2011年3月1日火曜日

第12回:「世代を越えてコミュニケーション(中)」

一旦書くのを中断して、また再開している。

体を拭いてもらうためだ(点滴の管が着いていたりして自分では自由に拭けない。)
終わると実に気持ちがいい。
やってくれたのは男の看護師だった。初めてだ。
彼も実に感じがいい。(この病院の看護師の感じは本当にいい。
入院しているものには実に大きい。)
「男の看護師は初めてだ」と話しかけると、
限られた時間の中で、いろいろ話してくれた。
(学校では1/6が男子だったそうだ。結構いるなぁ…。
精神科では必要とされているとのこと。なるほど。
介護士に比べて報酬が高い、とのこと。
管!!何をグズグスしている!?)

男の患者(オジサン)に対する女の看護婦(師)の関係は、
(男の目から見ると)どこかホステスと客を思わせる。
オジサンの相手をしてやり、不満の解消・癒しを与える役割・機能だ。
その背後には「性」が存在する感じだ。

だが、男の看護師の場合はどうなるだろうか?
彼は「看護師の仕事はけっこう力仕事が多い。患者の持ち上げなどは大変だ。」と言う。
彼は、「癒し」を機能とは捉えていないようだ。もちろん若いし、経験もまだ浅いであろうが…。

陳腐な結論になった感じがするのだが、
「相手の話を聞こう、会話をしよう、という姿勢を持てる・持てるかどうかが決定的。」
「看護師たちは、患者の世話をしよう、それが自分の役割だ、と思っている。
決して、当たり前だが、個人として会話しようとしているわけではないのだ。」

かつての日本社会には、"君臣"、"親子"、"師弟"等々が「上下関係(長幼の序)」としてあった。
だが現在では、それらの関係は「上下関係」ではなく、「機能関係」と変化した。
「上のもの」の「役割、立場(親・師・上司など)」は厳然と存在し続けている。
だが、「下のもの」のそれは?
「立場」は「個人」には存在しない。
そんな自分の「自由」を制約させるものはない!
「法、規則・ルール、契約」はあっても「立場」はなくなっているのではないか?

投稿日:2011年02月18日 (金) 13時38分

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