2011年3月11日金曜日

「三つの箱から世間を覗く(第42回)」

「人の話を聞く」とは

会社勤めをしている人は、
毎朝10時からのフジTV「知りたがり」を見ることはないだろうだろうなぁ…。

その日10時までの各チャンネルのニュースショーをまとめた番組。
「なるほど!」各チャンネルをザッピングしている私などは、
感心し、ありがたい番組だ。
その日の共通テーマについての解説もなかなかいい。

この「知りたがり」のコメンテーターも考えられている。
いわゆる「オバサン」中心、
30~60代女性という視聴者の代表を3人
コメンテーターにして画面右側に、机なしで椅子に座らせている。

通常レポーター・解説者のあとに、コメンテーターに語らせる。
だが、この番組は、解説者(「わかる人」と呼ばれている)の解説中に
「オバサン」たちに相槌を打ったり、質問したり、口を挟ませる。
今日、解説中に話の流れと無関係に、目立つ声で笑った。

おばさんたちは、よくアイヅチを打ち、笑う。
講演では良き聞き手であろう。
だが、彼女たちは、レスポンスしているのだが、「聞いて」いるのだろうか?
反応してはいる。

「聞いて」頭に浮かんだことを口にするだけ。
それが、「そうそう」「まあ」「へー」というアイヅチに。
ピンとこなければ、質問に。

「結論」が問題である話は、最後まで聞かねばならない。
そして結論が納得できるかどうかが大事で、
「納得」するために「必要なこと」を質問する。
だから、基本的には最後まで話を聞く。

話には「聞く」と「聴く」があり、
こういうことなんだろう。

私の話は、普段から「聴く」ことを要求する話であり、
しかも、イメージ連鎖で長い。

聞かされている人、すまない。
途中で適当に口を挟んでくれ。
質問でもいい。話の内容に関する自分の意見でもいい。

(蛇足だが)途中で口を挟みにくいならば、
最後にどんな感想を言おうかを、考えながら聞くようにする。
その場合、「特に」相づちを意識して打つようにすべきであろう。
(普段から「相づち」を意識して打つことを心がけているものは、
みなから「良き聞き手」として好かれるであろう。
好かれると、皆が話をしてくれるようになる。これは大きいぞ!!)

それが「聴く」話の「聴き方」であろう。
そのような「聴き手」を相手に話すことは、
快感であり、幸福である。

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