2011年5月20日金曜日

三つの箱から世間を覗く(第81回)

「太田君のコメントに感謝を籠めて答えたい②」

4月11日の「三つに箱から世間を覗く(第45回)」
「情報(データ)を出せ」という声
~政治家の責任とは、政治家に求めるものは?~東日本大震災②」

に、太田君がコメントを付けてくれている。

まず、引用させてもらう。

太田(3期生)です。
”政治家は「正確なこと」を言おう、ではなく、「安心させる」ことを
言おうとすべきであろう。”
とのご指摘を読み、この「政治家」の部分には「上司」でも「会社」でも
「親」でも当てはまると思いながら読みました。

”科学者・専門家の言ったことをそのまま伝えるのは「責任放棄」である。
「安全・安心か、安全・安心でないか」どちらかに決めて、メッセージと
せねばならぬ。”
とのご指摘も、本当に耳に痛く突き刺さります。

私も震災の起きた3月11日に会社で勤務していたのですが、
○余震が断続的に起こっている。
○電車の運行が止まっている。
○道路はひどく渋滞している。
という状況の中で従業員から帰宅して良いか否かを問われたときに、十分な
回答をしないばかりか、政府は無理な帰宅を控えるように呼びかけている
旨の返答しかできませんでした。
これは政府の発表をそのまま伝える「責任放棄」に他ならず、結果責任を
負うだけの覚悟ができていない情けない姿勢です。

枝野官房長官は分かり易くも「まず言質を取られることのない答弁」を
繰り返していましたが、それに便乗していたのでは同じく無責任であり、
聞き手がすぐに行動に移せるだけの具体性を有する情報発信をしなければ
ならないと反省しました。(2011年5月16日3:42)

○太田君に応えたい。
「これは政府の発表をそのまま伝える「責任放棄」に他ならず、結果責任を
負うだけの覚悟ができていない情けない姿勢です。」
と、君は言う。
だが、「已むを得まい」。
皆は、同じ立場ならどうする?何ができる?

私は、こう書いていたはずだ。
「政治家は(当然ながら)科学者ではない。
役割・職責・責任のあり方が違う。
彼らは「社会」を安定させ・発展させる責務を持つ。
人々の「安全→安心」を確保するのが責任だ。
「安心」なくして、「協力」はなく、「秩序」もない。

政治家は、「大丈夫です、安心してください」、「食べないでください、避難してください」と言わねばならぬ。
その判断のために専門家の意見を聞くことができる。
(そのための金も権限も与えられている。私たちには十分にない。
だから「何しているんだ!?」と我々は彼らを責める。)
だから、科学者・専門家の言ったことをそのまま伝えるのは「責任放棄」である。
「安全・安心か、安全・安心でないか」どちらかに決めて、メッセージとせねばならぬ。」

「大丈夫かどうか」の判断材料を持たなければ、答えることはできない。
君は、政府発表以上の情報を持ち得なかった。
そして、「帰宅してもよいか?」の問に、「帰るな!」という指示・命令を出す権限もないはずだ。
その時にわかる情報を提供し、判断は個々に委ねるしかないはずだ。

「職務を果たすために必要な権限を与えられていない者に、責任は問えない」のではないか?

だが、「已むを得ない」ことであっても、
自分で「納得」できず、「自責・情けなさ」を感じるであろう。

その気持ちに深く「共感」する。
その気持ち、責任感なきものには、仕事を任せることはできない。
その気持ちを持たぬものに、成長はあるまい。

それに対する、一つの「答」を書きたい。
(バーナードの「権限受容説」「リーダーシップ」を思い出して欲しい。)

『晏子』は、宮城谷昌光作品の中で、私のNo.1だ。
晏嬰の父晏弱がすばらしい。

「正解がわからない時」、
「間違った答を出すと損壊・被害が出る時」
どうすれば良いか?
「人の信頼を獲得するには?」

その答えは、この名作にあると思う。
(書きたいことが、いろいろあるので、これ以上は述べないが、
この名作を読んで、語りたくなったものが出てきたら、
一緒に読み、語り合おう。)

2 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    お応えいただき誠に有難うございます。
    先生が教えてくださった
    「職務を果たすために必要な権限を与えられていない者に、責任は問えない」
    というご回答は、今後他者の責任を問うべき立場に立った場合にも十分に
    注意するよう肝に銘じておきます。

    ○権限と責任は均衡せねばならない。
    ○権限は委譲できても、責任は委譲できない。

    というのが組織の大原則であるのですが、震災時のような連絡が十分に
    取れないまま何らかの意思決定を迅速に下さねばならないときには
    原則の貫徹が難しく、圧倒的な無力感(波等の自然の驚異に対する無力感
    ではなく、非常事態に応答するだけの判断が出来ない無力感)を
    感じておりました。

    まだバーナードの権限需要説を今回の私の感じたことへの回答とするまで
    落とし込めておりませんので、ご紹介いただきました『晏子』をそのような
    観点で再読することで、せっかく実際に直面した問題を普遍的な知見に
    消化していきたいと思います。

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  2. 杉山@3期2011年5月22日 22:58

    杉山@3期です

    >皆は、同じ立場ならどうする?何ができる?

    私は他の対策本部員と相談して、事務局として原則帰宅の決定を行いました。

    こういう緊急事態の時は、情報はない、連絡/コミュニケーションもまともに
    できないという状態になることを予想しておりましたので、社内の意思決定も
    速やかに行われました、

    結果、約半分の従業員が帰宅、残り半分が一晩泊まって、翌朝帰りました。
    中には自宅のお子さんが心配で11時間歩いて帰った従業員もいたようです。
    幸いなことに、従業員にはけが人や病人でませんした。

    >その時にわかる情報を提供し、判断は個々に委ねるしかないはずだ

    そうですね。僕らにそれしかできませんでした。

    >「正解がわからない時」、
    >「間違った答を出すと損壊・被害が出る時」
    >どうすれば良いか?
    >「人の信頼を獲得するには?」

    『晏子』、是非読んでみたいと思います。

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