2011年5月28日土曜日

三つの箱から世間を覗く(第88回)

「人の話を聞く」とは

会社勤めをしている人は、
毎朝10時からのフジTV「知りたがり」を見ることはないだろうだろうなぁ…。

その日10時までの各チャンネルのニュースショーをまとめた番組。
「なるほど!」各チャンネルをザッピングしている私などは、
感心し、ありがたい番組だ。
その日の共通テーマについての解説もなかなかいい。

この「知りたがり」のコメンテーターも考えられている。
いわゆる「オバサン」中心、
30~60代女性という視聴者の代表3人を
コメンテーターにして画面右側に、机なしで椅子に座らせている。

通常レポーター・解説者のあとに、コメンテーターに語らせる。
だが、この番組は、解説者(「わかる人」と呼ばれている)の解説中に
「オバサン」たちに相槌を打ったり、質問したり、口を挟ませる。
今日は、解説中に話の流れと無関係に、目立つ声で笑った。

おばさんたちは、よくアイヅチを打ち、笑う。
講演では実にありがたい聞き手である。

私が相手にしているのは…。
わかったのか/わからないのか、面白いのか/ツマラナイのか、
講義を聞いている学生は、表情も変えず、黙ったまま。
聞いているいるのか/いないのか、わからない相手に話すのは、本当にツライ!
だから、おばさんたちは、話し手にとっては「神様」だと思う。

だが、だが、彼女たちは、レスポンスしているのだが、
はたして、「聞いて」いるのだろうか?

反応はしているのだが…。
「聞いて」頭に浮かんだことを口にするだけ。
それが、「そうそう」「まあ」「へー」というアイヅチに。
ピンとこなければ、質問に。

「結論」が問題である話は、最後まで聞かねばならない。
そして結論が納得できるかどうかが大事で、
「納得」するために「必要なこと」を質問する。
だから、基本的には最後まで話を聞く。


話には「聞く」と「聴く」があり、
こういうことなんだろう。

私の話は、普段から「聴く」ことを要求する話であり、
しかも、概念を説明するためのの話が挿入されたり、
イメージ連鎖により「尻取り話」となる傾向がある。

聞かされている人、すまない。
途中で適当に口を挟んでくれ。
質問でもいい。話の内容に関する自分の意見でもいい。

(蛇足だが)途中で口を挟みにくいならば、
最後にどんな感想を言おうかを、考えながら聞くようにしてはどうだろうか?
それが「聴く」話の「聴き方」であろう。
そのような「聴き手」を相手に話すことは、
快感であり、幸福である。

1 件のコメント:

  1. 太田(3期生)です。
    年間に1、2回ほど、新入社員を対象として講師を務めさせてもらうことが
    あります。乏しい経験ではありますが、
    “聞いているのか/いないのか、わからない相手に話すのは、本当にツライ”
    ということは実感としてよく分かります。
    しっかりとこちらを見て頷くような受講者が居れば、自然とそちらの方に
    向かって話すようになってしまいます(講師としてはまずいですが)。
    会議の場でも頷いてくれる聞き手が居ることは発表者にとって非常に
    心強いものです。
    ですから私はよく会社でも、賛否を論じることが難しくとも、納得したら
    頷くことを薦めています。

    先生は蛇足とされているのですが、
    “最後にどんな感想を言おうかを、考えながら聞くようにしては”
    とのアドバイスは非常に参考になりました。
    良き聞き手となるための練習として、様々な場で実践できそうです。
    試してみたいと思います。
    ※№42の方に書き込もうと思っていたのですが、№42については再度この
     テーマで考えてみてからコメントしたいと思います。

    返信削除