2011年3月1日火曜日

第20回:2011.2.16「朝日新聞」のコラムにツッコミ

11面コラム「経済気象台」より。
「日本人は一度コンセプトを与えられると
類いまれなる能力を発揮する。
たとえばカメラであり、自動車だ。
しかし世界を動かすコンセプトを
一度でも生んだことがあるのか」
これは米国の友人の言葉である。
言われてみればその通りで、…。

この後、こう続く。

日本が経済大国になった理由はいろいろあるが、
基本において「コンセプト依存型」だったのは
まぎれもない事実だ。
コンセプト不在のまま経済大国にのし上がった
日本の存在は世界経済から見ればある意味不気味で、
無用な存在であるに違いない。…。」
(これこれ、そこの君、笑うんじゃない!)
そのあと、"「和魂漢才」から「和魂洋才」、
現在我々がかつて経験したことがない
未到の「和魂和才」の時代を迎えようとしている、
千年に及ぶ日本人の生き方そのものが問われている…。"

いかがお思いかな?

以下、感想を数点述べてみたい。
(今更、朝日のコラムを「論じる」なんて言ったら笑われちゃう。)

①まず、誰でも(朝日以外)気づく軽いツッコミから。

下線のような考えはどこから出てくるんだ?
(たぶん朝日に入社すれば、
こんな発想もできるようになるんだろうが…。)
理由は「権兵衛(欧米)が種撒けばカラス(日本)がほじく る」
ことをみんな(欧米?それとも世界中?)が
もう御免だと思っているからだそうだ。
たぶんアンケートでもとったんだろうなぁ…。

②「コンセプト」ってなぁに?
このコラムのタイトルは「コンセプトの創造」であり、
文中には5回出てくる
(その5箇所の前後は引用している)。
その「コンセプト」とは何を指して言っているのか?
最初の米国の友人の言葉では「商品のコンセプト」を指 している。

だが、次の「経済大国日本とコンセプト依存・不在論」 では、
「商品のコンセプト」であるようで、ないようで、
よくわからない。
最初の「コンセプト依存型」は
「商品のコンセプト」でも意味が通るが、
次の「コンセプト不在のまま…」は
「商品のコンセプト」では意味が通らない。
同じパラグラフで違う意味とは…!?

最後5回目のものは、
明らかに「商品のコンセプト」のことではあるまい。
「個人のコンセプト」と言うのだから。 

また、「求められているのは日本の未来、
立国のあり方についての真摯な議論」と言っている。
「あり方」となると「規範性」を持つ。
だが、「商品のコンセプト」には「規範性」はないぞ。

最後のパラグラフの文頭で、
「果たして和才ありや」と問うている。
それ以前の「和魂漢才・洋才」から察して、
「コンセプト=才」であり「制度や技術」を指すのだろう。

うーん、頭が痛い。

最初は「商品コンセプト」のことだが、
途中で「あり方」に代わり、
だが、「制度・技術」なのか、と思いきや、
最後の最後で、また「あり方」となった。

③なぜ、日本は"コンセプト依存型"だったのか?

なぜ、「世界を動かす日本発のコンセプトがなかったのか?」という問い

このコラムの最後が泣かせる(笑わせる?)ぜ。
「…略…国は国、企業は企業、個人は個人なりに、
コンセプトを文字通り「一所懸命」に
追求すべき時期に来ているように思われる。」


諸君、学んだか?
「○○なりに」とか「思われる」を使うテクを。
自分で言って・書いておきながら、
実は自分では信じていないことを
大上段(大冗談)から他人に説教するときには、
朝日のコラム・社説を学ぶといいぞぉ。
入試の小論文対策になるそうだから…。

これだけ「書くネタ」を提供してくれる朝日新聞。
うーん、150円は実に安い!!!
比較するために「産経新聞」も一緒に買ったのだが、
「書きたいっ!」と思わせてくれるネタは、
やはり朝日新聞だなぁ…。

だが、こんなネタ・話、何日持つかなぁ…?
書く方も、読む方も一週間持たないだろう。

投稿日:2011年02月19日 (土) 12時33分

0 件のコメント:

コメントを投稿