2011年4月10日日曜日

三つの箱から世間を覗く(第50回)

「地震と"野球の開催"」

(1)「"春の甲子園"を開催すべきか?」

「自粛ムード」、「"娯楽"自粛」全体については、また語ることにして、
「"春の甲子園"の開催」の是非の議論、に関して論じたい。
(一応、書きおえて、プロ野球の方を書こうとして、置いておいたら、
甲子園は終わって1週間たち、ペナントも始まろうとしている。速い!!)

"春の甲子園"は、何のためにやるのか?
高校野球の理念・目的は「教育」ではないのか?

体育として教育の一環として「部活動」があり、
その全国大会として"甲子園"がある。

「開催すべきかどうか」の議論に、その観点がない!!
いくら実際は、その他のスポーツと同じ「娯楽」の側面が大きくなっていても、
「高校野球は教育の一環として行われる」ということを、忘れてはなるまい。

ただ、その"甲子園"が「お祭り」騒ぎとなり、
"甲子園"に出る高校は"生徒集め"に有利になり、
そのため、特待生制度などに批判の目が向けられる

スポーツ特待生などがいない公立校に応援が集まるのも、
「連帯責任」を取らされるのも、
「勝利至上主義」が排斥されるのも、
「高校野球=教育」だからであろう。

ついでに言えば、
日米安保も自衛隊などの議論においても「基本理念(そもそも何のために)」を無視した議論は、
過つ可能性につながるのではないか。


(2)「プロ野球の開幕日を延期すべきか?」

「浮かれていていいのか?」「娯楽は自粛せよ」という声がある。
選手(会)自らまでが、そのようなことを言っているようだ。

「おいおい、(あんたたち)プロ野球選手は「職業」としてやっているのではないんですか?」

延期・自粛の理由が「節電」にあるとしたら、話は難しくなる。
①ナイターは自粛せよ、と言いたいが、デーゲームでどれだけの集客数が見込めるか?
②デーゲームといっても、ドーム球場にしてしまったから、どちらにしても電気を食う。
 熱い夏をどうするのか?まさか、秋に開幕、というわけにはいくまい。

結局、エネルギー問題に対処せねばならなくなった時代に、
次々に「ドーム球場の建設」を推し進めた、「不明、不見識」のツケということか?

野球選手として生き、プロ野球見物を楽しむためには、
ナイターやドーム球場は必ず必要ではない、という「腹くくり」が必要ではないか?
「自粛する必要はない!誇りを持ってプレーしてほしい」
だが、エネルギーの多消費は「反社会的行為」である。
これは、今回の大震災による電力不足とは関係がなく、
現代社会の課題として「もともと」突きつけられていたことであることに気付くべきであろう。

1 件のコメント:

  1. 先生、読むだけで足跡を残しておらず申し訳ございません。
    太田(3期生)です。
    せっかくコメント欄を設定していただきましたので、有効に活用して
    まいりたいと存じます。

    プロ野球開幕に関する様々な選手たちのコメントの中で、かなり違和感を
    感じたのが一流とされる選手ですら
    「野球をしている場合なのか」
    「野球をしていて良いのか」
    と口にすることでした。
    先生のおっしゃるとおり、「職業」としてやっているのではないんですか、
    との疑問を感じます。
    多くの人に夢と希望を与えることのできる職業などあまりないと
    思うのですが…。

    先日、私の職場に、私の勤め先がオフィシャルスポンサーとなっている、
    あるJ2のサッカークラブの選手が来てくださいました。
    練習の時間を削ってきていただいても企業側は恐縮してしまうのですが、
    サッカークラブの選手たちはサポーター、地域、スポンサーとの関係を
    より良くするために様々な努力をしているようです。

    従業員の前で20代の選手が挨拶したのですが、その挨拶は少々
    たどたどしさがありながらも誠実さを感じさせる立派なものでした。

    「僕たちは毎日当たり前のようにサッカーをしています。
    でも、こうして様々なスポンサーの企業に訪れて、今回の震災がいろんな
    影響を与えて、いろんな人が元通りにしようと努力されているところを
    見ますと、サッカーを出来ている毎日が決して当たり前でないことを
    気付かされました。いま僕らに出来ることは、全力で手を抜かずに
    プレーすることで、何かを伝えることだと思っています。
    チーム全員がこれまで以上のプレーをしますので、是非見に来てください。」

    私は(ホームグラウンドが国大のすぐそばなのもあり)是非とも試合を
    見に行きたいと思いました。
    また、部下に対して「立派な挨拶だったね。俺たちも学ばないと。」と
    伝えました。

    なぜ新井やダルビッシュのようなスーパースターがプロ野球選手という
    素晴らしい憧れの職業について自信を失ったような発言をしなければ
    ならないのか、またそうした発言をもって英雄視されてしまうのか、
    私にはまだ答えが見つかりません。
    言わなくてはいけないような(自粛の)雰囲気が醸成されてしまって
    いたのでしょうか。
    もう少し考えてみます。
    (2011/4/16 16:11)再投稿

    返信削除