2011年8月3日水曜日

「三つの箱から世間を覗く」第98回

「投票率が意味するもの」
昨日(2011.7.31)行われた埼玉県知事選は、
「投票率は24.89%(前回27.67%)で、
1981年に行われた千葉県知事選の25.38%を下回り、全国の知事選で過去最低となった。
埼玉県知事選では、民主、自民、公明各党の県組織が相乗りで上田氏を支援した。
上田県政2期8年の評価が主な争点となったが、
連合埼玉などの団体や県内自治体の首長らの支援を受けた上田氏が終始、選挙戦を優位に展開、
脱原発などを主張する共産系新人らを圧倒した。」(読売新聞)

(厳密に言うと)4人に1人も投票をしなかったということだ。
行かない理由としては、次のようなものが考えられよう。
①投票したい候補がいない
②(自分が投票したい候補者以外の)当選がほとんど決定している
③関心がない

この文を読んでいる人たちも、思い当たるか、
③は別として、「同意、共感」するのではないだろうか?
私も、理解できる。

今「理解できる」といい、「同意、共感する」といわなかった。
②なら、それでもまだ投票所に行こう、と思えるかもしれぬが、
「誰にも投票したい、と思えない」のなら、行くまい。

だが、「行かなかったら、どうなるだろうか?」と考えてみたら…?

投票率が1割にも満たなくても、当選はできる。
その時、当選したものの意識はどうだろうか?

獲得率・支持率=自分を支持しているものがどれだけか、ではなく、
投票率は「自分が就いた職にどれだけ関心があるか」であるが、
それが、「低い」ということは、
ごく一部の「投票者」以外のことは
「考慮に入れなくても構わない」ということにならないか?
(支持者だけの利害が、自分のそれより優先されるのだ!!)

ほぼ10割の投票率だったら、どうだろうか?
自分の獲得率・支持率がたとえ5割強だったとしても、
「皆の関心・注目を集まっている、見られている」と
意識せざるを得ないだろう。

「①投票したい候補がいない」であったとしても、
候補者の中の誰かは当選するのである。
その候補者を支持していなくとも、
その当選者が政治を担当するのである。
自分の生活に影響を与えるのであるから、
上述した「投票率効果」の論理があてはまるのである。

現代が「鼓腹撃壌」の時代・社会なら、
「政治(家)なぞどうでもいい」から、
「投票しない」選択肢はありだ。

だが、景気・増税・年金という「経済」のみならず、
「安全」が多面的に脅かされている今、
「どうでもよく」はないのだ。

「どうでもいい」なら「誰でもいい」。
だが、「どうでもいい」ではないなら、
「誰を」も大事だが、
「どうでもいい」とは思ってないぞ、
関心を持って注視しているのだ、
権利を行使するのだ、
ということを「示す」ことが極めて重要だ。

菅政権は長くはない、というより、
これ以上続いてはならない。
だが、「では、誰か?」と問われたら?
「民主党はダメだ、自民党だ(or○○党だ)」と言えるだろうか?

「政治家に、政党に失望」しても、
「政治に失望する」ことがどんな意味を持つか?
「政治(家)に失望」して投票所に行かなかったらどうなるか?

「投票所に行く」ことにするなら、
「投票したい候補者・政党」が欲しい。
「投票所に行く」ことにするなら、
「投票したい候補者・政党」を探そうとするだろう。

そうすれば、見つかるであろうし、
その段階では見つからなくても、
皆が探し始めれば、
私が立候補しよう、
我が党に投票してもらおう、
としだすだろう。

景気低迷
赤字財政
TPP
食糧問題(自給率以外にも)
外交・領土問題
安全保障問題、憲法改定問題

そして、
少子高齢化
原発事故の解決(できるのだろうか?)
原発の可否
エネルギー問題
震災復興
地球温暖化
異常気象(頻発する豪雨などの自然災害)
(毎年のように起こる口蹄疫・鳥インフルエンザ・BSEなどの)食肉問題

凄まじいなぁ…。
戦後最大の危機、
というより日本近代化(明治維新後)以後最大の危機、
ひょっとすると、日本史上最大の危機ではないだろうか?
これだけの数の問題を。
それも、どうしたら解決可能かがわからないものがほとんどだ!

次の選挙の「重要性」を認識しているものが、果たしてどれだけいるのだろうか?
「重要性」の認識と、そこに立った選択、行為だけが、
上記した「未曾有の危機」の解決策だ、と私は思う。

投票するものと、されるものがどれだけ「本気」で
その選択するとき(投票日)まで過ごすか、が大事ではないだろうか。

(およそ1か月休んでしまった。
ネタも、書きかけもある。
夏休みになった。
レポート採点(およそ1,000部)もあるが、
また書いていきたい。)

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