2011年6月19日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第94回)

「鳩山救国英雄論 再論 ~信と徳①~」

①S山君が「鳩山救国」論に納得できぬとコメントしてくれている。
その理由は、「鳩山前首相には"信"がない」からと書いている。

確かに、鳩山前首相には"能力に対する信"がないと私も書いた。
だが、その"信"がないのは総理大臣としてに"能力"であったのであり、
民主党と言う政党を作り、ここまで育ててきた"能力"は持っていよう。
その"信"なくしては、民主党造反派は不信任案に賛成したのではないか?

「鳩山前首相は"救国の英雄"」論の論理は、
彼が間に立ったからこそ、内閣不信任案が否決されたことにより、
国民の誰もが望んでいない"政治空白"が避けられたのではないか?」
というものである。

「自民党など野党が、菅内閣不信任案を提出した、小沢グループが賛成するようだ」
というニュースを聞いた国民の誰もが、
「いい加減にしろ。そんな場合ではないだろ!
政治家は、一致団結して"国難"に立ち向かえ!!」
と思ったのではないか?
(ここでは、"事有れかし、騒ぎ・不幸は商売のネタ"と
思っているとしか思えぬマスコミは"国民"に含めない)

"一致団結"は無理だが、少なくとも、
総選挙という自民・公明両党が望む事態も、
内閣総辞職という小沢グループ達が望む事態も避けられ、
菅首相という、例え"信"なきリーダーであっても、
"国難"に政府が空白なしに立ち向かう、
国民の望みは達成されたのではないか?

鳩山前首相が"国難"解決への大きな障害を取り除いたのなら、
彼は"救国の英雄"ではないだろうか?

②以上の議論は、"論理、理屈"でしかないことは、わかって言っている。
①で伝えたかったことは、
「メディアの"場当たり的"、"論理不整合的"報道と、
それに踊らされる国民」である。

「菅内閣不信任案は間違っている、と言うなら、鳩山前首相のなしたことを評価せよ。」

この論理は、「菅首相の"浜岡原発停止要請"、"100万戸にソーラーパネルを"に対する評価」
と同じである。
これでは、リーダーの適切な意思決定は望むべくもあるまい。

"人は人、行為は行為"であり、(まずは)切り離して考え、評価すべきではないのか?

1 件のコメント:

  1. 杉山@3期2011年6月24日 7:13

    杉山@3期です

    >人は人、行為は行為であり、(まずは)切り離して考え、評価すべき

    上記についてはおっしゃるとおりかと思います。

    かつて「信」を失ったからという理由の他に「鳩山元首相、救国の英雄論」に
    賛成できないもう一つの理由があります。

    人の行為を評価する際の判断基準には「結果」だけでなく、「原因・理由・意図」
    もあるのではないかという点です。

    鳩山元首相は今回の行動の際、内部要因(民主党分裂の危機、野党陥落回避)
    と外部要因(国難、復興優先)のどちらを重要視したのでしょうか?

    報道を見る限り、僕にはどうしても内部要因(民主党分裂の危機、野党陥落回避)
    重視としか思えないのです。
    (報道が正しく意図を伝えていないという点は考慮しなければいけませんが・・)

    結果オーライだから評価しよう、とどうしても思えません。

    もう少し考えてみます。

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