2011年6月26日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第97回)

「限定された知② ~教育者~」

前回、大学教授の「日常の物理現象」に対する「驚くべき"限定された知"」について述べた。
それに、関連して。

日本テレビ「ウェーク」の1コーナーで、
「98歳伝説の灘高教師、奇跡の授業」(2011/6/25,8:00~9:30)は、見る価値があった。

国語の授業。
3年間にわたって中勘助『銀の匙』(※1)1冊を読んでいく。
百人一首が出てきたら、実際にやってみる。
わからないこと(例「祭り結び」)が出てきたら、
著者に手紙で尋ねてみる。等々。

優れた教師である。
彼を囲む同窓会には、
(流石、灘高だが)見たことがある顔がいくつもあった。
いい教師がいて、いい授業を受け、
それを理解し、感謝している「風景」はいいなあ…。
羨ましい。

「おお!」と思ったのは、
【まなぶ】
【あそぶ】
と板書して、
生徒に気づいたことを何でも言わせるところで、
彼は、「ぶ動詞」と書いた。

私も、第一感「"ぶ"が共通している」と浮かんだが、
彼の方が「上手(うわて)」だ。
「ぶ動詞」を「発見」or「発明」するのだから。(※2)
「ぶ動詞」がどんなものかは、放送されなかった。
「ぶ動詞」に共通する性格があるのかどうかわからない。
(今、考える余裕がないまま、この文を書いているので…。
とにかく、書いておかねば、忘れてしまう。)

だが、「ぶ動詞」と浮かぶかどうかは、決定的だ。
浮かばねば、そこからは何も出てこないからなあ…。
たまたま「ぶ」が共通していた「偶然」かもしれない。
だが、そこに何か「共通性=法則性」があれば…。

100浮かんで1「当たったら」!!
浮かぶこと0なら…。

発見、発明(イノベーション)は「気付くこと」から始まる。
何でもいい、何かに気付く。
「気付くこと」に「気付き」「”意識”する」ようになる。
「気付くこと=”問題”を持つ」により、
「見過ごしてきたこと」が、”情報”となる。
世界が変わる。

「当たら」なくてもいい。
浮かぶだけで、浮かんだものを考えていくだけで、
見えるものも変わってくる。
「楽しい」じゃないか!!!

(※2)
「ぶ動詞」を「発見」;存在していたが、誰も気づかなかったもの
「ぶ動詞」を「発明」;それまで存在してなかったもの

(※1)以下、wikipediaより
○岩波書店が創業90年を記念して行った「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫100〉」キャンペーンにおいて、
本書は、夏目漱石の『こころ』、『坊っちゃん』に次いで、3位に選ばれた。
また、岩波文庫版は113万6000部が発行され、岩波文庫で10位に位置するベストセラーとなっている。

○灘高校において国語教諭の橋本武(1984年(昭和59年)に同校退職)は、
本作品を授業に用い、一冊を3年間かけて読み込む授業を行なっていた。
その理解と解釈の深い掘り下げ方に物語は遅々として進まず、
生徒から「この進捗では200ページを3年で消化できないのでは」という声があがるが、
橋本は「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」とし
テーマの真髄に近づき問題をきちんと理解できるかどうか“学ぶ力の背骨”を生徒が物語から学ぶよう教鞭を取った。
この時の教室にいた生徒の一人に東大総長・濱田純一氏がいる。

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」
    「遊ぶように学べるとよい」
    「わからないことは自分で解決しなければならない」
    橋本武氏の教えの根幹は、先生から教えていただいたことに見事なまでに
    共通するように思えました。

    この6月18日に98歳にして27年ぶりに教壇に立ったとの記事を読むまで
    橋本氏のことは知らなかったのですが、橋本氏の見事な教育観もさること
    ながら、教科書を使わない、受験に特化した指導もしない橋本氏の
    授業を認め続けた灘中学・灘高校の懐の深さに感心しました。
    父兄からは橋本氏の教え方に対する批判が相当あったにもかかわらず、
    それに屈しなかった灘校の気概もまた見事です。
    優れた教師が優れた教師たるには、教え子だけでなく、良き理解者である
    使用者(学校)が必要なのだと感じます。
    大学レベルですら直ぐに役立つ実学に傾倒する寂しい現実を解説する
    内田樹の『下流志向』を読んだ直後で拝見しただけに、その貴重さ・有難さを
    感じました。
    費用対効果、経済合理性といった観点からは、橋本氏のような教師の存在は
    到底認めがたいものです。何度もいろんなところで書いていることですが、
    講義内容を生徒や第三者機関に評価させたり、「合理的・客観的な」定量評価を
    志向したりするのでは、大器を育てる教育など不可能に近いと思います。

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