「原発誘致の責任問題 ~第54・55回に続く~」
第54、55回における、原発被災者に対する論評は、
被災者の境遇・心情にあまりにも配慮が乏しい、
「酷い」「公正を欠く」と非難されるかもしれない。
この2回に対しては、コメントもしづらいかもしれぬ。
少し、書き足したい。
福島など各地で引き受けられている原発の背後には、
ただ、金だけが動いたわけではない。
実に様々な「思惑」が渦巻き、
「駆け引き」「取引」「泣き落とし」それ以下の「下種な行為」が
あったことについて触れ、考慮せねばならぬことを、
付け加えておかねばなるまい。
『創』2011.5・6月に、
永六輔が水上勉と共に、福井で反原発運動をしていた時の話が出ている。
反原発賛同者の淡谷のり子・高橋竹山のコンサートに、
五木ひろしなどのコンサートを同じ日にぶつけてくる。
そのスポンサーが電力会社。
同じ号に、珠洲原発反対運動に関わった人の手記があり、
御用学者たちが1回何十万円もの謝礼をもらって、
地元説得に当たっていたことが書かれていた。
(その連中がTⅤに出てきて、
「大丈夫です、心配する必要はありません」
と言っている。
そういう学者を選んでTV局は解説させるとは…!?
と、不信感を述べている。)
東電・関電など超優良企業のエリートサラリーマンも、
地元有力者たちと一緒に、
反対派切り崩し
「に奔走した」or「で給料をもらった」or「にやむを得ずかかわった」
のだよなぁ…。
TV局のエリートサラリーマンも、
スポンサー様への配慮にこれ務めざるを得ない。
原子力研究をするものが、反原発なら、
データの入手も発表の場も恵まれまい。
ただ、「他者のせいに」する限り、
「愚行を繰り返す」ことになる。
「他者のせいに」する弱者・犠牲者の話に頷いている限り、
「自分も被災」する道を選ぶであろう。
自分が「強者」の立場に立ったり、
「強者の僕」になったものは、
「自分も被災」したときには、
何を思うであろうか?
現在、最も「他責の論理」に立っているのが、
新聞・TVであろう。
そのマス・メディアが「世論形成」をし、
「内閣支持率」を計測し、政権交代に一役買う。
まぁ、「他責の論理」に立つものは、
「後悔の淵に沈む」ことはないであろう。
そちらの方がいい・楽、ということで
「他責の論理」が蔓延する
「大衆社会」となっているのだろうなぁ…。
太田(3期生)です。
返信削除“「他者のせいに」する限り、「愚行を繰り返す」ことになる。”
という一文が、特に強く印象に残りました。
これは、「他者のせいに」して終わらせていたのでは、何も学ぶことは
できないということなのだと理解しています。
国のせいだ、行政のせいだ、景気のせいだ、等々、ついつい愚痴が
こぼれてしまうことがあるのですが、それは自分の弱さのせいであり、
そうした状況を踏まえたうえでどのように自分が振る舞うべきであるかを
考えて行動するのが大人であるはずです。
強く肝に銘じておきます。
“現在、最も「他責の論理」に立っているのが、新聞・TVであろう。”
とのご指摘もその通りだと思います。
報道機関たるもの常に批判精神は必要ですが、誰が首相になろうと
どの党が政権を握ろうとも、良いところを適正に評価することなく、
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかと思えるような安直な批判に終始したのでは
民衆の幼稚化に拍車をかけるのみと考えております。