2011年4月29日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第64回)

「日本の将来を議する国会議員」

今日も、予算委員会が放映されている。
自分たちの「これから」が論ぜられている。
見・聞かねばなるまい………。

福島県、宮城県、岩手県選出民主党議員が次々に質問に立つ(なるほど…)。

○原発国策に協力した福島県・地元が「一方的に犠牲になった」と民主党・渡辺恒三。
流石である。「国難に一致団結せねばならぬ、総理は死ぬ覚悟で当たらねばならぬ」と、
野次を抑え込む迫力ある質問(演説)で雰囲気を作った。
スピーチの力、経験からくる貫禄などを感じさせてくれるものだった。
(余談だが、ランちゃんの弔辞の方がミキちゃんの弔辞より優れていた、と感じた。
この差は何から生じたのか?面白い。)

こうして作られた気持ちが「本物」であったら、
あとは、官僚に適切な指示をし、国民に協力を求めるだけであろう。

○だが、「東電(の責任は極めて思いが)だけを悪者にするな。我々がしっかりせねばならぬ。」では、
「誰がこの事態を引き起こしたのか?」を曖昧にする。
「二度と引き起こさぬようにしよう」とするなら、
「なぜ起こったのか?→誰がどんな意思決定をしたのか?→その動機・理由・背景」

また、何よりも「責任の所在を曖昧にして、本気で立ち向かえるのか?
自分にいかなる責任があるのかの認識は大事ではないか?」
野党自民党の「原発国策推進」責任を問わない。
→民主党の有力者は元自民党
→自分が(かつて)やったことの責任はとらなくていい
→そのようなものの「責任感」など誰が信じ・期待するのか?

○原発国策に協力した福島県・地元が「一方的に犠牲になった」という。
→同じように国策に殉じた「靖国の英霊」を粗末にしてきたじゃないか?
→戦争を全面否定し、「お国のため」を馬鹿にしてきたじゃないか?

自衛隊に「軍事機能」に期待するのも、「災害救助」に期待するのも、
共に「国難」に当たることではないのか?

○石破自民党議員の質問
「(何が問題となっているのか認識できているのか?例えば、)
 仮設住宅が遅れている理由は何か?」
 に対し、菅直人が長々と答える。

 聞いているものの信頼を得る答えは何か?
 「敷地確保です」でも「資材確保です」、でもなんでもいい。
 短く、力強く語ることこそ肝要ではないか!

 正解を答えねばならない、という恐れで歯切れが悪いリーダーに誰がついていくのだ?
 トップは細かい現場の事情まで必ずしも熟知する必要はない。
 乱暴に言えば、2番目以下の理由を答えて、それを指摘されたっていいのだ。

菅の答弁は、いつも「言い訳染みて」聞こえる。
「えー、あー、うー」なしには語れない。
伝えたいことがあるんじゃないんだなぁ…。
(責められなければ、いいんであって)
実行・実現されなくてもいいんだなぁ…。
(文句を言われなければ、いいんであって)

「なりたい」だけで、「やりたいこと」がなかったんだなぁ…。

○石破茂は、力強く、良い質問をする。
渡辺恒三といい、「人物」がいないわけじゃない、と思ってしまう。

だが、二人とも、この「大災厄」への(これまでの)責任に
残念だが、立っているようには思えない。

○自民党・吉野正芳(福島県の双葉町を含む地域出身)が続く。
「安全・保安院や安全委員会がチェック・認可していたが、その内実は…。」
と、言う。私は「おお…、ついに…」と思った。
ところが………!!
「政府にも責任があるのではないか?」と問い、
菅総理が「責任があります」と答えると、
「連帯責任を認めるなら、東電の責任ばかり責めるな!
政府が"連帯責任"を認めるなら、政府が第一義的に責任をとるべきではないか?」
と言う。続けて、「原賠法における"天変地異"の解釈」を訊ねる。
「東電に責任を押し付けているじゃないか!」と言う。
こいつは、何が言いたいのか?
どうも、地元被災者たちが困っているから、政府が助けろ、
と自分が主張したことをアピールしたいとしか思えない。

当然、自分を投票してくれた有権者の声に応えねばならない。
だが、事故を起こした「原発」を推進し、認可・監督してきたのは、
自分たち自民党ではないか!!??
(我ながら、飽きないなぁ…)

情けないなぁ…、浅ましいなぁ…、醜いなぁ…。

○未曾有の大災害の復興だけじゃない。
財政再建、地方分権、年金問題、
エネルギー問題、資源問題、温暖化対策、
領土問題、日中関係、日米関係、安保問題、基地問題、北朝鮮問題
少子高齢化の日本の未来。
まだまだあろう。

列挙しているうちに、
どんどんリストが長くなっていく。
この「膨大な課題群」………!

「経済最長」がなければ、どうなるんだ?
だが、「経済成長」したら「悪化」」する問題がある。
これまでのやり方でない「経済成長」が要請される。
「経済成長」では到底解決できぬ問題がある。

どうなるんだろう…。
責任、専門家の信頼、…。

2 件のコメント:

  1. 杉山@3期2011年4月29日 19:47

    杉山@3期です

    >余談だが、ランちゃんの弔辞の方がミキちゃんの弔辞より優れていた、と感じた。

    余談の部分に反応してすいません。

    本来比べてはいけないものかもしれませんが、改めて二人の弔辞を見て聞いて、先生と同じような感じを受けました。

    導入、構成、関係者への配慮、エピソード、未来へ、そして「キャンディーズ」という3人にとって、親族、関係者にとって、そしてファンにとって大切な言葉を使うタイミングの違いかなあと思いました。

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  2. 太田(3期生)です。
    “聞いているものの信頼を得る答えは何か?
    「敷地確保です」でも「資材確保です」、でもなんでもいい。
     短く、力強く語ることこそ肝要ではないか!”
    との先生のご指摘を拝見して、管首相と枝野官房長官の答弁の与える
    印象の違いを考えさせられました。

    「直ちに人体に直接的な影響を与えるレベルではない(即死はしません)」
    といった言語明瞭・意味不明瞭の答弁は故・竹下登元首相と本質的には
    変わりないように思えます。
    しかし、枝野官房長官は少なくとも「堂々と」「臆することなく」答弁
    しており、最初に結論を明示してその後に理由を補足説明する手法を
    徹底しているように見受けられます。
    こうした点はさすがに弁護士であり、スポークスマンとしての資質は
    歴代の官房長官の中でも指折りではないかと考えております。

    ハッタリのみで中身がなければいずれ化けの皮が剥がれますが、
    謝罪会見にしても如何なる表情・態度で臨むかが極めて重要であると
    再認識させられました。
    ※蛇足ですが、技巧的なプレゼンテーション能力ばかり磨いた方を
    見るとなぜか辟易させられます。誠実さ、謙虚さが見えづらいからかも
    しれません。このあたりが難しいところです。

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