのだ」という
「責任感」「倫理観」が、多くの「食べ物屋」を支えているのではないか?

蓮舫が「生でも大丈夫ですか?」と店に聞いてくれ、と言う。
「大丈夫じゃありません」と答える店があるのか?
そんなことを聞かれた店・料理人は、どう思うか?
倫理観・責任感は低くなるだけじゃないか?

人間(の倫理観・責任感)を信頼できない社会、
罰則があるから「悪いことをしない」社会、
一々「大丈夫か」をたずねる社会、
私は、そんな社会には住みたくない!!

だが、TV(局とコメンテーター)や街の人、蓮舫は、
そういう社会に住みたいらしい…。

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    “人間(の倫理観・責任感)を信頼できない社会、
    罰則があるから「悪いことをしない」社会、
    一々「大丈夫か」をたずねる社会、
    私は、そんな社会には住みたくない!!”
    とのご意見に賛同します。

    一方で、行政側としてはプロとしての倫理観・責任感に解決を求めるのは
    難しいのだろうなとも感じました。
    クレームが生じたときには必ず「原因分析」と「再発防止策」の提示が
    求められますが、その原因は意識面・精神面には求められません。
    今回の事件は(経営のプロとしての自覚があったとしても)人様の口に
    入る食品を取り扱うプロとしての自覚のない
    「当たり前のことがわかっていないヤツ」が起こしてしまったわけですが、
    行政としては当人が特別愚かでしたと言うわけにもまいりませんので、
    「当たり前のことが分かっていないヤツ」の存在を前提としたルール改正?に
    着手せざるを得ません。

    一々「大丈夫か」をたずねる社会と聞くと異様な社会のように感じますが、
    ISOにせよ、HACCPにせよ、内部統制監査にせよ、管理に何がしかの
    「証跡」を求める(証跡なくして管理を認めない)ことは既に当たり前と
    なってしまっています。
    ルール・規制を厳格化し、プロであれば言われずとも分かっているような
    ことまで小学生のチェック表のように管理されたのであれば、プロとしての
    誇りは失われていくと思います。
    この問題は単に食中毒だけの問題ではなく、第三者による評価によらなければ
    安心できないとする価値観とも同根です。
    とてもとても根が深いです。

    返信削除