2011年6月5日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第91回)

「"時間は見えない"ことに気付けない」

大地震後3か月が経とうとしている。
福島原発事故からも3か月。

だが、仮設住宅も瓦礫撤去という「初めの一歩」も歩めていない。
義援金の分配もストップしており、仮設住宅が出来上がっていても、
生活に必要な現金がないために、避難所暮らしを続けている、という…。

福島原発事故の解決も、
言われている外国との協力も、
瓦礫の撤去、汚染水対策、人員増強も何も進まず、
本当にいつ冷却化が達成されるのかの見当がつかない。

そして、今回の「菅降ろし騒動」である。

一刻も早い対策を、菅(の存在)が邪魔している、という。
だが、菅以外の誰がやったら、もっと速くできただろうか?
谷垣自民党総裁なら、とは誰も思うまい。
じゃ、他に誰が・と聞かれても、
今回、「ポスト菅」の名前が出てこなかったじゃないか!?

官僚は、現状は把握していると思うが、
なぜ動かないのだろうか?
国交省、厚労省、文科省、財務省等々の各大臣は何をやっているのだろうか?
本当に、やろうとしていることを、菅首相が邪魔しているのだろうか?
もし例え邪魔されたって、職務、被災者のために頑張らないのだろうか?
できない理由に菅の名前を上げるが、
被災者たちは、まだかまだかと待っている。
放射線・能対策は一刻を争うのではないだろうか。、

時間だけが経つ。
約3か月85日が経った。
無為・無駄に過ぎた。
なぜ、放っておけるのだろうか?

「時間の経過」それ自体は目に見えない!
だから、「時計」と「カレンダー」で確認している。
だが、「時間」とは「変化」だ。
「時計」と「カレンダー」で時間が経ったって、
「変化」を身を以って、五官で感じなければ、
「時間の変化を実感する」ことはできまい。
白髪を発見したり、体力の衰えを実感して、
初めて歳を取ったことに気付くのだ。

「時間は見えない」から、
「変化」が見えない限り、時間の経過は実感できぬ。

菅は被災地の視察に行った。
そこで何を見たのだろうか?
「視察」とは、見に行くことだが、
彼は、行かねばならぬから行っただけであり、
(心から)見に行きたい、見に行かねばならぬ、と思ったわけではないと思う。
だから、見たって、心には残らない。
心に残らない限り、「対象の変化」を見ようとしないし、「対象の変化」は見えないのだ。

「時間」は「カレンダー」では経過しても、
「変化」を「見る(感じる)」「心」がない限り、時間は立たないのだ。
だから、
①時計とカレンダーで「時間管理」をするのだ。
②「心」が向かないものの「変化」は気が付かない、気にかけない。

行政や企業は①は十分わかっているが…。

(本当に、本当に蛇足だが、
数値で表す「市場の変化」は気付いても、
社会・世界、顧客の変化は感じ取れないし、
自社・従業員、経営者(自分)の変化も気付けないのでは…。)

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    本筋から離れてしまい恐縮ですが、民主党が政権を掌握して以来の
    行政軽視の姿勢が、少なからず各省庁の動きに影響を与えているような
    印象を受けております。
    鳩山政権発足後間もなくの事務次官等会議の廃止により、ただでさえ
    縦割り行政と評判の悪かった省庁間の連絡が途絶え、さらには当時副首相の
    ポストにあった管総理による官僚を馬鹿呼ばわりする発言もありました。
    霞が関の中に、国のために尽くそうと思う官僚は数多く居ようとも、
    管総理をリーダーと認める官僚はまず居ないのではないかと思われます。

    もちろん、誰が上に居ようともこの国難を何とかしたいとの気持ちは
    変わらないと信じますが、非常時こそ、専門家集団を束ねるリーダーへの
    信頼がなければ乗り切るのは難しいかと思います。
    信じ難いのは、管総理が官僚を蔑視する発言をしたのが与党になってから
    という点です。野党時代ならまだ分かるのですが。

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