2011年4月4日月曜日

三つの箱から世間を覗く(第48回)

「正確な情報」神話 ~東日本大震災⑤~

TVTV朝日の新番組「モーニングバード」(1)が始まった。

よしずみが「放射線」に関するレポートで、最後に、
「毒にも 薬にもなる」と書いてあるフリップを手にして、
「正確な情報が大切」と言っていた。
「正確な情報」が問題・重要ではないことは、
今回の地震・津波、原発事故でよーくわかったのではないだろうか?

想定外の地震の大きさ、津波の高さ。
津波により電源が失われるという「想定外」の事態。
(発電所が電源で困るなんて…)
「想定外」とは「思考しないことであり、情報は不要」
だから、「正確な情報」もくそもない。
津波の危険性は指摘されていた。「正確な情報」によって。
だが、その「正確な情報」は「想定外」とされた、という事実をどう受け止めるのか?

何ミリ・ベクレル、何マイクロ・シーベルトだから、
危険地帯から自主避難してください、
水を飲むことを控えてください。ただし飲んでも構いません、
基準値を超えた野菜ですが、食べても直ちに問題にはなりません。
みな「正確な情報」に基づいた判断のようだ。
だが、「正確な情報」を与えられた我々は、
不安に駆られただけであり、
買占めと買い控えに走っただけではないか?

高度な専門家(集団)によって成立している、
技術と組織の結合システムによって動かされている現代社会。
(役所の壊滅が今回の一つの特徴。)
部分的な「正確な情報」があったって、
全体・総体としてどうなのかの判断こそ決定的であり、それが本当に難しいのだ、
ということが今回の大災害("3.11"と呼びたい)が教えてくれたのではないか。

信じてもいない、「"正確な情報"神話」を持ち出して、
「思考停止」するのは、もう止めたらどうだろうか。
「情報産業」に携わる人々、メディア(企業とそこの人々)は、
ここに立たねば、「情報産業・情報提供者の"社会的責任"」を全うすることはできまい。
また、「情報社会」に生きている我々も、
この「正確な情報」神話から「解放」されないと「幸せ」にはなるまい。

「信頼できる情報」であり、
「信頼できる情報」には「正確な情報」も大切だが、
「信頼できる人間」に提供されることが重要だと思うのだが…。
(池上の解説を聞きたがり、ネットの"ガセ"が社会問題化している。)

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(1)どんな風に変わるのだろう?と「期待しないで」見た。
  期待しない態度は正解であった。
 「期待できない」という「想定は正確」であった。
 当のスタッフたちは、どういう「想定」をして新番組を作ったのだろうか?
 どういう「正確な情報」に基づいたのだろうか?
 

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    「正確な情報」は「想定外」とされたという事実をどう受け止めるのか?
    という先生からの問い掛けを見て、学生時代に先生から同じく
    問いかけられた「客観的事実なるものは存在するのか?」
    という設問を思い出しました。

    「生の情報」というのは膨大すぎて、何らかの選択をしないことには
    とても使いものになりませんが、「どの情報を抽出するか」という
    選択には必ず主観があります。
    あらかじめ何らかの意味づけが予定されていなければ情報を選び出す
    ことはそもそも難しいように思われます。

    「正確な情報」という言葉からは、
    ○誰の主観も入る余地のない
    ○合理的で
    ○立証されている
    情報といったイメージを受けますが、果たしてそのような情報は
    どれほどあるだろうと考えさせられます。

    最後に先生が「信頼できる人間」に提供されることが重要だと
    おっしゃっているように、情報の発信主体により「正確」か否かを
    判断するより他にないように感じました。

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