2011年4月24日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第60回)

「大震災の復興への道」

まず最初に。
太田君、杉山君、竹田君。
コメントありがとう。
ますます、書く気が出てきたよ。
(「おかげさまで、60回」)

①「TBSサンデーモーニング」で、
戦後の生活変貌を電気・家電により描いていた。
そして、このような電力多消費社会は…、
というコーナーで、

「節電、我慢する」といっても、誰がそうさせるんだ?
その権力の正当性は?
と、寺島実朗は言う。
(ああ、いわゆる「石原嫌い」だな?)

彼が措定している「権力」とはなんだろう?
政治(家)以外を指しているとは「通常」受け取れない。
「正当な権力」なら、従うというのか?
経済はできる限り市場に任せよ、と言ってきたんじゃないか?

今、日本の多くのものは「エネルギー・電力多消費社会」の限界を感じたり、
制限やむなしと思い始めているようだ。
(とは、言ったが、新聞もTVも見ない人たちは、文句言いながら我慢、だろう。)

「権力(者)」に頼らねば、社会は変われないのか?
(その癖、石原慎太郎のような「権力感」プンプンは嫌う)

「文明生活を電気により求め、替わりに伝統文化を失った。
このあたりで、文化生活(省エネ・省資源)を再評価・シフトも考えても…」
浅井慎平あたりが言わないのだろうか?
「生活スタイル・自然観」の転換による「自然な節電(省エネ・省資源)」。
(クーラー・冷蔵庫と浴衣・打ち水等の併用)。

②10時からの「サンデー・フロントライン」
復興後の経済問題、復興資金の財源問題などをやっていた。
色々な議論がなされ、意見も対立しているが、
「経済問題」を論議する限り、
「単なる現状回復」ではなく「新たな発展」を、となる。

③短期では復興問題、経済・財源問題が重要であろう。
だが、①と②の問題は、いかなる「未来像」を描くかであり、
これまでの生き方・あり方を問い直すことから始まるはずだ。
勿論、「TPPの観点から日本農業の再建」を考える。
「温暖化・魚離れから被災地の漁業の再建」を考える。
「津波に耐える街づくり」を考えることは大事だ。

そこまでの議論なら竹中平蔵の議論など大いに聞くべきところがある。
だが、竹中の日本経済改造プランは大方の賛同を受けぬまま頓挫し、今に至っている。
(彼は今でも「不十分だからダメなんだ」と繰り返している。)
政治家は、国家・社会のあり方、国民の生き方(価値観・美意識)の観点から、
つまり①の観点から②の問題を考え、政策策定をすべきであろう。
だが、小泉に①がなかったことが②の専門家の竹中平蔵の不幸があり、
菅には、①のかけらどころか、自己顕示欲・自分可愛さしかないところに、
日本の被災者の不幸がある。

私は、安部晋三の「弱さ」や石原慎太郎の「傲岸さ」は、受け入れがたいが、
彼らが①の視点から発言し(それが物議を醸し)ていることを評価する。
二大政党とは、
①vs①や、①vs②であってこそ意味があるのではないか?

②vs②で、現行の与野党対立があり、
「高速道路無償化」「子ども手当」等のの(チャチな)議論がある。

①vs①の元となる、未来を展望する小政党が排除される「小選挙区制」の欠陥に
国民・有権者は早く気づきかねばなるまい。
未来像を政治の場でも模索し、
議論し、作っていかないと、
この「大震災」の犠牲者は納得できぬばかりか、
全国50箇所以上の原発の行方は、
その原発を必要とする我々の生き方は、
ダラダラと今のままで続くであろう。

沢山の委員会・審議会をなぜ作るのか?
①あっての存在・機能ではないか?

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    私は今まで、次のような理由が小選挙区制の欠点と考えておりました。
    ○一人しか選ばれないために死に票があまりにも多い。
    ○このため民意を十分に反映された議員構成とならず、極端な結果となる
     場合が多い(例:前回衆院選の民主党、前々回衆院選の自民党)。
    ○地域に密着するために選挙に金銭と労力がかかる。
    ○「地盤」の継承が横行しやすい。
    しかし今回の先生のご指摘を読み、確かに“未来を展望する小政党が
    排除される“欠陥にこそ気づかねばと知らされました。
    二大政党制に適した制度と評されることから小政党の不利には当然
    気づくべきなのですが、それが国の方向性・未来像ではなく枝葉的な
    論争に終始する要因ともなっているとの問題意識が欠けておりました。

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