2011年4月10日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第51回)

「"オシャレ"と"ダサイ"」

入学の季節を迎えて、子供たちの姿をTVでよく見るようになっている。

どの子ども(小学生)もみな整った可愛い顔だちをしている。
いつからであろうか、都会の子供と田舎の子供の姿形に違いを見出すことができなくなってきたように感じる。
「昔」よくあったと言われる、洟を垂らしているような、(所謂)「ゴンタ顔」は見ることがない。

子供の顔だちが変わったように、大人の姿かたち・言葉遣いも、都鄙でたいした差が見られなくなったと思う。

だが、中高生を見ると、「あぁ…」である。
服装・髪型で、はっきりとした差が…。

その高校生が都会の大学に通いだし、半年もたつと…、
あーら、不思議。

「文化」は「形・型」でありながら、
単なる「形・型」で終わらない。
同じ「形・型(服装・髪型)」をとったものが、必ずしも同じには見えない。

その「形・型(服装・髪型)」が、
その人間の生活環境からうまれたものか、
生活環境にマッチしたものかどうか、
により、「オシャレにもなれば、ダサクもなる」側面がある。

だが、それだけではすまない。
「田舎」でもオシャレな人はいるのだから…。

となると、「形・型」と「心・センス(精神)」の問題か?

この稿は、「敢えて」ここまでにしよう。
いろんな見方・考え方ができるだろうし、
ある見方・考え方が、他の人を納得させることが難しいテーマのようだ。

ぜひ、みんなの意見を聞きたい。
(これまで、誰もコメントを書き込んでくれていない。
アンケートも一人しか応えてくれなくなった。
みなの意見・感想を聞いてから、また論じてみたい。)

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    (1) 昔と比べて小学生の姿形に都鄙の差がなくなったのはなぜか。
    月並みな考えですが、流通手法の変容が大きいかと考えます。
    全都道府県に700店舗以上を展開するベビー服・子供服大手の「西松屋」では、
    もっとも春の訪れが早い沖縄、秋の訪れが早い北海道をいわば
    アンテナショップとして利用し、その季節の売れ筋商品を全国展開していると
    聞きます。すぐに汚れたり破れたりすることもあり価格競争の激しい子供服
    では地域独自の店が量販店と勝負するのは難しく、結果的に全国で販売される
    服にあまり差がなくなるのかと思います。また、通信販売やインターネット
    ショップの普及により、既にどこの洋服屋かという地域性はあまり意味を
    持たなくなっているように思えます。

    (2) それでも中高生に差があるのはなぜか。
    これは、地方の方がまだ地縁社会が残存しているからではないかと考えます。
    パンチパーマに剃り込みを入れて眉毛を沿ったような分かりやすい
    「ヤンキー」は都会では絶滅していますが、地方にはまだ生息しています。
    地域の結びつきが強い社会においては「山田さんの太郎君がグレてしまった」
    といった情報はあっという間に広まるため、グレる際に必要とされる気合いは
    都会の比ではありません。パンクスにしても同様です。
    自分を振り返りましても、中高生時代は「小人閑居して不善をなす」の
    小人ぶりが存分に発揮される時期でもありますので、おそらく極端に差が
    出るのではないかと考えました。

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